モデル都市の殺人
森本 晃次
第1話 K市というモデル都市
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。少し都市開発など、時代錯誤が見えるかも知れませんが、国家自体が架空、あるいは、パラレルワールド的な発想で見ていただけると、面白く読んでいただけるかも知れません。
県庁所在地に隣接したF県K市は、都会に近い割には、まだまだ開発が遅れていた。発展途上といえば聞こえはいいが、実際に開発の進んでいないところが散見され、思ったよりも空き地が残っていたりする。
対照的に県庁所在地の開発は、県を始めとして推進されていて、都心部の発展は目覚ましく、そこだけは、全国大都市でも一、二を争う近代化ともうわさされるほどであった。
F県は、完全に都心部のみの開発に重点をおいていて、格差という言葉に蓋をしている状況をどう考えているのか疑問に思うほどだが、逆にK市では、昔ながらの工場や市場などが残っていることから、逆に古き良き時代をそのままに経営できるという意味では、悪いことばかりではなかった。
古い工場でも、今の最先端のものを作る技術も開発されてきていて、それがいかに大切なことであるかということを、県庁所在地以外の市長には分かっていることが、街の経済をうまくまわしている要因であった。
ただ、街に住んでいる人の中には、いろいろな人がいる。近代化しないことを、罪悪のように考える人もいれば、やはり過去のいい部分を遺産として継続していくことが大切だと思っている人もいる。
それは、年齢層で別れているわけではない。若年層であっても、老年層であっても、二つの意見は両立していた。それがF県の特徴でもあったのだ。
特にK市の場合はその傾向は顕著に見えていて、県庁所在地のように、ほとんどが近代化されたモデル都市では考えられないような状態が、他の都市に波及していた。
都心部が近代化すると、都心部には企業が多く、近隣の都市がベッドタウンのようになり,、いわゆる
「ドーナツ化現象」
と呼ばれるものが出てきてしかるべきであった。
ここの県庁所在地にも、住民が住めるような場所を模索しようという意見が巻き起こり、県議会などで、
「ドーナツ化現象に歯止めを掛けたい」
ということで、県庁所在地のあり方を見直す計画が設けられた。
つまり、
「県庁所在地の住宅地区充実計画プロジェクト」
が発足したのだ。
建築、環境、都市計画の専門家が有識者会議を形成し、F県の直轄プロジェクトとして、最優先課題として、県の肝入り事業としての地位を確保していた。
委員長は県知事が兼任する形で、その姿勢が他県に対しても、この事業を真面目に取り組んでいる最重要なことだとのアピールに繋がっていた。
国もF県の考え方を推奨していた。ただ、これはあくまでもモデルケースとして、一種の実験台で、本当は国も似たような考えを持っている人がいたのだが、どうしても、国単位で考えることではないとい理由から、敬遠されてきた。
そういう意味で、県単位でその取り組みを行ってくれるF県はありがたかった。本音としては。
――俺たちが計画したわけではないので、失敗しても責任を取らなくてもいい――
という思いから来ているのだが、そのために、県がモルモットとして動いてくれているのを、支援という形で、国からささやかにお金を出したりはしていたので、F県も、国が認めてくれているということもあり、すっかり増長していた。
そういう意味で、F県は他の県とは少し違った面を持っていた。国からの肝入り計画を持った都市として、有名になることで、いろいろな大企業が、誘致に応じ、F県に工場を作った。
県庁所在地以外の場所に工場は作られ、高速道路などのインフラも一気に整備され(もちろん、国がいくらか金を出しているという要素もあってのことだが)、首都圏、関西圏などと同じレベルの、新興圏として、伸びてきていた。
このプロジェクトは、二十世紀末から計画されているので、まだ二十年とそこらであったが、計画が進んでいるかと言えば、いまいちだともいえる。理由は、
「最初の勢いが減ってきたからだ」
と言えるのではないだろうか。
K市の工場は、まだ昭和のイメージを残したような、自動車修理工場であったり、工業部品の会社であったりが、密集している場所もある。駅前の商店街も、いまだに残っていて、郊外にも大型の商店街があるのだが、K市からはあまり行く人はいないようだ。
「駅前でほとんどの商品は揃うので、わざわざ郊外に行く必要がない」
という話が暗黙の了解となっていた。
最近では、K市にわざわざ引っ越してくる人もいる。都会でリストラに遭った人、あるいは失恋によって、孤独感に苛まれた人がこの街に移住してくるパターンが一時期あったが、それはある時、週刊誌で紹介されたことがあったからだ。
その週刊誌には、都会で事業に失敗して、この街に流れてきた人を、ある工場の社長が雇ってあげて、工場のノウハウを、技術から経営まで叩きこみ、いずれはその工場を継いだとして、一種のサクセスストーリーで紹介されたのだ。
工場長としては、自分に跡取りがいなかったので、有望そうな青年に後を託そうと考えたら、それがうまく嵌ったというだけなのかも知れない。そのエピソードが週刊誌で紹介されると、K市がまるでアメリカンドリームでもあるかのような話が盛り上がってきたのも無理もないことだった。
そういう意味で、一時期K市の人口が増えた時期があったが、しょせんは昔の工場であり、時代についていけずに、工場を閉めるところも目立ってきた。そういう意味では、ドリームと言われたK市も他の土地と類に漏れず、爆発的に増えた人口が減少していったのも無理がないことだった。
だが、F県としては、K市を盛り上げるということで、国から支援を受けているために、簡単に見捨てるわけにもいかなかった。県としても、K市に貸し付けもあるので、K市には盛り返してほしいという気持ちがあって当然だった。
K市は、一時期、人口の流出が止まらなかったが、一旦ある程度落ち着いてくると、残った人は、かつてのK市を盛り上げてきた人たちだけになったことで、いい意味で、
「浄化ができた」
と言えるのではないだろうか。
K市としては、致命的なまでに人口が減ったわけではなかったので、そのあたりは助かったと市長は目論んでいる。
K市というのは、市政が敷かれてから、そんなに古いものではない。最初は市町村合併で、K市は県庁所在地に吸収されるかどうか、大いに議題に上がったようだが、昔からの工場を持っている連中が反対してことで、県庁所在地に組み込まれることはなかった。そのうちに増え行く人口の中で、市への昇格が議題となり、その時は反対派皆無であり、一気に市へと昇格した。
そんな経緯を持ったK市だけに、急速な発展が、ドリームとして扱われたのであろう。
病院、学校、公園なども整備され、こちらは、最先端の設備が整っていた。工場が昔ながらの場所が多い中、アンバランスと言われながらも、何とかもっていると知らない人には思われているK市だったが、治安の良さも実は地味ではあったが、一部の人から見て、注目されるところであった。
県庁所在地の隣ということで、ベッドタウンでありながら、独自の市政を敷くK市では、凶悪犯罪が起こったことはほとんどなかった。
たまに殺人事件はあるが、傷害致死のような、喧嘩が嵩じて殺人になってしまうということはあっても、殺害目的での殺人というのもあまりなく、学校や企業でも、苛めやハラスメントなどというのは、まったくないわけではないが、他の都市に比べれば、格段に少なかった。
それが、K市の魅力でもあった。ただ、一度減ったこの街にまた人が流入してくるということはなかった。K市にいれば分からないこともあるのだろうが、一旦他に流れてしまい、外からK市を見ると、
「あそこほど、おかしなところはないんじゃないか」
という人も結構いた・
何を持って、
「おかしなところ」
というのかは、その人それぞれなのだろうが、それだけにいろいろなところで、他との違いが、いい悪いは別にして散見されるのも事実であった。
K市中心街は、F交通電鉄という私鉄が走っているK中央駅周辺になっている。駅前からは商店街が伸びていて、その先には、ショッパーズと呼ばれるちょっと大きなスーパーがある。他のところではとっくに消えてしまった光景だが、ここでは、昼間はほとんどの店が開店していて、朝市などでは、歩行者天国のアーケードの店先まで惣菜屋、豆腐屋などがワゴン販売をしているという、まるで立体感溢れる商店街というイメージを醸し出しているのだった。
県庁所在地と反対側の隣の街は、完全に県庁所在地のベットタウンとなっている。しかし、K市に仕事場のある人はほとんど住んでおらず、K市に仕事場のある人のほとんどは、K市に住んでいるということになる。そういう意味で、K市の郊外には住宅街が広がっていて、実際に賃貸にしても、分譲にしても、他の地区と比べて、かなり安い。
だが、K市は明らかな客の差別化を行っていて、
「安く借りられる人は、K市に仕事場のある人が優先で、他の街に仕事に行っている人にとっては却って割高になる」
と言われたほどだ。
K市に仕事場のある人が入るだけで、結構マンションはいっぱいになる。他の市の住宅事情から比べれば、結構な需要の高さで、この街だけで十分に活性化され、街が機能しているといういい意味でのモデル都市であった。
実際に、全国的にもこのK市のモデルは注目を浴びていて、よく他の県から、取材にくるテレビ番組も後を絶たない。ただ、他の場所でこのような市の経営を行っている土地はない。どうしても目は進化する垢ぬけた街づくりに行くというもので、なかなかK市を真似るというところに舵を切るという行政が現れないのは、市会議員の意見が揃わないからだ。ハードルの高さは市会議員の頭の固さにあると言えるであろう。
こんな街を、計画都市と呼ぶには、時代錯誤なのかも知れないが、この成功を市の方ではある程度の検証も行っていた。ただ、その検証結果を国に対しては公示しているが、県やその他の行政に関しては、極秘にしていた。
これは、国の要望で、
「まずは、国も検証を行って、モデルとして他でもできるかどうか、国による舵取りを行うようにする」
という国からのお達しであったが、実際には、国がその情報を独占することで、他で好き勝手な情報操作ができないようにしたのだ。
これは国の勝手な言い分であったが、実際には功を奏したと言ってもいい。この状況を様々な判断によって乱用してしまうと、きっと行政は立ち行かなくなってしまうところも出てくるに違いない。そういうところが同時多発で発生すれば、防ぎようがないというのも事実だった。
それだけ、やり方によってはうまくいかない場合がある。
世界的には成功している例もあるかも知れないが、それはあくまでも民族性の違いだからではないだろうか。外国の習慣をそのまま日本に持ち込めば、混乱が生じるのは明らかで、そんな混乱が生じれば、今の自治体や国家で鎮静化できるかというと、微妙なところである。
そんなK市に対して、成功例としては、その根拠となる数字は極秘になっているが、市政に対しての研修、あるいは、その状況の学習に関しては禁止しているわけではない。そのため、他の土地にある大学の研究グループがやってきて、市によって開示されている情報を学習したり、実際に工場で研修してみたりしたが、なかなか、その成果に繋がるものが何なのか、分かるところまではおぼつかない。
「そんな簡単に分かるものか」
というのが、市の側からの思いなのかも知れないが、どこかに秘密があるのは事実で、やはり検証結果として現れた数字に、見るべきものがあるのだろうというのが、専門家の意見であった。
そんな中、もう一つの注目点である。
「治安の良さ」
を研究しようと、警察官もこの街に定期的に研修させられることが多かった。
研修をしているうちに分かってくることとして。
「この街は、法律に則らない彼らなりの法があり、それを破ると、この街では生きていけない」
と言われるルールがある。
これは他の街にもあるルールだが、破ると、いわゆるまわりが相手をしてくれないという「村八分状態」になるという。さらにひどいと、市外追放となり、今までこの街だからこそ生きてこれた人が、何もなくして放り出されることを一番怖いと思っている。
これはこの街における法規であり、懲役などよりも、よほどの重い罪のようだ。何しろもうこの街では生きていけないというレッテルを貼られたようなもので。しかも、他に行ってもいまさら生きてはいけないというもので、
「なるほど、これなら治安が守られるのも分からなくもない」
と考えられた。
何から何まで他とは違うと言ってもいいK市、そんなK市に珍しくも起こった殺人事件、他の土地ではどの新聞社もトップに持ってきていたが、逆に当事者であるK市は、世間が騒ぐそこまでの大事件という感じではない。
「珍しいはないか」
とウワサになる程度で、そんなまるで天地がひっくり返ったかのような騒ぎにはなっていなかったのだ。
「平和が当たり前」
という市民にとっては。それだけ治安という感覚がマヒしていたのかも知れない。
毎日のように事件のある都会では、少々突飛な事件が起こるとセンセーショナルに騒ぎ立てる。それだけ週刊誌や新聞を売りたいという気持ちもあるのだろうが、マヒしている感覚にカンフル剤を打ち込む形としては、ちょうどいいのかも知れない。
ただ、今回の殺人事件は、謎が多いということもあって、全国でも注目されたが、一番の問題は、
「殺害されたその人が、K市の住民ではなかった」
ということだった。
別に国家が違うわけでもないので、パスポートが必要というわけでもない。そのため、行き来が自由なのだから、別に他の土地の人が殺されていたとしても、警察の捜査で管轄などという面倒臭いものがあるだけで、別に疑問でも何でもないだろう。
K市で発見された被害者は、K市内にある、
「春日井板金工場」
というところで発見されたのだった。
死体を最初に発見したのは、その工場にいつも一番乗りで出社する片桐という男性社員だった。
彼は、今年で五十歳になる老練の社員で、若い頃は現場主任を長年続けてきたが、四十代前半に怪我をしてから、腰痛に悩まされるようになり、最近は現場よりも、庶務や会計のような仕事をしていた。
現場主任の時もそうだったが、彼はどの部署に行っても実にうまく業務をこなす。さらに人の遣い方もうまいので、上司から信頼され、部下からは慕われるという、会社としては彼ほどありがたい人はいなかった。
この街の工場経営というのは、他の街とは一線を画していて、見た目は、個人経営の様相を呈しているが、実際には、工場どうして共同体のようなものを作っていて、それら共同体は、市が運営している組合に属する形で機能している。
つまりは、ピラミッド型の構造になっていて、末端の工場は、どこかの共同体に属することで、昔の隣組のような状態で、どこかが経営不振に陥りそうになると、共同大の上部組織である組合から、補助金が出される。そのため、毎月工場は、補助金を積み立てるという形で上納し、共同体は集められたその中から、共同体組織の損ザクできる程度の金を抜いて、組合にさらに上納する。共同体というのはいわば他の市土地でいえば、一企業あるいはグループ企業のトップに当たるようなところであり、共同体には他の土地での一企業のような企業経営もない。そのため、お金が組合に集まりやすく、金回りもいいのだ。
共同体は、組合と一工場の直接の交渉という仲を取り持つことで、それぞれに損のないスムーズな運営をするために不可欠であった。ただ、共同体には、ほとんどの能力はないが、権力を集中させている。共同体というのは、いわゆる頭脳のようなものであり、工場経営のノウハウを知っているベテランが、工場から派遣させる形で、運営されていた。実態としてはそれほどの存在感はないのだが、一種のフィクサーという形で君臨していると考えれば理解できる人も多いだろう。
K市における成功の秘訣は実はここにあり、頭では構造は分かっても、集中している権力が共同体にあったり、その共同体に、工場を動かしたり組合を操るという能力はないが、頭脳としての権力は与えられている。そのあたりの理屈が見ているだけでは分からないのだろう。
頭脳なのに能力がどうしてないのか? 能力がないところにどうして権力が存在するのか。そもそも共同体なるものはどういう存在なのか。見ているだけでは矛盾しか感じないに違いない。
理解しようとすると、成果としての数字が必要になる。市が隠したい理由がそこにあるのだった。
ただ、この仕組みのすべてを分かっていて、全体を掌握できる人が果たしてどれだけいるかというのは、実際には分からない。最初が実験的に行ったやり方だったが、ここまでうまくいくとは誰も思っていなかっただろう。数字を見れば、一目瞭然だという理屈を分かっている人も少ないに違いない。
こんな街の状態をある程度分かっている人の中に、この片桐という男も含まれていた。現場から裏方に移行できた秘訣は、やはりこの街の組織を全体的に把握している証拠であろう。
片桐氏は四十歳後半から、共同体の理事も同時に勤めていた。共同体というのは、あくまでも疑似空間のようなもので、実態があるわけではない。そこが他の組織采井とは違うところで、当然、決まった規則もなかった。それぞれにモラルを持って運営を行うことを組合が認めたことで、共同体は権力を持つことができる。能力がないのも、実態を持たない団体であれば、当たり前のことだった。
むしろ、実態を持っていないのに能力だけがあるというのが恐ろしいことであり、それでも共同体に実態を持たせないという信念は、K市だからこそ行えるものだった。何も分からずに結果として成功していることで、形式を見て、共同体なる組織を作っても成功するはずもなく、なぜ、共同体が権力を持たないのかということを理解しなければ、運営以前の問題だとは言えないだろうか。
共同体というのは、その名のごとく、何かの集合体なのだ、その何かというのは、頭脳であり、ノウハウである。それをもたらすのが現場の経験であったり、現場を切り盛りする能力である。共同体に納涼がないと言ったのは、統率能力であり、その理由は、それぞれの企業の頭脳を終結させたことで、それぞれの工場の事情があるからだ。ここに能力を与えてしまうと、県曲を与えた分、見境がなくなる可能性がある。そういう意味での行動力を制限する必要があったのだ。
片桐もその頭脳のうちの一人である。先代が築いてきたこの工場を、先代が存命の時から支えてきた人も、すでに数少なくなっている。その頃というのは、まだ片桐は二十代だった。
「まだまだ若い者には負けん」
と言って、六十代までは現役だった先代のバイタリティの高さには、さすがに片桐もビックリしていた。
いくら自分が頑張っても、先代のようになれるわけはないと思っているが、五十代になってきた最近では、さすがに目に見えて体力の衰えを感じてきたのだった。
今の工場長は、三代目に当たる。先代の年を取ってからの子供だったので、まだ三十代後半の工場長であり、少し若すぎるところが懸念されたが、そこは片桐氏がサポートすることで何とか切り抜けてきている。
そもそも、共同体という発想も、春日井板金工場の初代が考え付いたものだった。
「他の土地とは違う独自の発想には、この共同体構想は、画期的だと思うのだがいかがだろう?」
と言って、昭和の頃に提案していたのだが、ああでもないこうでもないと激論が戦わされた中で、最後に残ったのは、最初に初代が提唱したものとほとんど変わらなかったというのは皮肉というべきか、それほど先代の目が先見の明だったのかということを証明しているということになるだろう。
その後にバブルの時代が押し寄せてきて、世間は先行投資と称して事業拡大に躍起になり、
「形にないものを追い求めた」
という結果が、バブル崩壊後の悲劇を呼んだのだ。
だが、K市のように共同体なる形のないものこそ、
「バブル」
であり、バブルの象徴ともいうべき共同体が、なぜバブル崩壊と同時に消え失せることがなかったのかというと、共同体は決して事業拡大であったり、見えないものを見えているかのように追い求めることはしなかった。何しろ、その中にいたからである。
形のないものの一方が崩壊し。一方がこれからの時代を担うと思われたというのは、何とも皮肉なことであろうか。
そこに、実はK市の成功の秘訣があったのだ。決して表から組織を見ただけでは分かるはずのない。しかし、結果としての数字からはすべてが見えてくるというのは、このバブルの社会的失敗があったからだ。
K市では他の地域でのバブルでの失敗を反面教師にして、共同体というものを見直すと、まだ途上にある成功への数字が、途中経過として見えてくることがある。それこそが成功の秘訣なのだった。
昭和という時代を頭の片隅に残したまま、バブル後の時代を生きてきた。何も考えていないようだが、それは考えることに自信を持っているからだった。
「不安でないと考えているようには見えてこない」
というのは、実に他人事のように見せるためであって、その気持ちがある場合、いつまでも共同体を信じることができないだろう。
春日井工場長の兄という人は銀行マンであり、時々、工場に融資の話で来ていたが、よくその人から、
「片桐さん、弟を支えてやってください」
とよく言われていた。
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