第5話
「偽物だと気づいていながら指摘しなかった? そんなことがあるんでしょうか」
「……あるとすれば、私に気を遣って本当のことを言えなかったとか?」
「有り得ない話じゃないが、考えにくいだろ。わざわざ依頼しているのに、一番重要なところを指摘しないのは不自然だ。それに、あの人はお前に報酬まで払おうとしていたしな。期待していた成果が得られなかった人の反応じゃなさそうだった」
それに表情を見る限りでも、あの老婆は満足していたように見えた。探偵部に依頼をし、もたらされた結果に不満などなかったはずなんだ。
だが、あの猫が本物の飼い猫だった可能性は極めて低い。この辺りの地域には相当な数の野良猫がいる。その母数を考えれば、適当に引き当てた一匹が本物である確率など、あまりに小さい。
「つまり、君はこう言いたいわけだ。あの人は猫が偽物だとわかっていながら、それで満足したと」
いつの間にか星野尾の笑みは消え、眉間に深いシワを刻み込みながら、顎に手を当てて熟考していた。
「え、じゃあ……もしかして、こういうことですか? 『この子は私が飼っていた猫じゃないけど、可愛いし、懐いてくれてるみたいだから、もうこの子ってことでいっか~』みたいな?」
「…………えっ」
突然始まった猫嶋の寸劇に思わず圧倒されてしまった。なんだ今のは。もしかして冗談のつもりなのか? 突っ込んだ方がいいのか?
「そんな風に考えているようには見えなかったけどなぁ」
星野尾はスルーして話を進めてる……探偵部では日常茶飯事なのかな。じゃあ、俺も触れないでおこう。
「ああ、俺もあの人はそんな無責任なことは考えてないと思う」
「だったらどういうことなんですか! あの人はなんで、偽物だと気づいているのに文句を言わなかったんですか!」
「偽物じゃなかったからだ」
俺の一言に、猫嶋は硬直する。代わりに口を開いたのは星野尾だ。
「おいおい、なんだよ、ややこしいなぁ。結局君は、偶然にもあの猫が本物だったんだと結論づけたわけ? てっきり私は、あの猫が本物である可能性を考慮しない前提での話だと思ってたんだけど?」
「ああ、それで間違ってないよ。偶然にも本物の猫を引いた可能性なんて考慮してない。確率的にほぼ有り得ないからな」
「……? だったら……何が言いたいのかな?」
「あの猫は偽物じゃなかったけど、本物でもなかったんだ」
「は?」
「そういう概念そのものがなかったんだよ。この依頼は、特定の猫を探してくれと頼まれていたわけじゃない。だから、本物も偽物もなかったんだ」
突拍子もない話だと思われているんだろう。それは二人の顔を見ればよくわかる。
ただ、早くこの場を切り上げて素振りに戻りたい俺としては、突拍子もないことを言うメリットなどない。
俺を強引に助手にして、この件に引き込んだ猫嶋を納得させられる理屈。それをこね上げて、二人の前に叩きつける。
そうでないと、俺はいつまで経っても解放してもらえなさそうだからな。あくまでも事の収束に向けて最善を尽くすまでだ。
「俺は依頼内容を直接聞いたわけじゃないからわからないが、正確にはどういう形で依頼されたんだ?」
「どういうって……一言一句違わず思い出せと言われると……契約書とかを書いたわけでもないので……」
「俺はこう言いたいんだ。この依頼は、いなくなった飼い猫を探し出してほしいという内容ではなく、新しく猫を飼いたいから適当な野良猫を連れて来てほしいという内容だったんじゃないか……ってな」
あの人は確かに高齢だった。見た限りでは、九十歳は超えているんじゃないだろうか。でも、さっきの会話を聞く限り会話が成立しないような人でもなさそうだ。
なのに、依頼時には猫の特徴を語らなかった。話がちぐはぐで噛み合わず、探すべき猫についての情報を一切聞き出せなかった。
だとすれば────────だとすればだ。初めから、探すべき猫なんてものは存在しなかったんじゃないのか?
「……待って。確かに……それは有り得るかもしれない。私の記憶だと、あの人は猫を探してほしいとしか言ってなかった。『飼い猫』だとか『私の猫』みたいな表現は一切使ってなかったよ」
「ほ、本当ですか⁉」
「うん……っていうか、江之子は一緒に聞いてたでしょ」
「うーむ……あんまり思い出せません。初めての依頼でワクワクしていたので……」
猫嶋は恥ずかしそうに頬を赤らめ、両手で覆って隠す。
「それにしても……なんだ。猫が欲しかっただけ……か。まったく人騒がせなんだから。そんなの探偵に頼む仕事でもないでしょ」
「きっと、寂しかったんだよ」
「寂しい?」
「あの家、結構広いよな。目と足腰が悪いお婆さん一人で、管理していけるとは思えない。最近家族が引っ越してきたって話だけど、それ以前はどうしてたのかな」
詳しい事情はわからないが、何となく察しはつく。
一緒に暮らしていた人が何らかの理由でいなくなってしまい、代わりに家族があの家に引っ越してきた。
生活自体はそれでなんとかなったのだろう。しかし心にぽっかり空いた喪失感を埋めるまでには至らなかった。
だから彼女は、新しい家族を求めた。
そこで猫を選んだ理由は、昔飼っていたのか、それともいなくなった同居人が何かしら猫と縁でもあるのか、そこまでは知りようもない。
「まあ、普通に考えるなら旦那との死別かな。歳が歳だし、老々介護みたいな状態だったのかも。葬式の記録とか調べればその辺もわかるかもしれないけど」
「そんなことを調べる必要はありませんよ。依頼は達成したんです。私としては少し複雑というか、消化不良感もありますが、探偵としてすべき仕事は完了しました」
そう、これはあくまでも俺の妄想だ。ひょっとしたら、本当にあの猫が偶然本物の探し猫だった可能性もあるし、偽物だったけど気づかなった可能性もある。
けど、それじゃ猫嶋が納得しないから、俺が適当にでっち上げた作り話だ。探偵助手の仕事とは到底言えないな。
やはり俺は日陰で一人、コソコソとしているのが似合っている。
「さて、これで一件落着です。悔しいですが、今回は私の負けですね」
「……いや、私も勝った気はしないよ。依頼内容を勘違いしてたみたいだし」
「なら、引き分けで手を打ちましょう。今回の勝負は勝者なし……いえ、勝者は枯芝さんですかね」
「……俺が? 俺はただ連れ回されただけで────」
「まあまあ、ここはひとつ、勝利を預かっておいてください。次回の依頼の時に取りに来ますから」
「ああ、そう……?」
え、それってどういう意味だ? 次回があるのか?
「そろそろ部室……じゃなくて、事務所に戻りましょう。もしかしたら、もう次の依頼が来てるかもしれませんからね」
「そうね。次こそは私が完全な勝利を収めてみせるわ」
「エイリのやり方を認めるわけにはいきません。今度は私が勝ちます!」
そう言って二人はバチバチと火花を散らしながら、学校へと戻って行った。
時刻はもう五時を回っていて、だいぶ日が傾いてきている。グラウンドで絶叫していた野球部員たちも、そろそろ泥だらけの練習着を脱いでいる頃合いだろうか。
「……ま、今日のところは帰るか。また明日から頑張ろう」
次の活動に向けて燃え上がっている二人の探偵を背に、俺は帰路へ着くことにしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます