第44話 「宋襄の仁」考(2) 解釈の歪みに対する一考察


そもそもこの故事、原典たる「春秋左氏伝」においては単発のエピソードではなく、襄公が「我欲」から会盟の盟主を目指した事に始まる一連の失敗譚の結末、としての意味合いを持つ話になっています。

そして並行して語られる公子目夷らによる「予言」や批判という構成を見ても、「左氏伝」の筆者が「襄公が分をわきまえず己の野望の為に盟主を目指し、必然の結果として破滅した」という様な評価の元に叙述を行っているのは明らかだと思いますが、果たしてそれは本当に妥当なのでしょうか?


確かにいわゆる「五覇」に挙げられるような国々、即ち晋・楚・斉・呉・越の様な超大国・大国と比べてみれば、宋は間違いなく格落ちの中堅国家であり、一見正しい様にも思えます。

ですがそれは、晋・楚を始めとする天下の主要国が常時参加する様になった時期の会盟で行った場合ならともかく、この頃の会盟に対するものとしても適切と言いえるのか。

私にはどうにも前者の国際会議的な会盟のイメージに引きずられ、初期の会盟が「勃興著しい楚や跋扈する異民族に対する、中原諸国の安保同盟的な色彩を多分に持っていた」という面を忘却ないし軽視した見方に思えてなりません。

そしてこうした状況を勘案すれば、この時に襄公が盟主になろうとした事は、当時の参加国中での第一人者的立場という責任感からも、単独で楚に対抗するのは厳しい以上会盟が重要という政略的・軍事的側面からも、むしろ宋の君主としては当然の行為であり、これを我欲や虚栄心によるものと断じる方にこそ問題があるのではなかろうかと…

そんな事を考えて行くと、結局「宋襄の仁」の解釈が妙なものになったのは、要は「春秋左氏伝」の成立に関わった儒者がこれらの要素を十分考慮せぬままに、ただ表面に現れた事象をしたり顔で解釈した事による歪みがもたらしたもの、という風にも考えられるのでは無いでしょうか。


史書等の記述を見ていても、学識は充分ある筈の方が史実に対し、当時の状況を無視した非現実的な批評や意見を述べたりする事は、別段珍しいものでもありません。

この「宋襄の仁」という事例も、基本的に軍事に暗く、往々にして現実政治にも疎い方が少なくない「儒者」というフィルターを通したが故、結果として妙な事になってしまったものの一例の様に私には思えてしまうのですが、さて。

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