第43話  「宋襄の仁」考(1) 拭えぬ違和感


春秋時代のエピソードで故事成語にもなっている「宋襄の仁」という話があります。

無用な情けを掛けたが為に酷い目に… といった主旨のものですが、いつからか、私はこの話に違和感を感じる様になりました。

なにせこの故事が成り立つには、「目の前で隙を見せた楚軍に対し、正々堂々に拘った襄公がそれを見逃した」という、双方がまずい事をやったという「事実」が前提として無ければならないと思うのですが、この当事者達がそんな戦をやる人物なのだろうか、と。


何しろ敵軍の前で迂闊に川を渡り、渡河後も布陣に手間取って隙を見せたとされる「間抜け」な楚の王は誰かと言えば…

武王・文王の後を受けて楚の拡大路線を推し進め、46年に及んだ治世の中で数多の国を滅ぼし領土を広げ中原を窺った歴戦の猛者。南方の超大国としての楚の礎を築いたと言って良い成王です。

最後に些か味噌をつけたとは言え、この方を無能や戦下手と評する方はまずいないでしょう。


そしてそもそも、楚軍の見せた隙を「君子の道」などと寝惚けた事を言って見逃したとされ、兎角「間抜け」の印象を持たれがちな宋の襄公はどんな方かと経歴を考えて見れば…

斉の桓公の盟友として会盟を支えつつ、自国も長年大過なく治めており、あの管仲に見込まれて斉の太子の後見をも託されていた君主です。

実際桓公没後の斉の内乱時には、諸侯を糾合して斉軍を撃破し見事騒乱を鎮めて見せた様に、とても無能とも戦下手とも思えません。

もし固有名詞を使わずこの経歴を示し、「この中で『宋襄の仁』で名高い君主を選んで下さい」という問題を出せば、知らずにこの方を選ぶ人はまずいないのではと思います。



無論、どんな人物でも信じられぬ様な愚行を犯す事は、歴史上幾らでもあります。

しかし「百戦錬磨の成王が油断から間抜けな采配を繰り返してしまったのに、戦上手の襄公も魔が差しつい見逃し続けてしまった」などという奇妙な話を真に受けるよりは、何かこの故事の解釈に根本的に問題があるのでは、と考える方が自然ではないでしょうか。

そもそも「戦場で故意に隙を見せる」など、敵軍を引きずり込む典型的な「誘い」の手段なのですから…

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