第40話 源実朝暗殺事件考(2) 北条と三浦の対立は無かったのか?

そもそも素直に考えれば、この時点で実朝と義時が消えて得はあっても損は無い人物として、また元々乳母夫であり子が門弟にもなっていたという公暁との深い関係といい、事件の黒幕は古くからある説の通り三浦義村、と捉えるのが一番自然では無いかと思います。

にも関わらず「公暁単独犯説」を推す人が少なくないのは、要は「北条と三浦がこの時点では対立している証拠が無い為、義村は黒幕としては不適当」という認識がまずあり、その観点から突き詰めた結果押し出されて… という面が強い様な気がします。

ですがそもそも「この時点での北条と三浦の対立」というのは、そんなにあり得ない事なのでしょうか?


確かに私も、この時期の両者の明確な対立の記録は見た覚えがありません。

しかし方や相模を地盤とする大豪族、方や幕政への進出と共に相模に勢力を伸ばしてきた新興勢力。

そんな背景を考えて見れば、この両者が友好関係にあったというのは、あくまで婚姻や協調アピ-ル等の両者の不断の努力あってのものであり、潜在的には対立関係を多分に孕んでいた、と考える方が間違いなく自然であるかと思います。

そして義村の様に目先の利く人物であれば、時が経つ程両者の力の差は開いていき、やがては何らかの形で屈服せざるを得ないのでは、という危機感も当然持っていた事でしょう。

そんな時、不意に実朝と義時が同時に無防備になる好機が訪れ、手元には公暁という大成功した時は「大義名分」に、失敗した時は「生贄」にと、攻防共に使える格好の「手札」があったのであれば… 今現在の友好関係など、行動するのに何ほどの枷にもならなかったのではないでしょうか。


結局の所この事件、左程深い理由や背景があるものでは無く、「北条と三浦の潜在的な対立関係」「三浦側の将来への危機感」「千載一遇の好機と絶好の手札」という条件が揃った中で、ごく自然な流れで起きた事件。

私としてはそんな感じで捉えているのですが… さて。

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