第38話 「道鏡事件」の怪と、ある推察

歴史上の出来事で史実と世間一般のイメージが乖離している事は良くありますが、中には乖離している事自体は判っても、実際の状況が良く掴めない事もあったりします。

少なくとも私にとっては、いわゆる「道鏡事件」がその一つです。


一般には「皇位簒奪を企む怪僧・道鏡が云々」といった形で語られる話ですが、少し考えてもおかしな事だらけな上、調べてみると猶更良く判らない事が多いので。

そもそも「事件の張本人」たる道鏡が、死罪はおろか流罪ですらなくただの左遷(菅原道真の様な権官付きの「実質流罪」ですらない)で済まされているのが不可思議ですし、一方で「共犯者」たる彼の弟や弟子ら道鏡一派が軒並み流罪を喰らっているのも、訳が分かりません。


何にせよこれらの事実から、新政権が「道鏡本人より周囲に問題があった」「道鏡本人には危険性は無い」と認識していた事は推断出来るかと思います。

少なくとも彼が本当に「天皇を篭絡して国政を壟断していた」様な人物ならば、坂東に左遷するなど正気の沙汰とも思えませんので。


その事を踏まえ考えていくと… 案外道鏡本人はまともで世俗に興味の薄い只の高僧であり、称徳天皇が彼に一方的に入れあげて高位高官を与え(イメージ的には、新興宗教の教祖を妄信し、全財産を捧げる大金持ち)、また彼の周囲が本人の世俗への無関心をいい事に道鏡の名の元に好き勝手やっていた、というのがいわゆる道鏡政権の実態だったのでは、と推察してみるのが一番すっきりする気さえします。


そしてこの想像が正しければ、昔見た際あまりの持って回った言い回しに違和感を感じた、称徳天皇が彼に太政大臣禅師の位を授ける際の宣命(「禅師に高位を授けようと言えば辞退するだろうから、朕が勝手に授ける」云々)も、別に何の政治的意図もない只の事実、と理解出来たりもするのですが… さて。

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