第37話 「日本一の大天狗」考

「日本一の大天狗」。

これは源頼朝の後白河法皇評として有名であり、法皇の曲者ぶりを示すものとしても良く紹介される言葉かと思います。

しかしよくよく考えればこの評、どういう意図を込めて言っているものなのでしょうか?


そもそも「曲者」に対する評として、「古狸」「狐狸」呼ばわりする事例はよく見ますが、「天狗」呼ばわりというのは、正直聞いた事がありません。

というより、うぬぼれ屋に対する罵声以外での「天狗」呼ばわり自体が良く判りませんし、ここでの「天狗」も引用されている「玉葉」の文脈からして、その意味とは到底思えません。

そう考えていくと… この「大天狗」呼ばわりは、他では用例の見られない「曲者」の様な意図で捉えるよりも、もっと虚心に、世の中を乱す怪異としての天狗を意識しての言葉、として捉えた方が自然なのではないでしょうか。

要は…

「貴方の無定見と権力欲こそが、世の乱れが一向に収まらない原因でしょう。それを自覚していますか? えっ、世を乱す天狗の大親分様よ!」

といった感じの意味を込めた悪罵ではなかろうかと。



思えば頼朝と言えば、自分の命に反し義経と共に自由任官した御家人達へ、書面で雨あられと痛烈な罵詈雑言を浴びせた事でも名高い方です。

「ネズミ眼」「ガラガラ声」「ふわふわ顔」等の身体的特徴の揶揄から、「イタチに劣る」「大ぼらふき」「(俺に首を刎ねられないよう)首に金巻いとけや」「この道草食いが」「駄馬でも育ててろ」といった感情任せのものまで、ある意味感心する程多彩な悪口を力の限り…

これらの様な悪罵を、相手が相手だけにいざとなれば言い訳も出来るよう、何となく他の解釈も出来そうな余地を残しつつ仕上げたのが件の「大天狗」呼ばわり。

そう考えてみるのも、個人的には左程無理な解釈ではないと思っているのですが… さて。

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