第36話 後白河法皇の「力量」に関する一考察

後白河法皇とはどう評すべき人物なのか。

一般的には「老獪でしぶとい政治家」「常に武家の勢力均衡を図り策動する謀略家」といった、一筋縄ではいかない曲者のイメージが強い気がするのですが、個人的にはどうも関連する知識が増えていくにつれ、過大に評価され過ぎでは、という思いが強くなっております。


まず老獪と言うには… 策動が失敗した時の対応策など用意せず、幽閉されたり泡を食って不利な事項を呑まされたりを繰り返している事から見れば、その判断の甘さといい学習能力といい、とてもその名に値するとは思えません。

また度々失脚状態になってもその都度復活したしぶとさについても、法皇個人の力量というよりは、「院無しには政治が円滑に進まない」という当時の政治制度による面が大きかった気がしてなりません。

この辺りの事情は、平家政権が高倉院という別の「院」が誕生すると速攻彼を幽閉し、院が若くして崩ずると止む無く復権させた辺りに、端的に表れている気がします。


そして謀略家といっても… 精々誑かせたのは木曽義仲や源義経の様な政治経験の無い素人ばかりで(しかも幽閉されたり院宣を強要されたりと、結局御しきれてもいない)、二条親政派や頼朝の様な手強い相手には時間稼ぎや嫌がらせぐらいしか出来ていない様な気が。

そもそも平家滅亡後の頼朝との一連の交渉を見ても、「泰衡追討の院宣」や「将軍宣下」など、相手が喉から手が出る程欲しがる「商品」を持っている時でも、結局有利な取引を出来ずに後で安めを引く羽目になっている所などからして、その力量は高が知れたものでは無いでしょうか。



ただ信西が評した様に「暗主」と言い切るには、平治の乱や平家都落ちの際などの危機的状況で時折見せた「危険を察知する野生のカン」「素早く安全圏へ逃れる行動力」など間違いなく非凡な面がある方ではあり… 何とも総合的な評価に困る方でもあります。

ここはひとつ頼朝に倣い、「日本一の大天狗」とでも評しておけば良いのでしょうかね。

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