第33話 棚上げ・左遷の官職としての太政大臣

律令政治で最高の官職と言えば、制度上は太政大臣で間違いが無いでしょう。

しかしこちらも、摂政・関白とは違い律令に規定されている身分とは言え、やはり職分が明確ではない上に、高すぎる身分の為に原則として陣定には参加出来ないといったデメリットもあり、権勢家にとっては同じ様に危険な面を持つ官職だと言えます。

そして、摂政・関白が藤原北家(後には更にその中の御堂流のみ)という「選ばれた家柄の者しかなれない官職」という別格な地位を次第に確立したのに対し、この官職はいつしか位人臣を極めた人物の上りのポストや最高峰の追贈官職といった表の意味と共に、処遇に困る人物を棚上げにする、時には体のいい左遷のポストに、といった裏の意味をも確立していった様に思います。



藤原良房以降は長らく摂関経験者専用の上りポストだったこの官は、正暦2(991)年の藤原為光の就任を契機に、加えて政界の長老的存在を「上り」として任じる事例がちらほら見られる様にもなりました。

そして明確に「左遷」の意図を含む様になったのはというと… おそらく承暦4(1080)年に内大臣・藤原信長が、摂関争奪戦に敗れた後長らくサボタージュを決め込んで出仕しなかったにも関わらず一足飛びに太政大臣に「昇進」したのが先駆では無いかと。

彼の息子達が公卿にすらなれず、家系としても没落してしまった事は、その証左と言えるでしょう。

実際正治元(1199)年に藤原頼実が右大臣から太政大臣に「昇進」させられて憤激し騒動になったのも、本人は元より周囲もその認識を無理からぬこと、と見たからだろうと思いますし。



本来は名誉な事である親王宣下も、源兼明の様に事実上「政界からの排斥」に使われた事例がありますし、こういった官爵を巡る政治的駆け引きや裏の意味の醸成というのも、実に興味深いものがあります…

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