第32話 藤原能信の「目的」考

藤原能信。知名度は左程では無いものの、非藤原腹の皇太弟を擁立し、20年余に渡りそれを堅守。結果として院政への「種」を守ったという、歴史に確かな爪痕を残した方と言えます。

行動力と胆力に秀でた優秀な人物である事は間違い無さそうですが、何を考え、何を望みあそこまで尊仁親王ら非主流派皇族の擁護に尽力したかというと… 正直考えて見てもあまり納得のいく答えは浮かびません。


摂関の座に野心を… というのが真っ先に浮かびはしますが、彼の序列が兄弟間で5番目だった事を考えれば、もし無事尊仁親王の即位までこぎ着けたとしても、上東門院が睨みを効かせている限り、彼がその座に就くのは至難の業だったでしょうし、それが判らなかった方とも思えません。

摂関家を倒すため… というのは彼のもたらした「結果」がそれに結び付いただけであり、彼の目的としては荒唐無稽と言い得る話だと思います。

かといってただの意地や反骨で片づけるにしては… 結局「44年位階共に無昇進」と干され続けても節を曲げなかった事を考えても、さてそこまでの原動力になるかという疑問も。


今の段階では、「特に目的があった訳では無く、ただ義理ある人に頼まれ、承諾した事を全力でやり続けた結果」という、当人の任侠的な気質が一番の要因では無いか

という、ある意味とんでもない仮説が一番正しそうな気がしているのですが、さて…

彼を主人公にした小説のタイトルではありませんが、まさに「望みしは何ぞ」と言いたくなってしまいます。



それにしても、20年守られた当の尊仁親王(後三条天皇)より、その子である白河院の方が彼に深い敬意を表しているのは、なかなか興味深く思います。

おそらくこれは両者の性格というより、「能信の貢献」に対する理解度の差ではないかと思われますので。

要は長年の尽力にただ感謝した父に対し、院の方は日陰と頂点の両方を体験したが故に「最高権力者に20年盾突く」事が如何に至難な事であり、自分がどれだけ得難い恩恵を受けたかという事を正確に理解出来たが為ではないでしょうか。


傲岸不遜な逸話に事欠かぬ白河院が、人に彼の事を語る時は常に「大夫殿」と敬称を付けて呼んだという硬骨漢・藤原能信。色々と興趣の尽きぬお方です。

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