第29話 藤原道長 ~摂関政治を極めた男~

藤原道長が摂関政治の全盛期を築き上げた、という事はよく知られていると思いますが、その20余年に渡った政権期の大半が右大臣・左大臣という立場で、摂政になったのは最後の1年余に過ぎない(関白にはなってすらいない)という事については、案外知られていない気もします。

結構前の話ではありますが、かねてより気になっていたこの「不可思議な事実」について少し調べてみた事があったのですが… 結論から言えば、要は「摂政・関白の地位それ自体には大した権限は無い」というのが理由の様です。



天皇代理たる摂政、天皇代行たる関白。共に臣下の域を超越した最高峰の地位である事は、確かに間違いないでしょう。

しかし同時に、共に令外官という律令に規定されていない官職であるため、「万機を総覧する」といった感じの漠然とした職権の上、高過ぎる地位故に実務を討議する陣定にも原則参加出来ない(但し、決定に対する拒否権はあり)という、小さからぬ弱点を抱えているのもまた事実です。

要は… 実力者がその地位に就けば「万機を総覧する」職権を理由にあらゆる事に公然と介入出来るのに対し、力の不十分な者が就くと「貴方の職務は『万機を総覧する』事ですから、このような瑣事に口を出されますな」と体よく棚上げされかねない、ある種危険な官職とも言えるかと。



結局道長が何度となく天皇に要請された摂関への就任を固辞し、左大臣という地位の方に固執し続けたのは、一条・三条天皇という自分が完全にコントロール出来ない天皇に対しては、名誉はあれど漠然とした権限の摂関よりも、律令を盾に確実に実務を牛耳れる大臣を選んだが為なのでしょう。

そして後に後一条天皇即位と共に摂政になったのは、天皇との間に「外祖父」という絶対的な関係性を確立した事で、コントロール出来る確信を持てたが為ではないかと思います。


「小右記」に道長が藤原実頼(「名ばかりの関白だ」と日記で自嘲した人物)の事例について問い合わせた話が出てくる様に、彼は摂関の地位と摂関政治について、歴代のどの摂関よりも深く理解した上で着実にその権力を固め、遂には己が御堂流による覇権を確立したという、まさに「摂関政治を極めた男」と呼べるのではないでしょうか。

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