第28話 平清盛の出生問題に対する一考察

「平清盛は白河院の落胤」というのは「平家物語」で語られるお話ですが、果たしてそれはどの程度の信憑性があるものなのか?

以前は異例の出世を遂げた人物に対し良く出てくる、やっかみ交じりの雑説の類という認識で、正直論ずるに足りない話としか思っていなかったのですが… 「清盛以前」(平凡社)という本を読んで以来、案外真実ではなかろうか、と考えを改めました。

この本は、タイトル通り清盛以前の伊勢平氏の興隆について、その父・忠盛の活動を中心に様々な面から論じたもので、清盛の出生については忠盛の家族に触れた一節でほんの3P程述べているだけなのですが、添付されている「平氏主要人物の位階昇進状況」という表が、何とも衝撃的なものでしたので。


清盛の昇進速度が父・忠盛より遥かに早いのは、平氏の家格上昇を考えればむしろ当然であり、何ら不思議な事はありません。

ですが、それが自身の嫡子・重盛よりも早く、ましてや参考として附されている同時代の大・中納言の公卿クラスの子息と同等かそれ以上となると… まさに著者が述べられているように「家格がほぼ絶対的な意味を持っていた貴族社会で、これを合理的に説明する理屈は清盛落胤説以外にはちょっと見当たらない」としか。



院政期について見ていると、院自身のみならずその寵愛を受けた院近臣達が、「夜の関白」の異名をとった藤原顕隆の様に、時に摂関家をも凌駕する実力者として権勢を振るう例も出て来ます。

ですが例え実力では相手を凌駕しようとも、その多くは権中納言、良くても権大納言どまりであり、位階や官位でも相手を凌駕する… などという事はありません。

そんな、専制君主化した院にすら意のままにならぬ、伝統に守られた「官位・家格の強固な壁」が厳然と聳え立っていた当時の状況を考慮すれば、清盛の、特に十代での位階の昇進ぶりの異常さは決して軽く考えられるものでは無く、私には白河院が彼を「落胤」と認識し、貴族社会もそれを暗黙の了解として受け入れていた証拠に思えてなりません。


またもしこれが事実だとすれば、私が以前より感じていた、異母弟頼盛(忠盛の後妻・藤原宗子所生)が後々まで清盛に対抗とも言える微妙な姿勢を取り続けたのは何故か、という疑問に対しても、頼盛に「兄は院の落胤であり、家督は継いでも血は継いでいない。我こそが伊勢平氏の真の嫡流なのだ」という意識があったからでは、という感じで理解出来る気がするのですが… さて。

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