第27話 子産と孔子の関係に対する空想的一考察
私が「論語」や「左氏伝」を読んでいてふと疑問を感じる事の一つに、「何故孔子は子産をあれ程手放しに称賛するのか」と言うものがあります。
無論子産の政治家としての能力や実績が称賛に値するのは間違い無いのですが、彼の法治主義的な政治、ことに成文法の一件のみをもってしても、孔子の政治信条からすれば本来大きな反発があってしかるべきもの。
通常なら業績を称賛はしても、菅仲の場合の様に付け加えて批判的な事を言う方が自然に思いますので…
正直、理詰めではどう考えても解は見つからなそうですが、案外答えは単純で、「史記」の記すどう考えてもあり得ない与太話、すなわち「孔子が鄭を訪れた時、子産と兄弟の様に親しく交わった」という話に交じっている一片の真実にあるのかな、と。
方や天下に名だたる一国の宰相、方やまだ何者でもない二十代の若者。
社会的地位が隔絶している上所属する国すら違う両者にそもそも接点自体無かろう、と考えるのが自然ではありますが、一つの可能性としては、郷校という舞台が挙げられるやも知れません。
古代の村の学校である郷校。時に人々が勤めの後で集い、政治を議論する事もあった場であり、子産が「郷校での議論はわが師である」と重んじた話が「左氏伝」にも出てきます。
これに孔子の詳細不明な二十代についての一説、「周に遊学していた」(そして鄭は周の隣国)という話を掛け合わせれば… お忍びの子産と遊学中の孔子が郷校で邂逅した、という可能性があり得たのでは、と。
たまたま出会った謎の老君子に教えと激励を受けて発奮する若き日の孔子。
更に老人が去った後、近くの男にそっと「兄さん、運がいいねえ。あの方はお忍びの宰相様さ」と教えられた。そんな出来事がもし実際にあったとすれば… それは孔子にとって生涯忘れ得ぬ思い出になった事でしょう。
そんな空想をつらつらしていくと、孔子の子産評が業績を基にした人物評だと思うから違和感を感じるのであり、昔会った事がある偉人を回想しつつ評したものと解釈してみれば… むしろ納得いく様な気がします。
まあ思えば、そもそも訃報を聞いて「古の遺愛あり」と称えて涙を流した、というエピソードからして、一面識もない相手にそこまで反応するか、という気も致しますし。
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