第22話 終わり悪ければすべて悪し… ~六角氏の場合~

先にローマ帝国を「終わり良ければ全て良し」の題材に挙げてみましたが、実際歴史を見ていると、この言葉は逆説的な意味で実感する事の方が多いかも知れません。

例えば日本の戦国時代を思い起こしてみても… 陶晴賢しかり、今川義元しかり、後北条氏しかり。

最後の失態・敗退で、それまでの業績がまるで無きものの如く、全てが妙に舐めて見られてしまう事例の、なんと多い事やら。

今回は昔からそう思ってはいたものの、知識が増えるにつれ、より強く感じる様になったものとして、近江の六角氏の事例を挙げてみようかと思います。



六角氏というと、信長上洛の際にまさに鎧袖一触という感じであっさりと敗れた事と、北近江の浅井氏の方が信長の妹や秀吉らとの絡みもあり名高い為か、ともすれば弱小勢力だった様な印象を持つ方が少なからずおられる気がします(あるいは何故か伊賀の弱小大名扱いにしていたゲーム「信長の野望」の影響の方が大きいかも知れませんが)。

されど、その惨敗は上洛戦の5年前に起きた「観音寺騒動」という内紛により半ば内部崩壊状態だった為であり… この一挙だけで、六角氏が鎌倉幕府創成期より400年近く近江に勢力を張っていた近江源氏・佐々木氏の嫡流である事や、戦国前期に管領代・六角定頼(当時の当主義治の祖父)が足利義晴政権の後見的存在として、近江のみならず畿内の政局にも多大な影響力を持っていた事なども、まるで無かったかの如く知られていないのは、ありがちとはいえ悲しく思ってしまいます。



もっともその栄光も、佐々木道誉の活躍により有力守護の一角にのし上がった分家の京極氏に対し、室町幕府創成期より後塵を拝し続けた後に訪れた、束の間の全盛ではあったのですが… それらの浮き沈みをも含め、六角氏はもっと知名度と評価を得てしかるべき、と思って止みません。

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