第21話 ローマ帝国(通称ビザンツ)の滅亡を飾った男

「終わりよければ全てよし」

この言葉に相応しい事例は歴史上でもままあるでしょうが、私が真っ先に思い浮かべるものと言えば、やはりローマ帝国(通称ビザンツ)の滅亡になります。


文字通りの千年帝国の滅亡。とはいえ盛時からすれば見る影も無く、半世紀程前には一時オスマンの属国の様な状態にまで落ちぶれていましたし、最末期の領土も帝都近辺とギリシャの飛地とエーゲ海の島々くらいしか無かった名ばかりの「帝国」の滅亡が、明らかに存在感以上に歴史的事件として語られるのは何故か。

無論当時の迫り来るオスマンの脅威や、由緒ある帝都・コンスタンティノープルが異教の手に落ちた衝撃、といった理由もあるでしょうが、そこには最後の皇帝の個性による部分も、決して少なくないのではないかと。



帝国最後の皇帝・コンスタンティノス11世。

兄の死を受け帝位を継ぎ、在位は足掛け5年。10万のオスマン軍に迫られても帝都の明け渡しは断固拒否し、正規軍・傭兵ひっくるめて1万余の寡勢で二か月余り戦い抜いた後に城門が破られると、高らかな叫びと共に皇帝の装束を脱ぎ捨てて剣を抜き、乱軍の中に飛び込み靴一足を残し消えた皇帝…

自ら最も防御力の弱い門で陣頭指揮を取り続けたその奮闘と壮絶な最期は、明らかに帝国の最期に対するイメージにも影響を与えているのではないでしょうか。



私の私淑する宮崎市定氏が「既に王朝の命数が尽きた段階で出た名君は、反ってその滅亡を早める」という主旨の事を述べておられましたが、確かに彼の行ったペロポネソス半島での領土拡大策や亡命王子を使ったオスマン牽制策、更には西側の支援を期待しての東西教会合同などは、結果としてそういった面もあるかと思います。

また、実際帝都をオスマンの要求に従って明け渡せば、もう暫くは残った領土で「帝国」の旗を掲げ続ける事も出来たでしょうし、彼以外であったらその選択を選んだ可能性も十分ありえた気もします。

ただその場合、その後遠くない後に起きたであろう「帝国の滅亡」は、決して現在語られる程大事扱いもされなかった事でしょう。


そういう意味でこの皇帝は、まさに千年帝国の最後を飾る為に配された。

そのあまりに腹の据わった一連の行動を見ると、個人的にはそんな感さえあるのですが、はてさて…

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