第17話 足利義教の「中央集権化」の功罪

先に世間的に高く評価されていても、自分ではその評がピンと来ない例として始皇帝を挙げてみましたが、似て非なるものとして、その評価がむしろ的外れではないかと感じる人物の一人に足利義教という方がいます。

時折「中央集権体制を目指した先駆者」といった風にやたらと高く評価する向きを、特に学者以外の方から見る気がするのですが、どうにも違和感が…


兄の没後、神前での籤引きにより室町幕府6代将軍となり、中央集権化を推し進め諸大名抑圧や鎌倉府討滅等で成果を上げ、幕府の専制君主として君臨するも、有力守護の赤松満祐により道半ばで暗殺された。

ざっくり書くとそんな感じの経歴の方ですが、さて、その行為は果たして本当に評価に値するものなのでしょうか。

私の主観では、むしろこの方こそ幕府衰亡の立役者、と思えてならないのですが。



室町幕府衰亡の原因というと、一般的には8代将軍・義政の無定見や無策が応仁の乱を招き云々、といった話になる事が多い気がします。

無論それは一面の真実でしょうが、しかし問題の大元を辿っていくと、むしろその父たる義教の数々の行動こそが遠因であり、義政はその負の遺産を受け継いだ、という面も決して小さくないのではと。

そもそも義教の「功績」とされる将軍権力強化からして、裏を返せばこれまでの幕府を支えてきた有力大名の合議制というシステムを破壊した上での物ですし、更に言えば軍事力の裏付けに乏しい、権威頼りの中央集権化など、砂上の楼閣に思えてなりません。

ましてやその過程で行った多くの大名に対する粛清や家督への干渉(ある学者の言によれば、その魔の手を逃れた有力大名は細川・赤松のみとか)と、その横死後の管領・畠山持国(自身も被害者の一人)のリセットによる混乱を考えれば、功罪は明らかの様な…


また鎌倉府討滅にしたところで、反抗的な鎌倉公方・持氏に鉄槌を加えるまでは、ある意味歴代将軍の残した「宿題」を片づけたものとして評価出来るにしても、関東管領・上杉憲実の嘆願を無視してまで強行したその抹殺は、感情面での行動では無く、その後の展望をしっかり考えてのものだ、と言えたものやら。

管見の限りでは当座は憲実にぶん投げ、将来的には自分の息子でも新たな公方に据えればよかろう、といった大雑把な「将来像」程度しか持っていなかった様にしか見えぬのですが。



まあ身も蓋も無い事を言えば、いちいち行動を吟味する以前に、自分の感情を抑制出来ずに表に出す面からして統治者としては二流であり、順当な帰結として横死を遂げた方として、どうにも良い点は付けられぬというのが私の評価です。

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