第16話 軍人皇帝時代への興味と消えぬ疑念

私は日本・中国史を主としつつも、西洋史の方にも興味はあるので、時折読んだり調べたりする事もあるのですが、その中でもやはり「ローマ帝国」という存在には、色々と心惹かれるものがあります。

そしてその長い歴史の中でも、ひと際興味深く思う時期の一つが、混沌の極みとしか表現しようもない軍人皇帝時代(235~284)になります。



僭帝は帝国各地に雲霞の如く現れ、宿敵ササン朝や周辺蛮族も相次いで領土内に侵入、疫病や異教も跋扈し… などと「三世紀の危機」の名は伊達では無い混乱ぶりなのですが、それをある意味最も顕著に示すのが、この時期の皇帝達の様子です。


〇ほぼ半世紀の間に、元老院が正式に公認した皇帝だけで26帝(僭帝を入れれば、優に倍以上)

〇自然死出来た皇帝は最大でも3帝(確実な病死2、殺害疑惑1)、部下による殺害は少なくとも15帝(最大+3の可能性あり)

〇1年に最大で6帝が横死(部下が殺害4、戦死1、自殺1)


これらの数字だけでも、その混沌振りは十分伝わるのではないかと。



正直こんな大混乱をよくもまあ収拾出来たものだ、そもそもよくローマ世界そのものが崩壊せずに済んだなあ、と呆れるやら感心するやらなのですが… それと共にいつも感じてしまうのは、この混沌を収拾して「四分統治」という新秩序を形成したディオクレティアヌス帝の功績は正当に評価されているのだろうか、という思いです。


むしろ過大気味にすら感じるコンスタンティヌス帝辺りの評価と比べると、どうしても「所詮キリスト教を弾圧した異教徒の人非人」、といった功績外の偏見から軽く見られている面があるのではないか。

先に「大帝論」でも少し触れましたが、ついついそう穿ちたくなってなりません。

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