第11話 いわゆる「鹿ケ谷の陰謀」に関する一考察

平清盛が権勢を振るっていた時期に起こり、世に大きな衝撃を与えたものとして、後白河院とその近臣達が平家打倒を謀議するも多田行綱の密告によって露見し、関係者多数が処分された「鹿ケ谷の陰謀」と呼ばれる事件があります。

この事件について、以前は「無謀で杜撰な計画がばれたもの」程度の認識で、特に深く考えてみる事も無かったのですが… あらためて「平家物語」の該当部分を読んだり当時の状況を考えてみると、これは「陰謀」というよりも、ささいな出来事に因縁をつけて陰謀に仕立て上げた「政変」、と捉えた方が良いのでは、という思いの方が強くなってきました。


そもそも「陰謀」発覚のタイミングが、気は進まねど後白河の命でやる羽目になった比叡山攻撃の直前という、あまりにも平氏側にとって都合の良い時期である事がまず不審ですし、なにより首謀者とされた藤原成親や西光があまりに無警戒で簡単に捕えられている事なども考え合わせると、正直信憑性は「吾妻鏡」での比企能員の乱の記述並みに胡散臭いとしか。

考えてみれば有名な「瓶子が倒れた」発言からの展開自体が、謀議というより「酒席での座興としての平家打倒ごっこ」ぐらいに捉えた方がしっくりする気がしますし、それは「首謀者」達も警戒なぞしていなかっただろうな、と…


ただ、これが受益者たる清盛が主導したものかと言えば… 彼の西光ら「関係者」に対する乱暴な処分を見るにつけても、演技でというよりは、信用していた者達に裏切られた事に対する激怒、という色を感じる点に違和感が拭えぬ気もします。

そんな感じでつらつらと考えていくと、明証は無論無いものの、ふと思い浮かんだのは… この「酔っぱらいの座興」を「陰謀」に昇華させた仕掛け人は平時忠で、事件の真の標的も平重盛だったのではなかろうか、という考えです。



私は平時忠という人物には、高倉天皇擁立運動や平家滅亡後の義経への急接近に見られるように、「機を見るに敏で、思慮分別は浅いが行動力は抜群」といった印象を持っているのですが、本来は彼が藤原成親と縁戚関係にある重盛の地位に痛撃を加え、己が姉の子・宗盛後継への流れを作らんが為にこの事件を巻き起こしたものの、そんな案外私的な理由で引き起こされた事件が、色々と連鎖反応を起こし結果として世を動かす大事件に発展してしまった、そんな可能性もあるのでは、と…

どうも一度思いついてしまって以来、そんな可能性論がなかなか頭から離れません。

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