第5話 いわゆる「義経の悲劇」考  ~彼の常識と意識についての一考察~

源義経というと、最近は昔に比べれば多面的な視点で見た物も増えた気がしますが、それでも一般的には「大功を立てながら讒言によって兄に疎まれ、悲劇的な最期を遂げた英雄」といった印象がまだまだ強い様に思うのですが、私としてはその印象、ことに「悲劇」の部分が引っかかってなりません。


それこそ、鎌倉で「武士の自立」という困難な命題を果たすべく日々奮闘しているのに、兄弟風を振りかざして御家人達と揉めるは通達を無視して勝手に官位を貰うはと、武功と共に無思慮な言動を繰り返す弟に振り回され続けた兄の方が、余程悲劇的だとすら思う程です。

なおこの辺り、強く意識するようになった契機は、はっきりと覚えてはいないのですが… 司馬遼太郎の「義経」を読んだ事かも知れません。



結局の所、いわゆる「義経の悲劇」とされる事の大方は、彼の常識知らずが原因・遠因と言ってよいのではないでしょうか。

例えばこの時代、生母の身分差というものは大きく、義経の生まれでは弟とはいえども、家臣に近い立ち位置になる方が自然な立場かと思うのですが、「鎌倉殿の弟ぞ」と胸を張る彼に、そういう意識があった様には見えません。

その辺り、同じ立ち位置の兄・範頼の頼朝に対する言動は、まさに義経と対照的なのですが… これは両者の気質の違いもさることながら、根本的には受けた教育の差ではなかったかと。


また彼は、頼朝や鎌倉政権の奥州藤原氏に対する警戒や潜在的な敵意に関しても、正直自覚していたようには思えません。

鎌倉武士達は義経から一歩引いていた方も少なくない印象があるのですが、そこには彼を「秀衡の息のかかった者」と警戒した向きもあったのでは無いでしょうか。

例えば彼の郎党である佐藤継信・忠信兄弟にしても、その父が一角の地位を持っていた人物である事を考えれば、それこそ穿った目で見れば「秀衡の付けた軍監」と見られてもおかしくなかったのでは、と…

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