第3話 ローマ皇帝の事例から考える大帝称号の「資格」と「価値」
西洋史を見ていると、時折特定の皇帝・王に対し、「大帝」「大王」といった様に一段高い尊称で呼ぶ場合がありますが、その時にふと思う事の一つに、あれはどういう基準で付けているのかな、という事があります。
この件について、専門書や西洋の原書にはあるのやも知れませんが、少なくとも私の知る範囲では解説している本を見た事が無いので、東西分割以前のローマ皇帝での事例を元に、少し私見を述べてみようかと思います。
まず「偉大な功績のある君主に後世の歴史家が贈る称号」だと仮定してみると… 虚心に皇帝の業績のみを基準に考えた場合、
カエサル死後の内紛を制し、初期帝国の原型を作った初代アウグストゥス
混沌を極めた軍人皇帝時代を収拾し、後期帝国の原型を作ったディオクレティアヌス
この二人を外す事は考えられませんし、宿敵パルティア等数多の外敵を制し帝国の最大版図を築いたトラヤヌス辺りも加えて良いやも知れません。
ですが… 現実にはこの三帝が大帝と呼ばれる事は無く、ローマ皇帝でその称号を帯びるのは、業績では何枚も落ちる気がする(特に後者)コンスタンティヌス一世とテオドシウス一世のみです。
よって、この現実を基準にして考えてみると…
・キリスト教文化圏においては、キリスト教徒のみが有資格者。
・キリスト教への貢献は、他の事績の数十倍の価値がある。
といった選考基準が、公式か暗黙の了解かは存じませんが明らかにある、逆に言えばその称号の有無など我ら他国の部外者から見れば別に大した問題では無い、と言えるのではないかと思います。
なお、今回の考察の直接のきっかけは、以前ある本で著者が「フリードリヒ大王が大王と呼ばれる理由が判らない」といった趣旨のぼやきをしているのを見た際、そもそもそんなに「大王」が大した称号だろうか、と思った事でした。
まあ「大」の価値はどうあれ、私としてはプロイセンを欧州の一強国から、末席ながら列強の一翼にまでのし上がらせた彼の功績は、充分「大王」の名くらいには値すると思うのですが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます