第2話 光厳天皇除外考 ~事実と個人の妄想、何れが重きか~

昨日「南朝正統扱い」についての不満を述べてみましたが、この件に関連し私が最も憤懣を覚える事項として、更に光厳天皇の扱いについて記してみようと思います。


後醍醐天皇挙兵・敗北の後に、儀礼・神器等の面においても何ら疑いの余地も瑕疵もなく即位したかの天皇が、歴代から無道にも外された挙句、何故か北朝の初代扱いされる(尊氏が天皇として擁立したのは、あくまで弟の光明天皇)という、二重に不当な目に合わねばならぬのか、と。


まあその理由につきましては、要は後醍醐天皇の「朕は退位していない」という現実を無視した理念上の妄言が、彼の鎌倉幕府打倒という歴史的勝利のためにまかり通ってしまったとばっちり、という以外の何物でもあるまいと判ってはいるのですが。


後醍醐天皇以後の天皇の在位を、ただ事実に即して記してみれば

96.後醍醐ー97.光厳ー98.後醍醐(重祚)

以外に記しようは無く、これ以降に99.光明 以降の北朝歴代を繋げ、吉野落ち後の後醍醐以下四帝を「南朝天皇」として今の北朝天皇のように番外で記すのが、私としては一番事実に即した真っ当な記載方法だ、と思えてなりません。

なお、このような主旨の文章を書かれているのは、狭い管見の限りでは未だに永井晋氏ぐらいしか存じ上げず。私が知らぬだけならば、嬉しい限りなのですが…


「事実と個人の妄想、何れが重きか」

光厳天皇のお名前を見る度にそんな言葉が頭に浮かぶのですが、さて、そんな馬鹿げた思いを抱かずに済む日が、何時になったら来ますものやら。

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