歴史夜話

@bunwa

第1話 今だに続いている「南朝正統扱い」への不満

私が天皇家関連の話題を目にするとき、「上皇后」等の奇天烈な造語も無論気にかかるのですが、一番もやっとした気分になるのは、何といっても「126代」という代数を見た時になります。

そう、一体いつまで「南朝正統扱い」に付き合わされねばならないのだろうか、と…


無論、北朝とて現在では、戦前の様に「逆賊足利尊氏に擁立された偽朝」扱いを受けている訳ではありませんが、それでも系図上でも歴代数の数え方でも、南朝の方が正統扱いを受け続けている状況に変わりはありません。


この件につきましては以前より不可思議に思い、南朝正統論にどれだけまともな根拠があるのか、というのも自分なりに調べてみた事もあるのですが… 結局のところは「後嵯峨院の遺志が亀山側にあった」(但し院没後、大宮院の証言)と「本物の三種の神器を擁していた」(但し、『園大略』等を見ても疑義あり)くらいしか、根拠らしい根拠は無いように思います。


果たしてそれは、まがりなりにも全国政権的な存在であった室町幕府に擁立され、しかも現皇室の直系の祖先でもあるという現実を無視してまで北朝歴代を排除する理由足り得るのか。

建武政権崩壊後は何度かの一時的な京都奪還や征西将軍府の活躍等で振幅はあれど、基本的には吉野の地方政権的な存在でしかなかった南朝を、あえて推し続ける程の理由足り得るのか。

正直控えめに言っても甚だ疑問ですし、そもそも現皇室に対しても非礼極まると思うのですが… さて、一向に改めようという議論すら聞かない気がするのは、どうした訳なのやら。



中国の後漢末の三国時代について、一般的には後漢→魏→晋という流れで正統王朝の年表を作りますが、習鑿歯という儒者は後漢→蜀→晋で正統王朝の年表を作ったそうです。

蜀滅亡から晋の誕生まで、数年ながら正統の空白期間が生じる年表(無論、現実世界ではその間、天下の半ば以上は魏の名の元に治められています)は、現実から乖離した妙な年表だと言う事が出来るでしょう。


さて、南朝正統扱いによる今の代数はどう評すべきものなのでしょうか…

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