第7話

「時間が経ったので、後ろの人からプリントを前に回して、回収してくださ~い」


 健気な、星乃宮ほしのみや先生の声が、教室に響き渡る。


 窓際に座っている俺は、前に人がいないため一、二歩歩いて前の席の人に渡す。


「ほい」


「おっサンキュー」


 と言って、受け取った男子は、さらに自分の分のプリントを重ねて前に渡していく。


 この班の窓際席は、厳密に言えば、前の方を座るのが正しい位置なのだが、結局どちらに座ってもあまり変わらない。


 席は前よりも、一番隅っこの方が好きだ。選べる席で教室最後方の窓際に座っているのは、ただそれが理由なだけで、特に深い意味はない。


 しばらくして、ちょんちょんと足を突かれる。きっとその相手は凪咲なぎさなのだろうと勘づく。


 最近凪咲のキャラクターがわかってきた……ような気がする。


 横を振り向くと、やはりそうだったようだ。何かと思えば、ノートの切れ端にこう書かれていた。


『教室に戻る前に、少しやりたいことがあるから、遅れて帰ろ?』


 何をたくらんでいるのか、全く想像もつかない。凪咲の事だろうから、よからぬことでも考えてそうな感じはする。


 次は、お昼休みか。


 なら、ゆっくり戻れるな。余裕があるし、しかも今日も一緒にお弁当だろ? ……これらを計算してたらちょっと怖いが。


 断る理由もないので、頷く。


 こうして、クラスのみんなと、少しずらして教室を出ることにした。


   ☆


「ハグしていい?」


 急になにを言うのかと思えば、こんなことだった。


 凪咲は、どんなことを考えてこんな事を言っているのか。今はそれが知りたい。


 少し前に何度か言った記憶があるけど、なんかごまかされているような気がしてならない。


 そして、関係は少し進んで、今更もう言うに言えなくなってきてしまった自分がいて、情けないな、なんて思い始めた。


 それは、この妙な関係が心地がいい、ってもあるかもしれないが本質はもっと違うところにあるのかも。


 凪咲なぎさは、移動教室から少し離れたタイミングで手首を掴み、早歩きになりながらそのまま一階に降りた。今は階段の物陰に隠れている。


 もうなんか、操り人形のようだなと感じる時も多くなってきていた。凪咲に振り回されているなんて言えば、どこからか怒られてしまいそうな声が聞こえてくるが、そんなことはどうでもいい。


 教室がない一階の廊下は、かなり静かだった。昼休みでもこんなに静寂としていて、時間が止まったような雰囲気なのは、新しい発見で新鮮。


 薄暗く、まともに光が入ってこない階段の始点であるこの場所は、とてもじめじめしている。それに加え、日が差し込まないので、ひんやりとしていた。


 時々乾いた風が吹き、こちらへ舞い込んでくる。それはむわっとしたこの空気を、逃がすようでとても気持ちが良かった。


 凪咲は、俺に近づき言う。


「透の匂い……好き」


 凪咲は目を閉じながら、俺の身体に両腕を沿うように密着させ、両手は顔の近くで猫のように丸める。そして凪咲自身の腕に寄り添うように身体を密着させた。


 俺は、気おされながらも反抗した。


「……めちゃめちゃ恥ずかしいからやめろ。……急にどうした?」


 凪咲をはがそうとするが、はがれてくれない。

 

 凪咲は「今は二人しかここにはいないよ? だから恥ずかしくても問題ないよね?」とか言いながら、より強く密着させてくる。


 今の状況が、客観的に気が付いた俺は、ドクドクと胸の鼓動が、大きくなっていくのがわかった。


 ときどき吹く乾いた風に甘い香りが乗って、鼻孔をくすぐる。気を張っていないと、雰囲気も相まって凪咲にすべて持ってかれるような、誘惑を漂わせるような、危険な香りだった。


「……寂しい。だから、このポッカリ開いた穴の埋め合わせを透でする」


 言いながら、顔をすりすりする。


「でも、今日は席隣だったじゃないか。特に離れるようなことはなかったし、あの時間も一緒にいたじゃん」


「……小日向さん。小日向さんと楽しくお話してた」


「それは、一緒の班だからな。逆に話さないと、全然楽しくないし実験も進まないだろ」


「……ふーん、そうなのね。それと、小日向さんとあたしと、あの扱いの差はなに?」


「それは――」


 瞬間、腕を離し腰に手を回されて、きつく抱き着かれた。


「おい。最後まで話を聞け」


「嫌だ。やっぱり聞きたくない」


 頭を横に振る。


 自分で聞いといて、聞きたくないってどういう思考してんだ。


 全然、話が読めない。


「それにしていいなんて言ってないぞ」


 ハグの事ももちろん、抗議する。


「このハグは、友達として。それなら、良いでしょ? ね?」


 良いわけがないが。返す気力もなくなり、もう時間で解決してくれ、と言わんばかりに成り行きに従うことにした。


 こうなると、凪咲は聞かない。


 ……しかし、今日の凪咲はかなり甘えてくるな?




「……ねえ、実験してみない?」


 しばらくの沈黙の後、凪咲はこう呟いた。


「なんの実験だ?」


「このまま関係を進めて……みない?」


 何を言ってるんだ?


 自分がなにを言ってるのか、わからないのか?


「凪咲、お前それって――」


「わかってるよ。……だから実験。実験であり、挑戦なの」


 俺に被せて、弱音を吐くように言った。


「あたしは透を……信じるから」


 どこか苦しそうな声音をしていた。胸がキュと締まるような感覚を覚える。


「でも、あたしは透にしか頼れないの。ここまで自分をさらけ出せたのも透だけだし。それに優しいし、一緒にいても一つも嫌な顔しない。だから、あたしは透を信頼してる。……だからお願い」


「……わかった」


 気が付けば、凪咲の頭を撫でていた。


 表情が緩み、にへへと笑っていた。


 手を止めた瞬間、廊下側から遠くなっていく足音を聞いてしまった俺は、なにか不穏に感じた。


 このまま、何も起きなければいいが……。


「ん? どうしたの?」


「いや、なんでもない」


 そう言って、そのあとは二人でお弁当を食べた。



____________________


 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

 励みになっております。

 ここで、ヒロインの凪咲ちゃんから一言あるみたいですよ?


「読者様。あたしたちに出会ってくれて、ありがとうございます! もし、『今後の展開が気になる!』や、『少し面白いかも……』なんて思っていただけていたら、応援や☆をいただけると喜びます!」


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