第4話

「私の目を……見て」


 昇降口から出た時、俺の横にいた翠川は言った。


 夕日に照らされた目は、キラキラと輝いていて、どこか幻想的に感じた。


「この目どう見える?」


「……楽しそうな目」


「ふふっ。なあに、それ」


 口元に手をやって、肩を揺らしていた。


「急にどうしたんだ?」


 変な事を聞くから俺は、素直に聞いてみる。


「どうもこうもしてない。ただ、案外悪くないなって思っただけ」


「何が?」


「ふふっ。それは秘密」


 なんかよくわからないなと思いながらも、一緒に学校を出た。


 今日の翠川はご機嫌だった。


 いつもは小難しい表情をしているのだけど、そんなものは吹っ飛んだかのように、パッと開いた華のようにニコニコしていた。


「翠川。今日は、なにかあったのか?」


「ん? ん~、特にないよ。しいて言えば……」


「しいて言えば?」


 悩みがなくなったかのような声で言った。


「男子からの告白がなくなったこと……かな? ずいぶんと気が楽になったよ」


 にへへと、笑いながら通学路を進む。


 若干肌寒い春の空気は、お互いの距離を無意識に近づける。


 翠川の歩くスピードに、歩幅を合わせ進む。


 桜の花びらが舞い、風の音だけが耳に触る。


 肩が、触れ合うかどうかわからないこの距離には、翠川の体温が少し伝わりほんのり温かく感じた。


 今のこの距離感で、仮なんて、信じる人はいるのだろうか。


 これは仮の関係なのだと思っていても、どこか本気になってしまう自分がいて、とてもよくない。


 ……都合のいい話は、自分で作り上げた妄想だ。


「あのさ。この際恋人らしい事を、もう少ししてみない?」


 タッタッタとローファーを鳴らし、俺の少し先に立って言う。


 振り向いた途端、制服のスカートがふわっと揺れる。


 恋人らしい事って、もうすでにたくさんしてるんじゃないのか?


 それに。

 

「……俺、恋人らしい事ってのがよくわからないんだけど」

 

 これは嘘。俺はこれ以上の発展を恐れている。


 正直恋人ごっこで、これ以上時間を使うのはごめんだ。


 でも、現実はそうもいかないらしい。


「そんなことなら大丈夫。あたしが教えてあげるから」


「じゃあ、どんなことをすればいいんだ?」


 ん~っ、と少し考えて、言った。


「苗字であたしを呼ぶの禁止。それとさん付けも禁止」


「それ、超恥ずいんだけど。呼べる気がしない」


 俺には結構ハードルが高い注文だぞこれ。


 本当に、呼べる気がしない。


 だけれど、翠川みどりかわ……じゃなかった。凪咲なぎさ……は食い下がる。


「じゃあ、今日から練習すればいいよ。まさにこういう状況の時とかさ」


 言いながら、踊るようにくるり、と身体を一回転する。


 凪咲は続けた。


「これから、下校の時とかも一緒に帰るつもりだし、いいよね? 青葉? 練習できる時間増えるよ?」


 そして、俺に近づき、何をするのかと思えば、


「ちょっ、翠川暑いって」


 俺の腕に抱きついてきた。


 ふわふわとした感触が右腕に伝わり、とてもいたたまれなくって、凪咲を冷静に見れなくなってしまう。


「ちょっ、言った先から、苗字で呼ばないっ」


 言いながら、俺の腕を更に強く抱きしめた。


 凪咲の胸に強く当たっている。いや、これは当てているのか?


 凪咲は、続けて言う。


「もう一度、呼んで? これは分かれ道に当たるまでの課題」


 そんなに、呼んでほしいのかと、思った。


 たかが、名前で、しかも好きではない〝彼氏役〟に。


 気が付けば、分かれ道なんて、もうすぐそこだった。


 分かれ道を過ぎてしまったら、どうなるんだろう。


 もしかしたら、今の関係はそこで終わってしまうのか。


 心の底で、なぜだか終わってほしくない、と叫んでいる気がした。


「……凪咲」


 俺は、発していた。三文字の言葉を。


 たとえ、仮の関係でも、終わってほしくないと思っている俺がいた。


 ニコッと、笑みをこぼして俺を見る凪咲の姿があった。


 そして言った。


「やったっ。呼んでもらえたっ。嬉しいな。これからたくさん練習していこうね」


 頬が熱い感覚があった。


 バレたくなかった俺は、隠すように左側を向いた。


 ……でも、こんな日常は悪くない。


 凪咲が、笑顔ならこのままでもいいとどこか思う俺がいた。

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