4日目
「はぁ…掲示板に不審な書き込みねぇ」
上司の細田は耳掻きで自分の耳を掃除しながら私を睨んでいた。
「お前、間に合わないからってとんでもない言い訳してくるなぁ」
私は昨日、井川から聞いた掲示板の謎のコメントについて説明した。掲示板を制作したのが、別会社の事とその不審な書き込みをどう対応するのか、を上司に相談したつもりだった。
だが、細田は信じる事もなく、面倒臭そうに私の話を聞いていた。
「お前にしてはめちゃくちゃなこと言うな。でも納期が間に合わないなら何で本当のこと言わないんだよ」完全に私の事を信じてはいなかった。無理はない。私も最初は信じてはいなかった。
「いえ、なので、まず一旦調査が必要かと思います。このピースカンパニーという会社にこのコメントの事を聞きたいので、納期を変更していただきたいです。」
「お前ら大丈夫かよ。坂枝チームは仕事出来ると思ったのにこれだもんな。頼みの内海ちゃんも今日休みだしよ」
結局、細田には邪険に扱われ、「納期は守れよ」と念を押されてしまった形だ。
ここに来て内海も出社はしておらず相談が出来なかった。
「内海さんまだ来てないんですか?」井川が心配そうに私に尋ねる。細田からの嫌味を言われながら、私は自席に戻った。
「お!姉さんから連絡きた!」鴨田が嬉しそうに自分のモニターを見ながら私の方を見た。
チーム内のチャットツールに連絡が入っており、昨日飲み過ぎのため出勤が遅れるらしかった。どうやら彼女は本当に合コンに行ったようだ。
「とりあえず内海に相談できるな、よかった‥」私は安堵したが、果たして掲示板削除業務の進捗を彼女が理解してくれるのだろうか?こんな都市伝説な話を信じてくれるのだろうか、不安の方が大きかった。
「内海さん出社されるのですね、良かった。坂枝さん、もうこの際本当のことを話したほうがいいと思います」井川の焦りが伝わってくる。私は腹をくくる事にした。
内海が出社したのは、お昼前のことだった。別チームのデスクはポツポツと昼食を取りに出ていて、オフィスは静かなものだった。そんな中、内海は堂々と出社をした。自席に鞄を置き、細田のデスクへ向かい、事情を説明していた。何やら細田は楽しそうに内海と話をしているように見えた。
話が終わり、内海が自席に戻りPCの電源を入れた。ふぅとため息を大きくつき、私を見た。
「ほんと、あいつ気持ち悪いわ」
「小言でも言われたのか?」
「それならまだいいよね。体調不良で遅れるって伝えてたんだけどさ、生理休暇で寝ててもいいんだよ?まぁイライラするなよ。だってさ!気持ち悪い!」内海は細田を横目に小声で話した。怒りの語気が含んでいた。
「なんすかそれ、セクハラじゃないっすか」鴨田も気味悪そうに細田をチラチラと見た。
昨日は飲み過ぎたため、遅れてしまいました。とは言わなかったようだ。
「あの、坂枝さん…」井川が申し訳無さそうに私を呼んだ。そうだ、彼女にこの状況を報告する仕事が私にはあったのだ。「わかってる」と井川に合図を送り、内海に話してみた。
「内海、ちょっといいかな?昨日の件なんだけど」
「え?何?」細田の件でまだ怒りが収まらないのか、機嫌悪そうに私を見ていたが、なんてタイミングが悪いんだろうと思ってしまう。
「昨日話していた掲示板の件なんだけどさ、井川くんに確認してもらったんだ。そしてチームとして話し合いたいと思う」井川と鴨田が固唾を飲んで私に視線を送っているのがよくわかった。
「うん、なに?」以外にも反応は穏やかだった。私は、昨日井川から聞いた事の顛末をすべて話した。
「…だったらその人に聞いたほうが早いんじゃないの?」昨日の内海と打って変わって、冷静に私の話を聞いていた。
「姉さん、信じてるんですか?」鴨田が不思議そうに内海を見ていた。
「だって、そうでもしないと仕事進まないじゃない。まぁ掲示板自体はすぐに消せるみたいだし、確認取って問題なければすぐに削除でいいと思うよ」
「昨日とまるで違うじゃないか」私は声のボリュームが上がった。
「昨日は合コンにどうしても行きたくて気が立ってたの。男の人ってこういう都市伝説的なの好きだよね」
内海はケラケラと笑っているが、私含め3人は驚きを隠せなかった。
「でも、俺は行きたくないですからね?殺人を予告する掲示板作ってましたよね?なんて確認できないっすよ」
「え、そう?私は行きたいけど。」意外な反応で私達は驚いた。恐らく鴨田も内海が絶対に行かないであろうと、カマをかけたのだが、なんと本人がノリノリになっているのだ。
「まず、確認してみますね。システムワークスに電話してみます」そういって井川はデスクの受話器を取っていた。この謎を早く解明したいと思うのは井川なのだろう。
「私と、坂枝君でいいよね?」
「姉さん、マジで言ってるんですか?」
「みんなで行ったら、あの変態が怪しむじゃん。ね、これでいいよね?」
「あぁ大丈夫だけど。でもどうやって外出許可もらうんだよ」
「ほら、あのネジ部品の会社訪問まだ行ってなかったじゃん。あれってことで。アクセス数についての打ち合わせにしようよ」内海は悪戯っぽく笑っていた。こうしうて見ると、最近の20代のOLにしか見えなかった。
「ありゃーお留守番ですか、わかりましたよ」鴨田はホッとしたように仕事を開始した。
「本日、午後17時から大丈夫みたいですが、どうしますか?」井川が受話器に手を当てて、私に確認してきた。OKとおおきく両手でマルにして内海がジェスチャーをしていたので「それでお願い」と井川に伝えた。謎の掲示板の確信に少し近づいた気がした。
「ねぇ早く早くー」
私よりも前を歩く内海は足取りは軽そうだった。
「聞いていいかな、何でそんなに楽しそうなの?」素直に内海の態度の変わりようが気になっていた。昨日の険しい内海と今の内海は態度が真逆だと言える。
「坂枝君は打ち合わせ苦手だからさ、私が仕切るから、要所要所で気になるところは確認してね」私の質問に応えることなく、駅の階段を駆け上がっていった。スカートという事を忘れているのだろうか、真下の私から下着が見えそうだった。
システムワークスに在籍している、黛伸太郎とは17時に打ち合わせの約束を取り付けることができた。井川のファインプレーなのか、掲示板のことは伏せて、【リンク】の名前をちらつかせて、【リンク】のサービスの外部委託先として話がしたいと伝えていたのだった。井川にそこまでの話術があったのかと驚いた。
「まず、営業って事だからな?それはわかってるよな?」念入りに内海に確認する。
「わかってるよ。私に任せなさいって」確かに内海の人懐っこい性格で話がうまくいく事は多い。
システムワークスに着いたのは約束の時間の5分前だった。内海がギリギリになって化粧を直したいとの事でコンビニに寄り道をしてしまったからだ。
オフィスは小さく、古びた印象だった。IT会社とは思えない雰囲気で、どちらかと言うと営業会社の事務所のようだ。入り口にある受話器を取り黛を
呼び出した。
「モンドソーシャルの坂枝と申します。本日17時から黛様とお約束をしていたのですが」
「え、あぁはい。ちょっと待っててくださいね」電話の向こうの声は、軽薄な感じで家の人を呼ぶような軽いトーンだった。若い男のようだ。受話器からは、がん、と向こうの受話器が置かれた音がした。保留にはしておらず、どうやらそのまま置いているらしい。
「おい、古川。黛の奴どこいった?」受付の男は受話器の向こうで黛の所在を確認しているようだ。
「さっきそこにいなかったか?お客さんか?」受付の男と話している声は、綺麗な声をしていた。高い声でもなく低くもない、優しそうな声をしていた。
「ちぇ、あいつなんだよ。てか俺こういうの慣れてねえんだよな」
「お客さんだろ?会議室に通せよ」優しそうな声の男は受付の男に注意しているようだ。
「あのな、古川よ。俺はこのプログラムを書かなければいけないんだわ。お前が適任だと俺は思うね」
「なんだよそれ。てかお前受話器保留にしてるのか?」
「あ!やべえ!」ガツっと音がしてそのまま切れてしまった。受付の男が慌てて受話器を置いたようだ。
「この会社大丈夫なのかな?WEB系の会社のくせに大分年季入ってるよね」内海が後ろで退屈そうに辺りを見回した。
「すいません、お待たせしております」
ドアが開き現れたのは優しそうな青年だった。声色からして受付の男ではなく、優しい声の男のようだ。確か名前は古川と言っていたようだが。
「先程は失礼いたしました」
「いえいえ、お気になさらず」
「黛は今離席中のため、よろしければ会議室にてお待ち下さい」古川は「どうぞ」と中へ通してくれた。会議室に案内され私と内海は辺りを見回していた。会議室というより書斎という印象だ。
「どうぞ、お座りになってお待ち下さい」そう言うと古川は部屋を後にした。
「ねぇ、ちょっとあの人イケメンじゃない?彼女いるのかな?」内海が小声で聞いてきた。顔を見ると目をキラキラさせている。
「お前、こんな時に何言ってんだよ」この打ち合わせが無事に終わるか心配だ。
入り口のドアが開き、1人の男が入室して来た。
「遅くなり申し訳ありません。システムワークスの黛伸太郎と申します。本日はお忙しい中ありがとうございます。」ここから形式貼った名刺交換が行われた。もらった名刺を見ると、井川の画面に書いてあった黛伸太郎という名前が印字されていた。
見た目は短髪で程よく日焼けもしていて、体格も良かった。だがイケイケな感じはせず、冷静な印象を覚えた。この男はあと4日後に殺されてしまうのかと思うと複雑だ。
「それで今日はどういった話でしょうか?」
「この度はですね……」内海が建前である、営業トークを繰り広げている。この間私は退屈だった。システムワークスと仕事をするのかと思うと複雑な気分だ。今にも潰れそうな会社であるし、会議室に通される前にオフィスを横切ったが、皆疲れた顔をしていた。
内海はここからどうやってれいの掲示板の話に持っていくのかいささか不安ではあった。
「なるほどですね。しかし、御社とのメリットと、デメリットは……」
黛はロジカルに話を組み立てていた。この業界で働くのであればロジカルな考え方は大事だが、私は苦手であった。内海の幼い見た目と話し方で黛は格付けをしたように、部下のプレゼンテーションを聞いているようでもあった。「そっか、君たちなりに頑張ったんだね」とでも、言いそうな態度を感じ取った。
「と、あともう一つお話があるのですが、よろしいですか?」ここで声のトーンが変わったのがわかった。
「はい?なんでしょうか?」鬱陶しいなと言いそうな雰囲気だった。この感じ悪い空気がどう変わるのか見ものだ。
「リンクの掲示板って知ってますか?」
「掲示板?動画サービス前に稼働していたサービスでしょうか?」今も稼働しているんですけど、と、心の中で呟いた。
「今も稼働しているんですよね」内海はニコニコしながら言った。
「あの掲示板って黛さんがお作りになったのですか?」
一瞬、間が空いたが黛はしっかりと内海を見た。
「いえ、よくわかりませんね‥」あれ?井川の推理が外れたか?
「ご冗談を。ピースカンパニーって会社知っていますよね?」
「知りません。申し訳ないのですが」
「人員削減による案件表って、どういう事かお分かりになりますか?」
内海の声のトーンが低くなっていった。
「あなた、わかっているんじゃないんですか?あの掲示板を作ったのはピースカンパニーという会社で、あなたはそこに所属していた。違いますか?」
「し、知らないですよ。ピースカンパニーって言われてもわかるわけがない。」
先ほどのロジカルに話をしていた黛の受け答えに違和感があった。
彼は嘘をついている。
「そうですか……。あの会社は皆さん、不慮の事故でお亡くなりになっていますよね。あなたはあの時何をしていたのですか?」
内海の質問は尋問に変わっているようで不安になった。これでは脅しているようだ。いつもの内海とはまるで違っていた。人懐っこい、20代のふわふわとした感じは一切なく、刑事ドラマに出てくるような厳格な刑事だ。
「いや…あの、本当にわからないんですよ……。すいません…本当にわからなくてすいません」黛の、額には脂汗が滲んでいる。ということは、あの書き込みと内容は本当の事なのだろうか?
「俵才蔵…ってわかりますよね?あなたの名前もありました。私が知りたいのは平和商会の事が知りたいの」
平和商会という、単語が出た瞬間、黛は目を見開いた。何かまずい事を聞かれているようだった。しかし平和商会という単語は私も初めて聞いたが、意味がわからない。
「おい、内海ちょっと落ち着けよ」声をかけるが内海は至って冷静だ。私の方が動揺していた。私は掲示板の仕様を確認したかったのだ。
「嫌だなぁ、あれは悪戯ですよ。仕様書お渡ししますね」という答えが返ってくると思っていたが、状況は違った。心の中でどこか信じ切れていなかったが、あの書き込みは紛れもなく何かある事だけが理解できた。黛も何か知っているような口ぶりでもあった。井川から聞いた事に【平和商会】という単語はなかった。しかし、内海は断定的に黛に聞いていたのだ。
「落ち着いてるわよ」その目は私を睨んでいた。いつものゆるい内海ではなく、冷たい目をしている別人のようだった。
「平和商会は何をする気なの?あなたの命も危ないのはわかってるわよね?」
「いや、その……言われましても……」私も動揺している事が分かったのか、助けを求めるように黛は私を見ていた。私は蛇に睨まれた蛙のように、大人しく内海の言葉を聞いているだけだった。頭の整理がつかない。
「まぁいいわ。今回は確認がしたかったから」
「あの……いやぁ……その……」黛の汗が頬から伝っていた。
「それと、あの掲示板の仕様書ってあるの?」
「おい、内海……」私は意を決して内海に訊こうとした。この態度の変わりようもだが、何かを知っている事で頭の中がパニックになっていた。
しかし内海に睨みつけられてしまい、言葉が出てこなかった。
「いえ、本当にないんですよね……あの……すいません……」
「はぁ、そっか……」小声で内海がため息をついていた。
「そうだったんですね。わかりました!是非御社のお力をお借りしてリンクをより良いサービスに出来ればと思います」いつもの内海に戻り、ふわふわとした雰囲気に戻った。
その後、私と内海はシステムワークスを後にした。黛は1時間程の打ち合わせで10年は歳をとったように疲弊していた。彼は何かを知っていたに違いない。
私達は帰宅するために駅に向かった。夕方ということもあり駅までの道はサラリーマンだらけだった。まるで巣穴に帰るのはアリの行列だ。
内海の態度には明らかな違いがあった。最初の態度とは明らかに違いがあったのは明白で、内海の営業を聞いている時は、面倒臭い後輩社員の話でも聞くかのような態度だったが、内海の直球の質問にはしどろもどろになっていた。尋常ではない汗の量からして黛伸太郎は何かを知っている。内海に関しても私は疑心暗鬼になっていた。井川から聞いた内容をそのまま話したのだが、【平和商会】という単語は一切出ていないのだ。あの豹変した態度もおかしいではないか。いつもはふわふわと子供のようなのだが、黛と話していた時の内海は別人のようだった。面倒臭そうに扱っていた黛がたじろぐ程だった。
「なぁ、内海。さっき話してた事だけど……」
「結局何もわからなかったね。ここまで不明だと消せないね」話を遮るように内海が被してきた。
「あぁ……そうだな。内海、何か知ってるんじゃないのか?」
「何のこと?」
「いや、さっきの話だよ。平和商会って言ってただろ」
「そうだっけ?そんなこと言った?」
「言ってた。いつもとキャラ違ってたぞ」
「キャラって?仕事なんだから当たり前じゃない。坂枝君こそもっとしっかりしなよ」
「お前何か知ってるんじゃないのか?ピースカンパニーの事も何か知ってることあるんだろ?」
「しつこいなぁ。知らないって言ってるでしょ」
内海の態度が硬っていくのがわかった。それからしばらく内海は自分のスマホをいじりだした。駅までの帰り道私達は会話をすることなくアリの巣に向かっていった。
「坂枝君、ごめん」スマホの画面を見ながら語りかけた。私の顔を見たくないのだろうか?と疑うほど険悪な雰囲気になっていた。
「ちょっと寄るとこあるから、ここでいいかな?」どうやら内海はここで別れるようだ。
「あぁ、そうか。わかったよ」
「あと、今回の件だけど掲示板の件ね、すぐに削除でいいと思うからさ明日には消しといてね?」内海がやっと私の顔を見た。
「いや、この状況で無理だろ。まず黛さんの態度も異常だったじゃないか。解決もしていないしもう一度話す必要があるんじゃないかな」
「消していいって言ってるんだから、それで終わりじゃない?何で拘るわけ?」
「書かれた名前の人物が亡くなっているんだろ?もしかしたら殺人を依頼する掲示板って事じゃないのか?そうとしか思えないよ」
ふぅとため息を交えながら内海はスマホを鞄にしまっていた。
「坂枝君さ、悪戯に振り回されるのは良くないよ。もう少し頭がいいと思ってたのに残念だな」
「警察に相談した方がいいんじゃないのか?」
「もう勝手にしなさいよ」
内海は人混みに消えていった。
内海は何かを知っているのは確実だった。何かを隠そうとしているのは明白だった。井川達に明日話を聞いてみたくなった。
この件は何かありそうだ。
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