3日目

「姉さん、俺の仕事どうなってんですか」

 鴨田が内海に言い寄っていた。どうやら先日の掲示板削除の件で、井川の削除作業が難航しているらしかった。こうなってしまうと鴨田の削除漏れのチェック作業が遅れてしまう。

 「井川君、どう?チェック回せる部分ある?」内海が隣席の井川のデスクに向き合って確認した。チームリーダーは私なのだが、私に確認されないのが少し寂しい。

 「その事なんですけど、坂枝さんちょっといいですか?」しっかり私をリーダーとして立ててくれる井川に私は感謝した。

 「どうしたんだ?何かあったか?」モニタ越しに井川の顔を確認したのだが、どうも井川の顔は苦虫を潰したような顔をしていた。

 「ちょっと確認していただいていいですか?」井川にできないプログラムを私に解決できるのか、と少し頭をよぎったが井川のデスクに私は向かった。

 「おいおい、井川大丈夫かよ」鴨田がケラケラと茶化しているが、井川は一切気にせず私の顔を見た。

 「この掲示板見ていただけますか?なんか不思議なんですよね…」

 確認すると、使われていない掲示板の中に一つだけ、英数字が羅列してあるものがあった。

 その他の掲示板はアダルトサイトへの広告や胡散臭い広告サイトのリンクが貼られていたのだが、ひとつだけ英数字が羅列されているのみだった。

 「広告やロボットによる書き込みが殆どなんですけど、この掲示板だけこんな書き込みなんですよね。どう思います?」

 どう思いますと言われても、と私は思ったがさっぱりわからなかった。これも悪意のある者のロボットによる書き込みなのではと思った。

 「誰かの悪戯かロボットによる書き込みじゃないのか?消してしまっていいだろ」

 「そうですか?この掲示板だけリンクのサービス開始時から書き込まれているんですよ。サービス開始からこの謎の英数字が書かれているって何かおかしくないですか?」

 「井川ぁサボる口実にしてはつまらないぞ」私と井川の間から鴨田が加わった。

 「いや、サービス開始が1999年からだけど、この書き込みはその年から、2、3年おきに書かれている。しかも掲示板のタイトルもテストって名前なんだけどさ、」井川は不思議がって真剣に話した。

 「名前がどうしたんだ?」私と鴨田は同じタイミングで同じセリフを言っていた。

 「【人員排除による案件表】って書かれてたんですよね。なんなんですか?人員排除って」井川が確認したとこで内海がパシンと両手を叩いた。

 「そんな事してていいの?井川君も考えすぎだし、坂枝君もちゃんとハンドリングしなきゃダメじゃん。優先案件だから早く終わらせて通常業務に戻ろうよ」内海は一瞬真顔で諭すように話していたが、また普通の話し方に戻った。

 「とりあえず早く終わらせて帰りたいなー今夜合コンだし」

 「本当ですよ。姉さんの言う通りだよ。おい井川考えすぎだぞ。開発者のリストラ表だろ?」鴨田も内海に同調して、手を振り回しながら自席に戻った。

 「怒られたな」私は仕方ないなとニヤケながら井川に話した。井川の中で私はどんな評価なのか気になる。

 「うーん。もう少し時間いただけますか?納期には全然間に合うんですよ。リンクの開発者のリストラリストであるにしても、意味はあるんですよ。坂枝さんお願いします」

 井川の真面目さはチームにいる皆が理解していた。私は井川の意見に対しての選択にとても悩んでいた。仕事を早めに終わらせて、大型案件の肩の荷を下ろす事も大事だが、確かに井川の言うことは一理あるなと思った。

 「井川の言う通りにやらせればいんじゃないすか?」意外なことに鴨田が提案してきた。

 鴨田の判断は奇妙な事に正しかった事が多かった。

 クライアントとの打ち合わせに私と内海と鴨田で臨んだ時も、施策が決まらず会議は難航していた事があった。クライアントのWebサイトのアクセスアップのために広告展開を行おうとしたのだが、紙媒体で行うか、Webで行うのか、またはテレビでCMを打つのか揉めに揉めた。

 内海の意見はテレビCMで行うべきだと、主張したのだが先方は街頭の看板やチラシなどで展開したいと申し出てきた。こうなってくると会議は難航していく。しかし、鴨田の鶴の一声でプロジェクトの施策は決まり会議は終了したことがあった。


 「こんなもんWebでやればいんじゃないすか。リンクとか使ってユーザに宣伝させればいいんですよ。」


 鴨田の意見で話はすんなり進み、実際にリンクを使って広告を展開した。リンクな内のアバターの衣装(アバターの服装)に企業ロゴをつける事によって、一気に認知度は広がった。他にも些細なことだが、鴨田の勘は、するどく、大体の事は問題なく進行したり良い方向に行くことがあった。鴨田にこの悪運なのか判断力なのか不思議な力なのかを問いただしてみると「たまたま思った事をいってるだけなんですけどね」と返されてしまった。

 そんな鴨田が二つの選択肢から井川の作業続行案を提案されたので、私は鴨田に乗ってみようと思った。

 「あのね、どうせ消すものをなんでわざわざ調べるのよ」内海が鴨田に食いついた。

 「いや、でも井川の言う通り何か大事な記録だったらまずいし、てかバックアップ取ればよくねーですか?」

 私はハッとした。確かに今の掲示板のデータをバックアップを取っておけば、もし削除して必要な機密データだとしても復元ができる。なぜ気づかなかったのだろう。

 「鴨田にしては言うね。もうバックアップは取っておいたよ」井川が目を丸くして驚いたように言った。私は鴨田の考えにすら到達できなかった事が恥ずかしかった。

 「坂枝君、いいの?終わらせる仕事があるなら早く終わらせて、次の案件を対応するべきだと思う。こんなの適当に残したコメントでしょう?」内海が少し熱を上げて意見する。

 「バックアップ取ってるならすぐ戻せるんだよね?」

 「いけますね。1日だけ時間貰いたいです」

 「井川がここまで意見するのも珍しいな」鴨田が挑発するが確かに井川が、ここまで自己主張するのは珍しかった。

 「じゃ明日には削除でいいんじゃないかな?これでどうかな?」私は内海に確認した。

 「いいけど、私、残業しないで定時で帰るからね」ぷいと顔を背けて自分のモニタに目を戻した。

 「じゃ、井川君は本社に確認とって、問題なければ削除お願い。何か問題あったら俺に相談してくれ」

 「わかりました。ありがとうございます」井川は嬉しそうに礼を言ったが、その目は少し焦っているようだった。

 「よかったなぁ、井川。俺も定時で帰るけどな。リーダーいいですかね」

 「鴨田は業務外での勉強があるから今日は残ろうな」

 あ、そうだった。と呟きながら自分のモニタに目を戻した。


 19時をまわり、周りの社員はほとんど帰宅していた。私のチームでは、内海以外は自席について作業を行なっていた。

 「姉さん本当に定時ぴったりで帰りましたねー。なんであんなに怒ってたんですかね?」

 「早く帰りたかったんじゃないかな?合コンとかで忙しいんじゃないか?」

 私と鴨田が雑談をしているが、井川は必死に謎のコードを解読していた。確かに鴨田の言う通り、内海はムキになっているようだった。

 「…坂枝さん。少しお話しあるんですけどいいですか?」目の前のデスクから井川が席を立ち私を見下ろしていた。ファイルの削除が難しいのか、或いは開発者が残したリストだったのか私は気になった。

 「うん。大丈夫だよ。どうしたの?」

 「いや、あの…」井川は話にくそうに鴨田を見た。

 「おい、井川。俺がいたら話せないみたいな顔してるだろ」

 「鴨田には難しい話しなんだよ」井川はため息混じりに鴨田を見た。

 「鴨田も俺のチームだし、話してみてもいいんじゃないかな?鴨田も余計なこと言わないからさ」私はチームのリーダーとして威厳を見せられたかもしれない。

 「…わかりました。鴨田、頼むから話の腰を折るなよ」

 「俺をなんだと思ってんだよ。リーダーも失敬ですよ」鴨田は不貞腐れながらスマホをいじり出した。

 私は鴨田を構う事なく井川に確認をする。

 「今日、本社に問い合わせてみたんですよ。掲示板の仕様の事を詳しく聞いてみたんです。この掲示板なんですが、外部の制作会社に委託して、作られたようなんです。」井川は慌てるようでもなく落ち着いて様子で話した。

 「外部の制作会社が作ったのか、それならその会社に問い合わせてみたの?」

 「その会社を調べたんですけど、無いんですよね…」

 「無いって、潰れてるとか?」

 「はい。小さい会社で有限会社ピースカンパニーって名前みたいですけど…」井川の顔がどんどん曇っていくのがわかった。

 「従業員がみんな亡くなってるんですよ」

 鴨田のスマホをいじる手が止まっていた。

 「たまたまじゃないのかな?病気か何か亡くなってしまったとか…。それだと掲示板の仕様がわからないね」私には掲示板の仕様が理解できる手段が無くなってしまうことも不安に思った。

 「ピースカンパニーの従業員の名簿を教えてもらったんですけど、検索したらほとんど亡くなってるんです。皆さん30代と若い人たちばかりでした」

 「待った。「ほとんど」って言ったよな?最初は「みんな」って言ってたけど、全員死んでるのか?」鴨田が横から会話に割って入った。

 「ん?あぁ、すまない。ちょっと興奮してるのかな…みんな亡くなっていると伝えたんですけど、1人だけまだ生きている人がいるんですよ」井川は私に向き直って話した。

 「事故死や病死でしたが、1人だけ存命で、今はシステムワークスという会社で勤務しているようなんです」

 「その人に聞けばわかるのかな?」話の結論を私は求めていた。

 「わかると思います。あと、僕、もうこのコード解読できたんです」

 「消せるのかよ?何が言いたいんだよ、井川」鴨田も話を急いでいるのかピリピリした口調で言い放った。

 「あぁ、もううるさいな。わかってるんだよ。俺、今すごく焦ってるんだよ。解読したけど、全てピースカンパニーの社員の名簿でさ、名前と日付と…その…殺し方って言うのか?殺害目的と殺害方法がまとめて書いてあったんだよ」井川のいつもの冷静さはなく感情に任せて話していた。あのロジック思考の井川からは想像がつかない姿だった。

 「はぁ?なんだそれ」鴨田はがっかりしたようで「悪戯書きだろ?落ち着けよ」と半笑いで井川に言った。

 「いたずらじゃないの?」ネットではよくある悪質な悪戯目的の書き込みもあるが、そんな事は井川はわかっていた筈だ。

 「そうだと思うんですけど…ネットで検索したんです。例えば、この山本秀太郎って人、交通事故で亡くなってるんですけど、亡くなる1ヶ月前の日付で殺害方法の項目が、事故死って書いてあるんですよ。ちょっと気味悪くなってしまって…」周りに聞こえている事が心配なのかきょろきょろと辺りを見回している。

 「たまたまじゃ…なさそうだな」鴨田も真剣な顔で私を見た。

 「ピースカンパニーの人に聞けばわかりそうだけど、1人だけまだ生きているんだよね?」

 「はい、黛慎太郎という人ですね。殺害方法が事故死で、日付が…今日から5日後です」

 私はまだ信じられなかった。井川の解読だと、掲示板を作った会社の従業員はほとんど亡くなっていた。唯一の生き残りの、黛慎太郎という人物だけが手がかりのようだったが、これを理由に削除作業を遅らせて大丈夫なのか?とも思った。

 「警察に言うべき…なのかな?」

 「いたずら扱いされて終わりすよね。」

 「でも、ピースカンパニーの人達もだけど、また別の掲示板にも同じようなコードが書かれていて、確認しました。この俵才蔵の名前もあったんです」



 俵才蔵は政治家だ。穏健派として世論からの評価も高く、次期総理大臣は俵才蔵なのでは?という声もあった。IT技術を前面に押し出そうと、自身でも様々なキャンペーンを打って出ていた。

 しかし、彼は【リンク】だけは否定的な意見が多かった。


 「リンクはいずれ人と人とのコミニュケーションを無くすだろう。私はネットを使って様々なシステムに改革を打って出たいが、リンクだけは反対だ。総理になった時にまた施策を打っていくつもりでいる」


 彼が何故リンクに否定的なのかは最後までわからなかった。

 俵才蔵が総理大臣になる事はなかった。ある事件により殺害されてしまうからだ。

 

  公務中に俵才蔵の支持者により刺殺されてしまう事件が起きた。

 犯行はこうだった。


 俵才蔵は地方の記念館のオープニングセレモニーに出席をしていた時だった。

 その時に記者を集めて俵才蔵は記者会見を行なっていた。

 「偉大なる金メダリストの多村由里子さんの記念館という事で、私が呼ばれるのはおこがましいですが…この度は記念館がオープン、おめでとうございます」

 彼のスピーチが終わり、記者の質問中に事件は起きた。

 「俵さん、リンクのユーザー数が8500万人を突破しました。日本国民の殆どが使用していると言ってもいいと思いますが、どう思われますか?」

 誰もが気になる次期総理候補の発言に注目が集まっていた。

 リンクの件は、どの記者も聞きたかった事だ、記念館より誰もが気になっているので注目が集まった。

 その瞬間、彼は記者の質問にしっかりと睨むように聞いていた。

 「そのようですが、私はリンクには申し訳ないが必要のないサービスと考えている。私が総理になった時にはリンクとはまた別の、新たなネットのサービスを提供したいと考えている。それがこの国のためでもあると考えている」

 「それはどのようなサービスですか?」

 「がんじがらめになっている、昨今のインターネットを自由なものにする。そして、若者達は自由に学び、どんな事も知って欲しいと考えている」

 「今のインターネットは自由がないのでしょうか?今は匿名で誰しも発言は出来ますし、検索する事ができますが」女性記者が間髪入れず質問をした。

 「今にわかるが、インターネットはリンクに喰われる。全て管理されるからだ。いいか、これでいいのか?何も考えず情報操作され、自由に選択できなくなるんだ」

 記者達は息を呑んだ。彼の発言に凄みがあった。

 関係者が俵才蔵に、近づき耳打ちをした。ここで記者会見は終了した。

 彼はそのまま舞台袖に向かっていったが、その後関係者と車に向かう途中に、記者会見にいた記者に刺されてしまった。

 刺した記者は熱狂的な支持者で俵才蔵を支持していたらしかったのだが、何故殺害してしまったのかは詳しくは報道されなかった。


 「俵才蔵ってあの殺された政治家だよな?」

 「井川君、どういう事?」私と鴨田の頭は混乱していた。

 「殺害予定日が報道であった日付と同じなんですよ。殺害方法は刺殺と書いてます」

 ただならぬ緊張感が走った。井川がこれですと、掲示板の画面のキャプチャデータを私に送って来たが、確かに書いてあった。書き込まれた日は亡くなった日の5日前だった。

 「警察に言うべきなのかな…でも悪戯って可能性も捨てきれないな。書き込む日付も変更する事だって出来る奴もいるはずだし…」こんな時、内海がいたら指示を出してくれるのでは、と考えた。

 「明日、姉さんに相談しません?」鴨田が提案した。

 「そうだな…。今ここで話してもわからないし…それか黛伸太郎だっけ?その人に何か聞いてみてもいいかもな」

 「あと5日ですよ?もうこんな時間だし、あと4日で死ぬかもしれないんですよ」井川は感情的に言った。

 「まず、明日課長に聞いてみよう。そこから内海に相談してみて方向を決めよう」

 井川は渋々理解したようでコーヒーを買いに行くと言い離席した。

 「リーダーどう思います?井川の奴キャラ変わってましたよ」

 「あぁ、悪戯にしては悪質すぎるな」

 「これ警察に相談するんすか?」鴨田は帰宅の準備にかかっている。

 「こんな事で警察事にも出来ないよな…」

 「恐らく悪戯で済まされそうですよね。半信半疑といった感じですわ」

 「鴨田はそう思うか?」

 「なんとも言えませんが、黛伸太郎って人なら知ってるかもすよね」

 「話は聞いてみたいな」あれが本当なら彼は4日後死ぬことになる。

 「明日が大事になりますね。俺帰りますね!お疲れっす」鴨田はそう言うと席を立ってフロアを後にした。

 おかしな事件に巻き込まれたらどうなってしまうのか、と考えたが削除依頼にも果たして間に合うのか不安になる一方だった。


 私は井川のデスクに「先に上がります」と書いた付箋を貼って帰宅した。

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