第4話
現代の技術ってすごい。
そんな語彙力が微塵も感じられない感想がでるくらいには、リニアは速かった。
金持ちの乗り物ってすごい。
そんな俺は、ヤヨイに引っ張られ王都境界線の駅の売店にいる。王都に着いた瞬間、なぜか無言で売店に連れていかれたのだ。今回は乗車券を持っていたので、ありがたいことに駅員と揉めることはなかった。
慣れないスーツを着て売店で突っ立っていると、用事を終えたらしいヤヨイが戻ってきた。その手にはなぜか手帳とボールペン。
『お待たせしました。ご主人様』
「筆談したところで新しいキャラ付けは無理だぞ」
俺の無駄口などものともせず、ヤヨイはさらさらと筆を走らせている。国語の教科書のような字だった。
『私が声を出すと、玉兎と判明してしまう可能性があります』
『そのため、王都にいる間は筆談にて会話させていただきます』
最後に『キャラ付けではありません』と書かれ、そこには下線が引いてあった。
確かに、ヤヨイはいわゆる「読み上げソフトの声」である。ヤヨイと会って一週間以上、最近は慣れてきたが始めのうちはやはり違和感があった。当たり前のように接していた茜さんが珍しい部類なだけである。
そして王都ではもう俺たちの情報は出回っている。そのためのこの慣れないスーツ姿なのだ。
体に月のクレーターのような痣がある男と玉兎と思わしきアンドロイド。もちろん家政婦アンドロイドなんかは富裕層が持っているため誤魔化せなくはないが、俺が富裕層として振る舞えるかが怪しい。はっきりとした顔まで出回っていることはないと願いたいが、ヤヨイの機械音声はかなり怪しまれることになる。
そう考えると、ヤヨイの判断は正しい。キャラ付けとか言ってごめん。
ヤヨイがトントン、と俺の肩を叩く。
『検問所を超えましょう。なるべく自然に、目立たないことを意識してください』
そうか、検問所か。
他のスラムと違って、王都には王族の宮殿「
『王都のマップをインストールします。警察所、治安維持部隊の宿舎などの近くは通らないことを意識しましょう』
治安維持部隊、か。兄貴のアホ面が頭に浮かんだが、すぐに搔き消した。
『この駅を出て東に300メートル歩くと、検問所です。茜さんからもらった偽造入境証があるため、そちらを提出しましょう』
王都に入るには、国内のくせに入境証とかいう代物がいる。それだけ王都が特別ということだろう。スラムと王都は天と地ほどの差があることをまざまざと見せつけられた。
「茜さん何者なんだよ。よく入境証なんか作れたな」
『警察の特権、だそうです」
警察だろうが何だろうが偽造は犯罪なのだが。
ヤヨイが俺の手を引いて歩き始めたため、素直についていく。数分ほど歩くと、豪華な瓦屋根の建物が現れた。門の前には長い行列ができている。
「ゲーム機でも持ってくればよかったな」
『私としりとりでもしますか?』
「いい。なんか一生勝てる気がしない」
俺たちの前にいる富裕層らしき子どもが、夢中で携帯ゲーム機をひたすらポチポチとしている。確かあれは、なんだっけか。そうだ。自分の育てたモンスターがホログラムになって現実世界に映される育成ゲームだ。
『ゲーム、お好きなんですか』
「別に。スラムにいた子どもが欲しがってたなって」
安酒買いに行った時に、そのゲームが欲しいと母親に泣きついていたスラムの子どもを思い出す。
「……嫌な世の中だな」
俺の呟きは、前の子どもには聞こえなかったらしい。
目の前の富裕層一行の検問が終わって、いよいよ俺たちの順番が巡ってきた。
手にはヤヨイに渡された偽造入境証……と、「幸運を!」と柔らかい丸文字で書かれたメモがあった。茜さんはいつの間にこんなもん作っていたんだろう。
とにかく、ここまでくれば我々にできるのは無事に検問所を通る事と茜さんが逮捕されない事を祈るのみである。
「電子入境証、もしくは現物をご提出ください」
40代くらいだろうか。検問所の制服を着た男が「早く入境証出せ」と手を差し出している。
もちろん電子入境証とかいう高級品は持ってないので、茜さんにもらった偽造入境証を渡す。この入境証すら、本来であれば俺にとって雲の上の物なのだが。
焦りからでる手汗が検問官にバレていないか心配したが、どうやら杞憂だったようだ。男は何食わぬ顔で入境証と電子マニュアルを見比べている。隣にいるヤヨイは相変わらず涼し気で、さすがアンドロイド、といったところか。
男は大儀そうにスタンプを取り出し、2つの入境証にポン、ポンと判を押した。
よかった。通れそうだ。
安心したのも束の間、中々検問官は入境証を返してくれる様子が無い。
「あ、あの…………?」
検問官は俺の顔をギロリと睨んだ。螢惑で俺を撃った、あの警備隊の目に似ていた。
「……その包帯は?」
俺の顔の左半分に巻かれた包帯を見つめて、検問官は口を開いた。
まずい。頭が警鐘を鳴らす。なんとか言い訳を考えないと。
「あ、あの……これはですね……」
口が思うように動かない。脳内では必死に言い訳を考え、それを紡ぎだそうとしているのに出てくるのは頼りない母音ばかりだった。
その時だった。検問官が俺から視線を外して、心配そうな目で隣を見た。つられて俺も右隣に視線を移す。
すると、そこには静かに涙を流す絶世の美女がいた。
ヤヨイが、泣いてる。
玉兎に涙腺があったことが驚きだが、その姿はあまりにも美しかった。
何を話すわけでもなく、ただ静かに涙を流している。涙の一つひとつがダイヤモンドのように輝き、頬には一筋の銀色の道が出来ていた。
ただ伏し目がちに涙を流すその姿、とても弱弱しく、神々しささえ感じられる「同情を誘う」姿であった。
……嘘泣きのくせに。
「き、きみ、大丈夫……?」
検問官が焦ったように問いかける。
ヤヨイは手帳を取り出し、ゆっくりとボールペンを走らせる。弱弱しい、小さな文字だった。
「聞かないでください」
ただそれだけが、手帳には書いてあった。
検問官は罪悪感の入り混じった目で僕とヤヨイを交互に見つめると、偽造入境証をこちらに手渡した。
「ようこそ、王都『
ぎこちなくそう口にした後、彼は業務に戻っていった。
王都「
その名の通り、この国唯一の燦然と輝く都である。
商店街や富裕層が住んでいる区域は、太白をさらに豪勢にした中華風の建物が立ち並び、カリングループをはじめとしたビジネス街は近代的な高層ビルが所狭しと建っている。かと思うと、隅には花街があり、大昔の我が国を思わせる景色が並んでいる。
中華、近未来、和風、この3つが絶妙なバランスで成り立っているまさに「都」。
そして王族が住む宮殿、通称「
「あれだな、なんだっけ……すっごい昔の、そう『戦国時代』ってやつ」
「データベースでしか見たことはありませんが、確かにその『戦国時代』や『江戸時代』に作られた城とかなり似ていますね」
似ている、というかそのまんまだと思うのだが。月に支配されてもなお、ここだけは譲れなかったのか、それともただの趣味なのか。
「ただの趣味、だよ」
突然、背後から男の声がした。
振り返ると、「たおやか」という言葉をそのまま体現したかのような青年が、微笑んでいた。
柔らかそうな黒々とした髪を緩く結い、「月の下国」に伝統衣装である着物と洋服が混ざり合ったような、独特な格好をしていた。
「ああ、これは普段着。上はともかく、下は洋服じゃないと動きずらいだろう?」
「大事な時はこんな格好しないよ」と青年は緩やかに笑った。青年が微笑むと腰まである黒髪がふわりと揺れる。ともすれば淑女と間違えてしまいそうなほど優雅だった。
「ああ、怖がらないでね。様子を見に来ただけなんだ」
「……普段着ならそんなごつい刀持つなよ」
柄に月があしらわれた打刀を持っていた青年は少し驚いた顔をしたが、俺に答えることはなく
「カリングループの会社に行くならここから東にまっすぐだよ」
と答え俺たちの前から去ってしまった。
「あ、忘れてた」
青年は、立ち止まってもう一度こちらを振り返り、艶やかに微笑んだ。
「今日のところは、安心していいよ」
ゾッとするほど、完成された笑顔だった。
『ご主人様、行きましょう』
ヤヨイにそう書かれた手帳を見せられ、現実に引き戻された。なんだか、夢のような男だった。
「……なあ、ヤヨイ、さっきのあいつって」
『おそらくご主人様に仇名す者です。信用されないように』
いや、信用することはないが……それでも記憶に残る男だった。悪い意味で。
『今日のところは、安心していい。それは本当でした。心拍数の変化がほとんど見られませんでした』
「じゃあ、お言葉に甘えておくか……今日のところは」
気を引き締める必要はあるが。
「ほんとに安心していいらしいな、今日のところは」
怖いほど何の障害もなく目的地に着いてしまった。
『静かでしたね』
「ああ」
王都「天満つ」のビジネス街。多くの高層ビルが立ち上るここには、もちろん多くのビジネスマンがせわしなく歩き回っていたが、それでもどこか不気味だった。
警備員ももちろん立っていたが、驚くほどに俺たちの存在はスルーされていた。
こうして我々は無事カリングループのビルの入り口に辿り着いた、という訳である。
「なあヤヨイ、入る前にひとつだけ」
『なんでしょう?』
「あいつ、なんで俺たちがここに用があるって、知ってたんだろうな」
ヤヨイは無言で俺の手を引っ張った。
世界的大企業、カリングループ。創始者の
大事なのはその規模。
カリングループは我が国では珍しい世界規模で見ても成功している軍事会社である。我が国のみならず武器をアメリカ……じゃなかった、「水星軍事連合国」にも提供している、名実ともに大企業なのだ。
月の下国は月から軍事協力を援助してもらっている立場なのだが、カリングループはその月の技術力と我が国の軍事力を活かし、それを自国のみならず他国にも横流ししている、ちょっと法律スレスレな会社でもある。
代表が政界にも顔がきくらしいのでお咎めなしなのだが。
ガラス張りの近未来的な外見のビルに入ると、大理石が張り巡らされたロビーには美しい受付嬢がちょこんと座っていた。
「あ、あの、こちらの代表の方に用があって……」
受付嬢は俺のたどたどしい言葉にも動じずニコリと笑った。
「入館証はお持ちでしょうか」
「へ? あの……えっと」
しまった。持ってない。茜さん、入境証のついでに入館証も作っていてほしかった。いや、茜さんはなにも悪くないんだけど。
「あ、えと、その」
受付嬢の瞳に疑いの色が見える。まずい、何かいい言葉……。
「あ、そうだ。あの、俺、代表の方の遠縁なんです。なので、代表の方に聞いてもらえれば」
はちゃめちゃに嘘である。「嘘も方便」ってことでよろしく。
受付嬢は訝し気にこちらを見たが、とりあえず内線を繋いでくれた。
頼む。何かの奇跡で通ってくれ。心の中で合掌をしながらひたすら祈る。
「……はい。顔の左半分に包帯を巻いた男性と、あと、銀色の髪の女性です。はい、どちらの方もスーツを着ていらっしゃって……はい? 名前、ですか。はい、承知いたしました」
彼女は一旦受話器を置くと、こちらに綺麗な笑顔を見せた。
「お名前を頂戴してよろしいでしょうか」
「あ、はい。えと、日影真昼、です」
「ありがとうございます」と言うと彼女はもう一度受話器を耳に当てた。
「はい。日影真昼様……です。ええ、入館証は持っていらっしゃいません。え? 通して……通して良い、ですか!? あ、いえ、はい、かしこまりました」
明らかに受付嬢は動揺していたが、こちらを向いて再びビジネスライクな笑顔を向けた。
「それでは、右手のエレベーターをお使いください。70階です」と言うと、自分の業務に戻ってしまった。
チン、という小気味良い音と共に「最上階です」という無機質な機械音声が流れた。
「お! 待ってたよ」
エレベーターの扉が開くと、絶世の美男とご対面した。
それはもう、男の俺からみても文句ないほどの。
思わず隣のヤヨイを見るが、相変わらずの無表情で突っ立っているだけであった。
……そうだよな。こいつアンドロイドだもんな。イケメンに靡くことなんてないよな。
ちょっと安心した。
「奥でかなえさんが待ってるよ。いこっか」
初対面のくせに随分と馴れ馴れしい奴だな。
「フランク、って言ってほしいなあ」
男は大きく伸びをしながらそうぼやく。
金色の髪が電灯に照らされてまばゆく光っている。地毛、なのだろうか。無理やり染めた違和感がない。ふわふわとした猫っ毛で触ると柔らかそうだ。
身長は、170ちょっとだろうか。俺より少し高い。
「あの、代表の方とどういうご関係で?」
「敬語じゃなくていいよ。そういうの苦手でしょ? きみ」
「てかさあ」と男は振り返って、ニコリと笑った。
男の目がゆっくりと開かれる。
碧く、透き通るような瞳だった。夏の快晴を思わせるような、そんな瞳。
右目の下にあるほくろが、太陽の黒点を思わせた。
「夏っぽくていいっしょ? この目。ま! 名前は全然夏じゃないんだけどさ」
「そうかよ。んで、名前は? ここの代表との関係は?」
「お! 調子出てきたねえ。きみはそれくらいがいいよ。そっちの方がかなえさん、好きだと思うし」
男は猫のような瞳を意地悪そうに歪めた。
「おれは
「たしかに名前は全然夏じゃないな」
俺の言葉に男――如月はクスリと笑うと、廊下の最奥部にある右手の扉を開けた。
「着いたよ。CEOがお待ちかねだ」
促されるままに扉に入ろうとすると、如月は俺の袖をグッと引っ張り、耳打ちした。
「おれさ、きみの隣にいる美人さんと、同業なんだ」
「じゃあね」と彼は楽しそうに笑うと、歩いてきた道を戻っていった。
「大企業の社長も意外と忙しくてね。早急に入ってもらえるかい?」
言葉のわりに穏やかな口調で、俺は現実に引き戻された。
慌てて部屋に入ると、すでに入室していたヤヨイと、人の良さそうな笑みを浮かべた老紳士が革のソファに深く座っていた。
部屋の四方を取り囲む本棚。こげ茶色の温かみのあるソファと机。部屋の奥にはこの人の趣味だろうか。サイフォンと地球儀、小さな望遠鏡など所狭しと置かれていた。
父の隠れ家をもう少し豪華にした部屋、と言ったところか。なんとなく郷愁を感じる。
「まあ、座りなさい。コーヒーを淹れよう」
老紳士がそう言って立ち上がると、素早くヤヨイも席を立つ。
「ああ、君は大丈夫。君は家政婦さんじゃなくて『玉兎』、だろう。そんな役割はないはずだ」
どうやってヤヨイの正体を見抜いたんだ。彼女は見た目だけは人間と大差ない。如月と会った時も一言も発していないはずだ。
俺が考えているうちに、目の前に温かいコーヒーが出された。苦味のある穏やかな香りが鼻孔をくすぐる。申し訳ないが角砂糖を3つ、入れさせてもらった。
「ああ、君も砂糖がないと飲めない派かあ。私と一緒だね」
コーヒーを淹れた張本人は穏やかに笑うと、自らもコーヒーカップに砂糖を5つ加えていた。
その量ならカフェオレでいいような気がする。
ヤヨイは『ありがとうございます』と手帳に書いたっきり、一切口をつけていない。食事を必要としない玉兎らしい。
「もう知っていると思うがね。改めて自己紹介だ」
老紳士は人の良さそうな顔をしてコーヒーを一口啜った。
「私は
彼は穏やかな顔を少しだけ歪めた。
「革命軍『
「筆頭株主、ですか」
かなえは困ったように笑うと、「敬語はやめなさい。私はその方が好きだからね」とコーヒーに角砂糖をもう1つ入れた。
「もちろん革命軍は企業じゃないからね。この呼び方は私の趣味だよ。『支援者』と言った方が正しいね」
「そう……っすか」
もう相手のペースに飲まれそうだ。思わず隣のヤヨイの手を握る。
なるべく自然に、土蔵と話す時を思い出すように心がける。
「なんで大企業の社長さんが革命軍の手助けなんてやってるん、すか」
「敬語はいいと言ったのになあ」
眉根を下げてかなえは顎を触る。俺の質問に答えることはなかった。
「私はね、君の用件をまず聞きたいんだ。これでも革命軍に加担している者だからね。君が王族に私を売らないとも限らない」
用件、か。それはもちろん「空飛ぶ宮殿」の奪取への協力である。
ただ、こちらに付け入る隙を見せてはいけないことぐらい、馬鹿な俺でもわかる。
「如月、という男に案内してもらいました。彼はいったい?」
かなえは少し驚いた顔をした。
「あの子から聞いてなかったのかな? あの子は私の秘書だよ。身の回りの世話をしてもらっている。……そういう点では執事に似ているかな」
主と従者は似るのだろうか。二人そろって嘘をついている可能性もあるが、確率は低いだろう。
「彼は、最後に俺の隣にいる……ヤヨイっていうんすけど、こいつと同業だって言っていました。あれはどういう意味っすか」
かなえは今度こそ目を丸くした。何を当たり前のことを、というふうに。
「だって、そこにいるお嬢さんは玉兎、だろう? 如月と同じじゃないか」
「へ?」
かなえは不思議そうに続ける。
「とある筋から君たちが来ることは聞いていてね。彼女の立場を考えて名前は言えないが……まあいずれわかるだろう。その子に月人病患者と『嫦娥シリーズ』の玉兎が訪ねてくると聞いたから『ああ、うちの如月と同じだな』と」
とある筋、というのが気になるが、いずれわかるらしい。突っ込むのは得策じゃないか。
持ちうるコミュニケーション能力を総動員して、俺は続ける。もちろん、ヤヨイの手を握りしめて、だが。
「あなたと彼は、どうやって知り合ったんですか」
かなえは顎に手を当てて、少し考える仕草をした。
「あの子の名誉のために言いたくないが、本人は隠すつもりがないからね。話してしまおうか」
そう言うと、かなえはソファに座り直して、心なしか真剣な顔で俺たちをみた。案外、お抱えの玉兎のことは大事にしているようだ。
「如月は、私が軌道に乗った頃、王族主催のオークションで買った子でね」
ちらりとヤヨイを見るが、彼女もかなえの出方を窺っているのか、黙って話を聞いている。
「念のため、だが。私は乗り気じゃなかった。ただの人脈作りの一環だよ」
かなえはいかにもつまらなさそうな顔をして話す。
「その日の目玉商品として出されていたのが如月だよ。私も玉兎をみたのは初めてだが、あんなにもみすぼらしいものかと驚いたね。なんせ、彼らは月の生まれだ。そんな高貴な存在が影でこんな扱いをされているなんて、とね」
「いわゆる闇オークションってやつっすか」
「正解」と笑ってかなえは続ける。
「彼は玉兎ではあるが、乗っているのは『月の舟』ではなくその護衛艦でね。護衛艦を担当する玉兎は他に何体もいるらしい。月から地球に降り立ったあと、月には内密に、当時の王族のおもちゃにされていたそうだ」
苦々し気に眉を顰めるかなえ。
「その後すぐに飽きられ、王都の花街で男娼として働いていたころに再びオークションに出されるために拉致されたらしい」
「それで……買ったんすか」
「偽善だと思うかい?」
どこか自嘲気味に笑った。
「もちろん私だって善意だけで買ったわけじゃない。いや、むしろあの時は善意なんてこれっぽっちもなかった」
「玉兎を所持しているという栄誉。心無い扱いをされている青年を救った起業家。そして、玉兎がどれほど自分の役に立つかという興味。この3つだけだった」
さすが。社長さんは考えることが違う。
決して嫌味ではなく、そこまで打算的には考えられない。
「まあ、如月は思った通り『使える男』だったよ。あの時の私に金一封送りたいほどだ」
かなえはもとの人の良さそうな顔に戻ると、追加のコーヒーを淹れるため席を立った。
「ヤヨイ」
彼が席を外している隙にこっそりと彼女に耳打ちする。同じ部屋の中なので、あんまり意味ないが、やっておくに越したことはない。
小さな声で耳打ちすると、彼女は黙ったままコクリと頷いた。
「それで、私がここまで話したんだ。君も本題を話してもらおうか」
穏やかに俺に話しかけるかなえ。
それとは裏腹にピン、と部屋の中の空気が張り詰める。
俺は高鳴る心臓を押さえつけるように深呼吸した。
隣のヤヨイと目を合わせる。
「『空飛ぶ宮殿』の奪取を、手伝っていただきたい」
穏やかだったかなえが、僅かに険のある目つきに変わった。
「……我々に何ができるのかな?」
「あなたは革命軍との深いパイプがあります。革命軍の目的は王権を奪うこと、です。『空飛ぶ宮殿』の価値はご存じですよね。それが奪われれば、月との信頼関係に綻びができ、王権が傾く可能性は大いにあります。……あなた達にとっても悪い話じゃない、と思うんすけど」
最後の最後で詰まってしまったが、言いたいことは伝えられた。
かなえは黙って聞いていたが、やがてコーヒーを一口啜り、穏やかに語りかけた。
「君は、革命はどういうものだと考えるかな」
どういうもの、か。
「スラムに長いこといたんで、考えたことは……」
「そうか、それもそうだね」
眉根を下げて困ったような顔で破顔すると、かなえは話し始めた。
「私はありがたいことに会社をここまで大きくすることができた」
彼はソファから身を乗り出し、膝の前で手を組んだ。
「経営も革命も、ビジネスなんだよ」
「人は利益があるからこそ、はじめて動くことができる。革命も同じだ。私たちが君たちに協力したとして、どれほどのリターンがある? 『空飛ぶ宮殿』を奪取する以外にも、王権を揺るがす方法はいくらでもある」
そうきたか。利益追求。ビジネスマンの基本だな。
「
かなえの顔色がサッと変わった。僅かに焦りが見える。
「……もちろん、知っているよ。君のお母さん、だよね」
「はい。俺の父、
俺はかなえをじっと見て、脅すように話す。
「
「それは清一君の偽名だね。革命軍の」
その通りだ。安直すぎるネーミングセンスだと思うが、これで通っていたのだから革命軍という組織は恐ろしい。
「清一君は私の学生時代の同級生でね」
知ってる。だからこそここに来たのだから。
「でも、なんでいきなりその話なんだい。話を逸らしても、協力する気は起こらないんだが……」
いや、この話から繋げなくてはいけない。大企業の社長を動かす俺の切り札は、これしかない。
「かなえさん、あなたが革命軍に未だに固執する理由は、なんですか」
「さっきも言っただろう? ビジネスだよ」
俺はちらりと隣を見る。月のような黄金色の瞳と、目が合った。
「心拍数の乱れを確認。『嘘』と断定致します」
かなえがわかりやすく顔をこわばらせる。反対に、ヤヨイはいつもと変わらず、涼しげである。
まさかこんなところでこの機能が役に立つとは思わなかった。
盤上は、俺に傾いている。
「もうお分かりの通り、俺に資金力はありません。なので、俺には俺にしかない、交渉材料を使わせてもらいます」
「交渉材料?」
かなえは本当に不思議そうな顔で問うた。こういうある意味純粋な好奇心を失わないことが、ビジネスマンとしての成功の近道なのかもしれない。
他人事のように考えながら、俺はいよいよ切り札を出す。
「俺は、母の墓の場所を、知っています」
そんなこと知って何の得になるんだ、と革命軍は思うかもしれない。
革命軍のメンバーは、だ。
ただこいつは違う。かなえは、俺の情報は喉から手が出る程欲しいはずだ。それこそ、全財産を投げうってでも。
「敬語が嫌いなら、これだけは偉そうに言ってやりますね」
俺は本来の、意地の悪い笑みを浮かべる。
「お前が協力してくれたら、母さんの墓前で『かなえさんが協力してくれた』って言ってやるよ。負け犬」
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