桜吹雪に精霊はうたう

藤森かつき

桜吹雪に精霊はうたう

 川沿いの桜がキレイで、散り際だけれど写真を夢中で撮りまくっていた。人通りの多い土曜の桜並木。終わりに近い桜だが、充分に愉しめる。

 ふと、鳥の声以外の騒めきが消えた。

 桜の花びらを捉えていたスマホから顔をあげると、知らない場所だ。桜並木ではなく、桜の森。近くの車道は消え、車の行き交う音も消えていた。人々の会話も途切れ、静寂。いや、風の音が微かに聴こえる。

 

 ばあああっと、桜吹雪に巻かれた。

 桜の森で、花びらの嵐だ。

 

 

 

 唄が聴こえている。キレイな響き。中性的だが男性の声だ。

 姿を探して見回した。

 

 魔性な響き、桜の精霊か何かか?

 ここは、どこだ?

 

「ここは、媒鳥おとりの森。早くもどったほうがいい」

 

 桜の樹にもたれ掛かるような姿が、澄んだ声で囁いた。長く黒のようにみえる髪、薄紫の眼。薄笑みを浮かべた白く綺麗な貌。人に酷似しているが、気配は人ではない。身にまとうのは薄衣だろうか? 形がよく分からないが淡い色調だ。

 

「戻る? どうやってきたかも分からないのに?」

 

 不審を露わにした声で訊いた。

 

「そうだろうね。私が招き寄せた」

 

 青年に視える姿が、桜の花びらと混ざりながら寄ってくる。いや、引き寄せられ、近づいているのは自分のほうだ。

 

「じゃあ、帰してくれ」

 

 反射的に応えた。

 

「本当に帰りたいなら、いつでも帰れる」

 

 最初控え目だった彼の笑みは、次第に妖艶な色合いを含む。しなやかな、ヒンヤリとした指先が顎に触れてきた。

 

「変なことを言うな……」

 

 まるで帰りたくないのだと確定されているような響きだ。

 

「私を気に入ってくれたのだろう? 随分と熱い眼差しを注いでくれていた」

 

 なんのことか分からず、ただ薄紫の眼を見詰める。そこには写真で捉えたい美が在った。

 

「帰らないと、どうなる?」

「毎年、私と共に咲く」

「桜になるのか?」

「隣の樹は、精霊が不在だ」

「花の季節以外は、何をするんだ? 退屈そうだ」

「忙しいものだよ? 花の季節に備えてやることは多い。話相手にもなってくれ。花を愛でるその心で、私をずっと揺さぶってほしい」

 

 魔性の誘惑は、心地良かった。

 

「花の季節に、また逢いにくるのじゃ、だめか?」

 

 言葉の応酬が快感めくのを払うように、問う。

 

「今選択しなければ、もう二度と逢えない」

 

 振り切って元の世界へ戻ることを、しばし夢想した。スマホを手に美しい写真に満足しながら帰宅する? それは、すでに幻想めいた思考に感じられた。

 

「オレの身体はどうなる?」

「どうとでも。桜の養分になることもできる。根に絡めとられて苗床のように」

「養分になっても、隣の樹に住みつけるのか?」

 

 オレは何を言っている?

 危険信号が遠いところで灯っていた。

 

「行き倒れの死体として処理させてもいいですよ」

「……運ばれてしまっても、魂はこの樹に宿れるのか?」

 

 精霊の隣の樹を眺めて訊いてしまっている。

 

「どちらでも。あなたの魂は私が離しませんから確実に、隣の桜です」

「ならば、養分に」

 

 死体がなくて存在を消せるのか、と、不謹慎にも少しワクワクしてしまった。

 どのみち自分の死体だ。不謹慎でもいいか。

 

「アンタの唄は、聴けるのか?」

「もちろん。お望みのままに」

 

 ならば悪くない、と思う。決断のときなど、うに過ぎていた。

 

「私たちの根に絡めとられ、艶やかに咲き誇るための糧としましょう」

「自分の身体を、糧にするのか?」

「せっかくのあなたの残骸です。大事に味わいましょう」

「アンタ、名は?」

「焦ることはありません。じっくり語りながら、いずれ知るでしょう」

 

 すでにあなたと同じ名ですよ、と、言葉が足された。

 オレの名?

 ソメイヨシノ。花びらは風にどんどん舞い散り、激しい桜吹雪となっていた。

 

 

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桜吹雪に精霊はうたう 藤森かつき @KatsukiFujimori

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