桜吹雪に精霊はうたう
藤森かつき
桜吹雪に精霊はうたう
川沿いの桜がキレイで、散り際だけれど写真を夢中で撮りまくっていた。人通りの多い土曜の桜並木。終わりに近い桜だが、充分に愉しめる。
ふと、鳥の声以外の騒めきが消えた。
桜の花びらを捉えていたスマホから顔をあげると、知らない場所だ。桜並木ではなく、桜の森。近くの車道は消え、車の行き交う音も消えていた。人々の会話も途切れ、静寂。いや、風の音が微かに聴こえる。
ばあああっと、桜吹雪に巻かれた。
桜の森で、花びらの嵐だ。
唄が聴こえている。キレイな響き。中性的だが男性の声だ。
姿を探して見回した。
魔性な響き、桜の精霊か何かか?
ここは、どこだ?
「ここは、
桜の樹に
「戻る? どうやってきたかも分からないのに?」
不審を露わにした声で訊いた。
「そうだろうね。私が招き寄せた」
青年に視える姿が、桜の花びらと混ざりながら寄ってくる。いや、引き寄せられ、近づいているのは自分のほうだ。
「じゃあ、帰してくれ」
反射的に応えた。
「本当に帰りたいなら、いつでも帰れる」
最初控え目だった彼の笑みは、次第に妖艶な色合いを含む。しなやかな、ヒンヤリとした指先が顎に触れてきた。
「変なことを言うな……」
まるで帰りたくないのだと確定されているような響きだ。
「私を気に入ってくれたのだろう? 随分と熱い眼差しを注いでくれていた」
なんのことか分からず、ただ薄紫の眼を見詰める。そこには写真で捉えたい美が在った。
「帰らないと、どうなる?」
「毎年、私と共に咲く」
「桜になるのか?」
「隣の樹は、精霊が不在だ」
「花の季節以外は、何をするんだ? 退屈そうだ」
「忙しいものだよ? 花の季節に備えてやることは多い。話相手にもなってくれ。花を愛でるその心で、私をずっと揺さぶってほしい」
魔性の誘惑は、心地良かった。
「花の季節に、また逢いにくるのじゃ、だめか?」
言葉の応酬が快感めくのを払うように、問う。
「今選択しなければ、もう二度と逢えない」
振り切って元の世界へ戻ることを、しばし夢想した。スマホを手に美しい写真に満足しながら帰宅する? それは、すでに幻想めいた思考に感じられた。
「オレの身体はどうなる?」
「どうとでも。桜の養分になることもできる。根に絡めとられて苗床のように」
「養分になっても、隣の樹に住みつけるのか?」
オレは何を言っている?
危険信号が遠いところで灯っていた。
「行き倒れの死体として処理させてもいいですよ」
「……運ばれてしまっても、魂はこの樹に宿れるのか?」
精霊の隣の樹を眺めて訊いてしまっている。
「どちらでも。あなたの魂は私が離しませんから確実に、隣の桜です」
「ならば、養分に」
死体がなくて存在を消せるのか、と、不謹慎にも少しワクワクしてしまった。
どのみち自分の死体だ。不謹慎でもいいか。
「アンタの唄は、聴けるのか?」
「もちろん。お望みのままに」
ならば悪くない、と思う。決断のときなど、
「私たちの根に絡めとられ、艶やかに咲き誇るための糧としましょう」
「自分の身体を、糧にするのか?」
「せっかくのあなたの残骸です。大事に味わいましょう」
「アンタ、名は?」
「焦ることはありません。じっくり語りながら、いずれ知るでしょう」
すでにあなたと同じ名ですよ、と、言葉が足された。
オレの名?
ソメイヨシノ。花びらは風にどんどん舞い散り、激しい桜吹雪となっていた。
桜吹雪に精霊はうたう 藤森かつき @KatsukiFujimori
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