初夜に前世を思い出した悪役令嬢は、冷徹王子に拾われる。

藤森かつき

初夜に前世を思い出した悪役令嬢は、冷徹王子に拾われる。

 内輪での婚儀後、クラリッサ・ハイルダは夜着に着替えさせられ初夜の寝室へと向かっていた。長い赤の巻き毛によく似合う白く長い優雅な夜着。

 ポース公爵家令息バックログルプは着替えておらず、少し気にかかっていたが、長年の恋心が叶い結婚まで漕ぎつけたことで、クラリッサはすっかり舞い上がっていた。心の感じる小さな違和感など、どうでも良かった。

 

「わたし、とても幸せです」

 

 ようやく念願が叶った! グルプ様は、根負けしたのか、内輪での結婚式を挙げてくれた!

 何度も、クラリッサの心で、その事実がこだまする。

 バックログルプに誘導されながら、初夜のための寝室へと向かっている。夢のようなときだ。

 

「それは良かった」

 

 笑みを含むバックログルプの声は、優しく響いた。

 かたわらに愛しい人の気配を感じ、幸福感に満たされている。

 

 バックログルプを手に入れるために、クラリッサは何だってやった。近づく令嬢たちを罠にはめて追い落とし、悪虐と噂されようが、一途いちずにバックログルプを求めた。

 

 バックログルプは豪華な扉を開けると、部屋へと入るようにクラリッサを促す。視野にはいるのは、とても綺麗で豪華な広い寝室。

 

「そのまま、死を待つといい。もう二度と逢うことはない」

 

 唐突な言葉と共に、バックログルプはクラリッサを突き飛ばして部屋に転がす。そして冷酷な表情で扉を閉めた。

 

「グルプさま、待って、開けて、ここを開けて顔を見せて!」

 

 扉を何度も叩く。手が痛くなっても構わず続けた。

 燃え盛る恋心は、裏切りを信じられずにいる。

 

 内輪だという結婚式は、偽りの形だけのものだった――?

 直感はそう告げたが、にわかには理解できない。理解したくない。

 

 幽閉?

 渦巻く思い。

 思念は逆巻きながら、不意に大量の記憶の奔流となった。どす黒い怒りの記憶!

 

 前世の記憶も混じっていたが、驚くべきことに大半は未来の記憶だ。幾つもの未来。必ず死んでしまう未来。そして死に戻った結果、ここに到った。

 いつも、この部屋で死に、この閉じ込められた瞬間へと戻っている。

 

 

 

 クラリッサは絶叫めいた悲鳴をあげながら、記憶の氾濫にしばし浸った。

 

 

 

 ここの塔に閉じ込められたのは、初めてじゃない!

 その衝撃は、前世の記憶を掻き消すほどに強烈だった。

 毎回、死に戻ると、初夜の屈辱から始まる。思い出した。全部。何度ものやり直しを。

 

「酷いものね……」

 

 クラリッサは、呆れたように独り呟く。

 

 最初は、おとなしく彼が来てくれるのを待った。

 悪虐令嬢と呼ばれながら、しおらしい娘と化し、ひたすら待った。恋心は裏切られた後も燃え盛っていた。

 ある時は、即座に実家のハイルダ家が軍に攻め落とされ、咎人のひとりとしてクラリッサは処刑されている。

 

 だが、大抵は、外の状況など知らされることもなく、水も食事も与えられず消耗し餓死した。

 空腹に耐えかね花瓶に飾られた花を食べたときは、酷い毒の効果に苦悶の末にき死んだ。

 

「やはり、毒花がある。食べさせるつもりで飾ってあるのよね?」

 

 死に戻りの記憶が甦るときもあった。逃げようとし塔から身を投げ自殺する形にもなった。ここは、高い塔の最上階だ。

 

 戻るたび、部屋のなかを探し回るようになった。じっとしていたら、いずれ死ぬ。

 安全に脱出するための手段を探した。

 何もない。

 だが、そう! 前回、見つけたのだ!

 

 巧みに隠されていた魔法の品。前回は、うまく使えなくて塔から墜落して死んでしまったが。

 今度は、ちゃんと使ってみせる!

 

 何の魔法か分からないのだが、転移系だろう。夢中で掻き取って作動させ、気づいたときには薮のなかに転げ落ちていた。夜着はズタズタになり、泥まみれだけど、生きてる!

 しかも、公爵城の外に出られた。なんとか脱出成功だ。

 夜の街を華奢な靴で走った。

 

 え? 馬車が突撃してくる!

 ああ、もう、万事休す……? やっぱり死ぬのね。

 

 しかしかれる寸前、馬車は急停車し、扉が開いた。王宮の馬車だ。

 

「乗りなよ」

「え?」

 

 冷徹王子?

 冷徹王子と噂される、王家の次男フェレルド・ガナだった。

 

「そんな格好の令嬢を、夜の街に放置するわけにいかないだろう?」

 

 いや? 噂通りの冷徹なら放置だろう。

 クラリッサは信じ難い思いで、心のなかで呟く。だが、微笑するフェレルドの顔は、とても美しく、クラリッサはついふらふらと馬車に乗り込んでいた。どのみち行く所などない。

 

 

 

「どうして、わたしを拾ったの? 殺すため?」

 

 馬車のなか、居心地が悪く呟いた。柔らかそうな淡い金の髪。印象的な水色の眼。冷徹王子と噂され、実際、温情のない処罰を下す。王は傀儡かいらいで、政治の実権は第二王子フェレルド・ガナが握っていると、もっぱらの噂だ。

 邪魔者を消す手腕は、悪虐と綽名されたクラリッサでも到底及ばぬ鮮やかさだった。

 

「いや、気に入ったから」

「悪虐なのに?」

「なに。噂はあてにならない」

 

 フェレルドは形の良い唇の端に微笑を浮かべ、何気に愉しそうな表情だ。

 

「ああっ、実家が攻められてしまう……」

 

 馬車のなか不意に渦巻く思いが甦り、クラリッサは耐え兼ねたように声を振り絞った。

 

「ハイルダ家が?」

 

 ちゃんとどこの家の令嬢か知っていたようだ。

 

「そう。ポース公爵家は、うちを狙ってたみたい」

「わかった」

 

 馬車は王宮へと入り、クラリッサは第二王子フェレルドの指示で侍女たちに、あれこれ世話をやかれた。香りの良い湯に浸かり、豪華で着心地のよい寛ぎ着をまとわされ、フェレルドの待つ応接へと通された。

 

 フェレルドは無表情そうに見せているが上機嫌な気配だ。

 予定の刻に開戦はなかったらしい。王宮は穏やかな空気に満ちている。

 

「何をしたの?」

 

 クラリッサはいぶかしそうにしながら訊いた。

 

「ん? ハイルダ家を攻めたら、爵位を取り上げると伝令しただけだよ」

 

 クラリッサは緑の瞳を見開き、フェレルドを見詰めた。言葉を信じてくれただけでなく、本当に助けてくれたのだと、急に実感が湧いてくる。

 何度も苦痛のなかで死ぬのを繰り返し、心は記憶が戻ると共に凍てついたのに。

 今度こそ、やっと助かったらしい。

 

「なぜ? なぜ、何も訊かずに、ここまでしてくれるの?」 

 

 クラリッサは、何も事情を話していない。拾ってくれただけでなく、実家も助けてくれた。ポース公爵家にも、一矢報いたようなものだ。

 

「悪虐といわれるほどに美しく、無邪気で、情熱的。ずっとキミを見ていた」

 

 フェレルドは静かながら笑みを浮かべて囁いた。

 

「情熱など……すっかり枯れてしまいました」

 

 クラリッサは、ぼそぼそと呟く。実際、抜け殻のような、燃え尽きた感覚だけが存在していた。

 

「それは良かった」

 

 冷徹王子は平然と応える。

 

「良かったですって?」

 

 やはり、何か企んでいるのか? 実際には助かったわけではなかった?

 さまざまな思いが、クラリッサの心のなかを揺さぶった。

 

「そう。バックログルプへの愛情が枯れたのだろう? 今度は、少しずつで良い。オレへの愛を育てろ」

 

 だが、クラリッサの思いは杞憂きゆうだったようだ。フェレルドは優しい表情を向けて囁く。

 

「復讐……しても良い?」

 

 そんな気力はないのだが、クラリッサはままめいて小さく訊いてみた。屈辱の記憶は、王子の微笑でだいぶ薄められてしまったようだ。

 

「好きにすると良い。協力しよう。だが、キミは既に命令ひとつでポース公爵家を滅ぼせる力を持ったよ? 普通に復讐するのじゃ足りなくない?」

「え? じゃあ、どうするのが良いっていうの?」

「まずは、婚約しよう、クラリス」

 

 フェレルドは、クラリッサを親族のみが使う愛称で呼んだ。

 

 

 

 ガナイテール国の実権を握る第二王子フェレルド・ガナと、ハイルダ侯爵令嬢クラリッサ・ハイルダの婚約は、大々的に告知された。祝いの品が、あちこちから届いている。

 

「どんな復讐をしたい? 希望はある?」

 

 フェレルドはクラリッサの手を取り、優雅な仕草で散歩に誘い出すと訊いてきた。

 

「……わからない」

 

 悪虐とまで言われたクラリッサは未来の記憶の氾濫のせいで、最早もはや疲れ果て復讐の手段を思いつくことなどできなかった。

 

「じゃあオレに任せて。キミの目の届く所での破滅がいい? それともキミの視野に入らないほうが良い?」

 

 内容の物騒さに反比例してフェレルドは優しい声音こわねと、表情だ。

 

「もう二度と顔も見たくない」

「わかった」

「悪虐との婚約……その上で、ポース公爵家になにかしたら、きっと悪評が立つわよ?」

 

 心配してではなく、少し呆れてクラリッサは訊く。

 

「なに。悪虐といってもオレほどの所業はキミにはない。それにキミが手を下さずとも、ポース公爵家は自然に淘汰されていた」

「そうですか?」

「クラリス、キミを手にいれるために、オレが滅ぼした」

 

 冷徹王子と呼ばれるに相応しいような言葉は、しかし蜜のように甘く響いた。

 

 

 

「今、面白い事態になっていてね」

 

 フェレルドは、クラリッサと広間で踊りながら囁いた。ポース公爵と公爵令息の破滅を画策するフェレルドは、極上の笑みを向けて囁いた。

 

「隣国であるベルドベル国の王は、異界の姫に夢中らしい。これは良い機会だ」

 

 彼女は王子が何を考えているか、全く見当もつかない。が、最近では頼もしく感じるようになっている。

 

「ベルドベル? 死霊使いの国が、関わっているの? 怖いわね」

「これは、使える事態だよ」

 

 その内容が残虐であるほどに、企むフェレルドのクラリッサに向けられる表情は甘美な色合いを宿す。

 フェレルドは公務でも、私的な事柄でも、必ずクラリッサを連れて歩くようになっていた。一時いっときでも、離すまいとしている。

 

 

 

 フェレルドは、第一王子テビエン・ガナと対話する場にも、クラリッサを連れて行った。クラリッサは一言も喋りはせず、ただ黙って婚約者としてフェレルドの隣に居るだけだ。

 

 表向きは、異界への通路が開いてしまったグウィク公爵家への援軍を出す話だった。

 グウィク公爵家は辺境で、ベルドベルと国境が接した領地だ。ベルドベル国から死霊の攻撃を受け、常に難儀している。

 だが、フェレルドは、そんなことはすっ飛ばし、ベルドベル国を攻めさせる算段をテビエンに吹き込んでいた。

 

「俺に、ベルドベルの王になれと?」

「そう。ポース公爵の軍を、自分の軍として率いるといいよ」

 

 テビエンは怪訝けげんそうながらも、話に飛びついていた。兄弟仲は良いらしい。

 

 グヴィク公爵への援軍を派遣との名目で、ポース公爵家は軍備と徴兵をしていた。だが、それはハイルダ家を攻めるための軍備増強だ。クラリッサの進言でハイルダ家を攻めるのはフェレルドが阻止してくれた。

 

 フェレルドは、ハイルダ家を攻める予定だった軍を、第一王子テビエンの軍としてベルドベルへ攻め入らせる魂胆らしい。婚約者であるクラリッサの実家であるハイルダ家を攻める企みがばれ、ポース公爵はフェレルドに脅されている状態だ。テビエンに付き従うしかないだろう。

 

「ポース公爵を王に据えて戻ってきてもいいけど、兄上が国王になれる機会は、これが最後ですよ?」

 

 ガナイテール国の王ザクレイティ・ガナは、当分、王位を譲る気はない。ということになっている。

 実権は、フェレルドが握っているから、王位などそのままで問題はない。第一王子は、戦術にはけるが政治能力はからきしだ。

 

「面倒ごとは、ポース公爵と令息に任せればいい。なにしろ、爵位を剥奪、と脅せば、ポース公爵はなんだってしてくれる」

 

 くつくつ笑いながらフェレルドは告げる。国が空になったところへ攻め込むように、第一王子をけしかけた。準備は万端。ポース公爵に指示して整えさせている、と。

 

「いいだろう。俺がベルドベルを滅ぼして王位を奪うとする」

「良い返事をありがとう。的確なときに、軍は移動させてあげるから」

 

 フェレルドは、極上の笑みでテビエンへと約束した。

 

 

 

 第一王子を説得した後、クラリッサはフェレルドに連れられ異界へと渡る。

 

 他の者にはひた隠しにしているようだが、フェレルドは強力な魔法の使い手だ。異界への通路まで、フェレルドがクラリッサを連れて転移している。

 

「フェレルドさまが魔法の使い手だなんて初耳です」

「そうだろうね。隠しているから。だけど、王家に伝わる宝物庫には、魔法を操れる品が豊富にある」

 

 魔法の品を使っている、と、フェレルドは言うが、たぶん品などなしで魔法が使えるのだとクラリッサは直感した。

 

 ガナイテール国を含む世界には、聖なる魔法の力が不足している。死霊の闊歩かっぽするベルドベル国へ攻め入るには、聖なる魔法の付与が不可欠だ。異界のライセル城に嫁入り予定の姫が、それを造ることが可能だとガナイテール国ではもっぱらの噂だった。

 

 フェレルドは、かねてより依頼していた大量の聖なる品々を、王家の秘蔵品を代価にして手に入れた。そして、異界との交易契約やら形式的なことを済ませた後、ライセル城が用意してくれた特別室へフェレルドとクラリッサは招き入れられている。

 

 大量の聖なる魔法を秘めた、美しい装飾品が処狭しと並べられていた。フェレルドは、嬉しそうにひとつひとつ手にしては、クラリッサに身につけさせている。

 

「悪虐と呼ばれたわたしを、聖なる品で飾るの?」

 

 困惑しながらクラリッサは訊いた。枯れた心が潤って行くような不思議な感覚。

 

「聖なる品がこんなに似合うのに、悪虐とは、みな見る目がないね」

 

 うっとりと、クラリッサを飾り付けながらフェレルドは囁いた。

 フェレルドは、聖なる宝飾品をクラリッサのためだけに大量購入し、魔法の空間にしまいこんだ。

 

「復讐は、オレがする。未来にキミを何度も殺した罪は、普通には裁けないからね」

 

 異界通路の螺旋階段を、手を引いて渡りながらフェレルドは軽い口調で告げた。

 

「ベルドベルに送っても、逃げ帰ってくるに決まってる」

「それはできない。死んだほうがマシだった、という思いを彼は何度もするよ」

 

 フェレルドは確信しているようだ。

 

「任せる。もう、興味ないから」

「うん。クラリスは、オレだけ見てれば良い。オレもキミだけ心に置く」

 

 

 

 フェレルドは冷静に、成り行きを見ていた。

 地獄のような場所に、第一王子である兄を新たな王として送り込む。ただ第一王子に関してだけは、陥れる目的ではないようだ。

 第一王子の王位継承権が、内密で剥奪されていることをクラリッサは教えられた。だから、権力争いに発展する心配からではない。

 

 フェレルドは良好な関係の兄を、どこかの王位につけたいと思っていたようだ。

 ただ、テビエンは人使いが荒いという悪癖があるらしい。その辺りが、復讐として最適な理由なのだろう。

 

「何故、すぐに人間界を攻めないの?」

 

 ベルドベルの王は、即座に異界に攻め込む気配だったが、なぜかグウィク公爵城を、小規模に攻めることを繰り返していた。

 クラリッサはフェレルドと一緒に、大きな魔法の鏡でさまざまな成り行きを眺めている。

 こんな便利な魔法の鏡があれば、どんな計画も成功させることができるだろう。

 

 ベルドベル国や、異界の様子はぼんやりとしか映せないが、ガナイテール国の状況は、どこであっても克明に映る。

 

「死霊たちを強化してるみたいだ。今のままでは、異界の姫である聖女に勝てないから。道具が無効化する手段が成功すれば、即座にライセル城へ行くよ」

 

 まもなく、フェレルドの読み通りになった。ベルドベルの王は、大量の死霊たちをどんどん異界通路から送り込むようになった。ただ、王自身がなかなか異界へ渡らない。

 

 クラリッサはヤキモキしていたが、フェレルドは落ち着いたものだ。

 

 ポース公爵は、ハイルダ家襲撃の証拠は上がっている、と、フェレルドに脅されベルドベル国に行くことを承知した。

 過去にポース公爵と交わした会話の内容を、フェレルドは魔法の鏡でクラリッサに聴かせてくれている。

 

「第一王子に付き従えば、彼は重用してくれるはずだよ? このまま都に残るなら、オレはキミの爵位を剥奪する。クラリッサを殺そうとした罪は重いよ?」

「そんな、滅相もありません!」

「クラリッサを幽閉し、その間にハイルダ領を攻め落とす予定だったろう? 軍備が増強され兵も増えている」

「ぐぬぬ……」

「第一王子に付き従うなら、不問にふすよ。でなければ処刑だね」

「そんな……」

「軍備も増兵も丁度いいから、第一王子と共に、ベルドベルへ進軍してもらうよ」

 

 ポース公爵の呻く声。

 

「王宮から兵はだせないからね? だが、第一王子の近衛たちは優秀だ。ただし第一王子に万が一のことがあれば、王宮からの支援は途絶える。キミは破滅だ。大切に守れ!」

 

 

 

 ベルドベルの王シェルモギが、異界通路を渡ってライセル城を攻めに行った。その後も、国境から流入してくる死霊たちが続々と通路に入って行く。もうグウィク公爵領には目もくれず、各種の死霊たちがひたすら通路に飲み込まれて行く。ただ、グウィク公爵家がライセル城の加勢ができない程度には、城を取り囲む死霊たちは配置されたままだった。

 

 フェレルドは、その瞬間を待っていた。

 

「さあ、進軍の始まりだ」

 

 王宮の極秘の裏庭に、巨大な円が在る。

 煉瓦のような石がピッタリ並べられ正確な円を描いていた。

 第一王子、その側近や近衛兵、公爵、公爵令息、徴兵された者たち、それらが全員、円の中に並ばされている。

 食糧部隊や武器防具の予備などを運ぶ者たちも円のなかだ。

 

 クラリッサは姿を視えなくされた状態で円の外、フェレルドの隣に居た。バックログルプ・ポースは、クラリッサからは見えない場所に配置されていたようだ。

 

「ご武運を」

 

 円の外にいるフェレルドの皮肉めいた響きの声と共に、ごごっ、と、少し低い音が響く。巨大な円からは、王家の魔法の力が立ち上り、半球状に包み込むような光となった。そして、次の瞬間には、円の中の全員の姿が掻き消えていた。

 

「ベルドベル国の城に送り込んだよ。戻れない進軍だとは、夢にも思っていないだろうね」

 

 バックログルプ・ポースのことを言っているのだろう。

 

「討ち死になさるの?」

「いや? それはない。ただ兄上に扱き使われて死んだほうがマシだったと思うだろう。相当に苦労すれば道は開けるけど、我慢できるかは謎だね」

 

 兄上は、案外平気どころか、むしろ伸び伸びと状況に順応するだろう。だが、その下で働かされる身は、過酷だよ、と、言葉が足された。なまじ政治力がないから、無茶も通す、と。

 クラリッサは、黙って頷く。

 

「キミを殺そうとしたこと、何度も殺したこと。オレは絶対に許さないよ」

 

 極上の笑みをクラリッサへと向け、フェレルドは断言した。冷徹王子が言うのだから、バックログルプには地獄の道行が待っているのだろう。

 

 

 

「国境には関所を設置する。公爵と公爵令息は通さない」

 

 公爵と令息は、国境を越えようとすれば咎人の扱いとなるらしい。公爵の地位にしがみつくなら、王の無茶な要望に応え続けるしかない。

 王に刃向かうなら、また、王に何かあればガナイテールの正規軍が攻め込む。

 

 今までは、第一王子の無茶のツケを、フェレルドが片づけてきたようだ。冷徹であれば、どんな理不尽な処罰も納得された。

 その無茶は、今後、公爵家が一手に引き受けねばならない。

 

「彼は新しい婚約者にも見捨てられたそうだよ。一緒に行くのは拒んだようだ」

 

 辺境よりも酷い。死霊が統べていた国を立て直すなど、どのくらいの年月が必要か見当もつかないだろう。華やかな王都での暮らしを捨てることなど普通の令嬢ならばしない。

 

「あんな男、どうだっていい」

「ふふ。それは、嬉しいよ。オレのことだけ考えて」

 

 クラリッサが第二王子フェレルドの婚約者になったことで、ハイルダ家は侯爵から公爵へと格上げになった。それだけでなく、放置された広大なポース領はハイルダ家の領地となった。

 ポース公爵を慕うものはベルドベル国へ送る。そうでないものは、そのままハイルダ公爵の所属となる。

 

 ベルドベル国は、もぬけの殻で、王座に置かれた魔道具から死霊たちが次々と産み出され、国境目指して列を成していたようだ。

 第一王子テビエン・ガナが、それを破壊し、王座についた、と、近衛からの連絡がフェレルドへと届いた。

 

 

 

 攻め込まれたライセル城は、死霊の王シェルモギを倒したようだ。

 ライセル城からガナイテール国へと、ルードラン・ライセルは婚約者を連れて異界通路を渡ってきた。

 

「決着がついたようだね」

 

 クラリッサと一緒に大きな鏡を覗いていたフェレルドは、そう告げるとクラリッサを連れ、彼等に合流すべく転移した。

 

 なぜ、死霊の流入が止まったのかライセル城側では、不思議に感じていたようだ。

 ライセル城の代表であるルードランとマティマナに、フェレルドはこちら側の事情を説明している。フェレルドの采配は完璧で、ライセル城側の力量も分かっていての計画だったのだとクラリッサは知った。

 

「ライセル城を巻き込んでしまって、申し訳なかったね」

 

 フェレルドは、笑みを深めてライセル城の方々に告げている。そしてクラリッサを連れて転移で王宮へと戻った。

 

 

 

「これでもう、クラリスを悩ませるものは何もないよ」

 

 フェレルドはクラリッサの手を取り、うっとりとした表情で囁いた。

 

「ありがとうございます。わたし、もう死に戻りしたくない……」

 

 もう二度と、死んでやり直すなどしたくない。このままフェレルドの手を掴んでいたい。

 

「オレが護るから、クラリスはもう死んだりできない。ずっと、永遠にでも、共に生きてくれ」

 

 真顔ながら優しい笑みをフェレルドは浮かべている。冷徹王子と噂されているが、噂はあてにならない。

 クラリッサにとっては、何よりも熱い思いを秘めている存在として感じられている。

 

「あなたを、愛しているみたい」

 

 愛は、枯れてはいなかった。ゆっくりとにじむように、そして激烈に、心を掻き乱しはじめている。フェレルドの冷徹と見せかけたなかに潜む優しさに包まれ、安堵感は揺るぎないものとして存在していた。

 

「嬉しいよ、クラリス! ずっと、ずっと、愛していたよ」

 

 弾む声が囁き、ギュと、腕の中に抱き寄せられている。

 幸せへの道は、ふたりで歩む。

 クラリッサは抱きしめ返しながら、愛しています、と囁いた。

 

 

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初夜に前世を思い出した悪役令嬢は、冷徹王子に拾われる。 藤森かつき @KatsukiFujimori

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