第18話

 そして、美月から祭りに誘われることも昴から誘うこともなく日付は変わり、昴は例年通りの自堕落な夏休みが始まった。

 午後四時を指す時計。あと二時間もすれば祭囃子が聞こえ、その一時間後には夜空に花が咲くだろう。そして昴はビールを片手にひとりでベランダに出て、建物の隙間から僅かに見える花火を眺めるのだ。これが所謂エモい、というやつだろうか。

 まだ花火を見ようという気概があるのだから去年よりマシだ、と自分に言い聞かせていると手に持っていたスマートフォンが着信を知らせる。電話の相手は美月だ。

 何の用だろう。ロックを解除しスマートフォンを耳に近づけた。電話越しからは慌てたような美月の声が聞こえる。


「もしもし藍田くん?今、大丈夫?」

「うん。何かあったか?」

「今日の花火大会なんだけどね、一緒に行く予定だった友梨ちゃんが熱出ちゃって行かないことになったから……藍田くん、もし良かったら、うちで一緒に見ない?」

「えっ、マジ?」


 美月が住んでいるマンションは花火大会の会場である河川敷のすぐ側だ。部屋からは川が一望できたと記憶しているので、花火を楽しむには持ってこいだろう。


「何時にそっち着けばいい?」


 昴は話しながら身支度を始めていた。





 十九時に差し掛かる頃、昴はマンションのエントランスに到着した。自動ドアが開いた先にロビーのソファに腰掛けた美月を見つけ、息を飲む。

 浴衣姿の彼女はこちらに気づくと微笑みながらひらひらと手を振った。


「急に呼び出しちゃってごめんね。花火、ひとりで見るのは味気ないなぁと思って」

「いや全然。むしろこんな良い場所で見られるなら大歓迎」

 

 軽い会話を交わしつつ、昴はオートロックを解除する美月の横顔に目を向けていた。紺色の地に朝顔が描かれた柄の浴衣に、朝顔と同じ明るい紫の帯。足元の草履も紫の鼻緒で揃えられた組み合わせは、彼女の可憐さを引き立たせている。聞くと、昨日の祭りも同じ格好で参加していたそうだ。こんな美女が歩いていたら二度見する。しかも、橋本たち過ごしていたらしいから、美女が並んでさぞ絵になっていただろう。 祭り会場で会えなかったことが悔やまれる。

 浴衣に気を取られていたが、髪型も凝っている。肩ほどまでしかない髪を器用に編み込んで耳の下でふたつに纏めているので、普段は見えないうなじが露出している。色気を感じて思わず目を逸らした。


(睫毛、長いな)

 

 ごちゃごちゃと考えていた昴だが、結論はひとつ。可愛いの一言に尽きる。この姿を間近で、しかも独り占めできるとは。今年の夏は最高かもしれない。





「すげえ、マジで景色いいじゃん」

「でしょ〜」


 河川敷に面したバルコニーからは、祭りの屋台や櫓が見えた。人の波もぼんやりと確認できるが喧騒は届かない。人に囲まれながら見る花火というのも風情があるだろうが、この特等席の方が昴の性に合っている。

 窓越しに、キッチンでせかせかと動く美月が映っている。なにか用意をしているらしい。時間的に夕食だろうか。

 昴は手土産を持ってきたことを思い出し、彼女のもとへ向かった。


「松本、これ」

「え〜持ってきてくれたの?嬉しい!」


 大したものではないが、ガラス玉のような瞳をきらきらと輝かせられると、買ったこちらも気分がいい。

 手に持っていたビニール袋を差し出す。中身はマンションへ来る途中、祭り会場で買ってきたフランクフルトだ。勿論、美月が咥えているところが見たいから等といった疚しい気持ちは一切ない。一切ないのだ。

 


「あ、あと酒……」

「わーい!お酒もありがとう。なんのやつかな……」


 再度目を輝かせた美月の目は、缶を見た途端元の調子に戻った。残念ながらお気に召さなかったようだ。

 美月は喜びの感情ははっきりと顔に現れる。しかし、その他の感情については注視しないと分かりにくい。かく言う昴もマドンナ的存在である彼女を遠巻きに見ていたときには気づかなかった。そのため行為中、感情の起伏が激しくなるのは見ていて愛おしく感じる。

 

 小さな口が開き、聞き逃してしまいそうな声量で呟く。


「メロン……」

「好きなシリーズじゃなかったか?」


 美月は目を逸らしながら掻いている。眉を下げて笑う顔を見るに、少し困っている様子だ。

 

「えっとね、実はメロン食べられないんだよねえ」

「マジか」

「わざわざ買って来てくれたのにごめんよ〜」


 美月とはそこそこの頻度で会っていると思っていた。学校で関わる男性陣よりは遥かに密接な関係であると。

 しかし、実際はどうだろう。食の好みすらまともに知らなかったのだ。昴と美月はたかだか身体だけの、その程度の繋がりでしかなかった。


 恋だと思っていた感情は、ただの性欲ではないだろうか?


 胸がずんと沈むのを感じながら、美月が酒を注ぐ姿を眺める。以前ここに泊まったときに飲んだものと同じ、ライチの酒だ。とく、とく、とく、と空気に触れながらグラスに落ちていく。


 今だって十分幸せではないか。こうして好きな人の傍にいることが出来ているし、その上身体を触れ合う関係だ。

 



 


「あ、上がった!」



 

 光が、差した。

 

 後ろを振り向くと爆音と共にその姿は形を崩していく。闇が幾度となく照らされて、赤、青、黄に染まった。地元の祭りとは比べられない数の花火に若干驚きつつも、その光と音に心が踊った。

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