第14話

 風呂から上がると時計の針は1時を指している。2回身体を交わったので当然の結果ではあるが、一周まわってふたりの目は冴えていた。しかし、目は冴えていると言ってもお互い満たされている上に体力は底を尽きているので3回戦目に突入することはない。

 昴は美月の手を取ってベッドに寝そべった。ダブルベッドなのだろう、余裕を持って横に並べる。昴の部屋だとシングルベッドに身を寄せあって寝ることになるのでかなり狭苦しい。美月の身体があと少しでも大きかったらベッドを取り合うことになっていただろう。


「広いし、マットレスは分厚いし、いいベッドだ……」

「藍田くんのベッドも好きだけどなあ」


 嬉しいことを言ってくれる。思わず美月の身体を自身の方へ寄せて、昴宅での距離感を作った。


「近い方がいい?」

「あったかいから丁度いいなーって」

「なるほど」


 暑くて寝苦しくないならよかった。美月はそのまま遠ざかることもなく、昴の右手を自身の手に重ね合わせた。大きさはもちろん、太さや柔らかさ、肌質、何もかもが違う彼女との触れ合いにはドキドキする。自分から触れる分には緊張することは少なくなったが、触られるとなるとそうはいかない。

 もう比べ終わっただろうと思い手を離そうとしたが、美月が指の隙間に指を絡め、昴の手をそっと握った。顔が熱くなるのを感じるが、幸いにも電気は間接照明のみだ。気づかれることはないだろう。照れを隠すように手を握り返した。少し冷えた美月の指先は熱帯びた昴に丁度いい。


「なんか、寝れないよねえ」

「分かる。2回もしたのに」

「ほんとだよ〜!」

「2回目、いつもより激しめにしたけど、あんな感じでよかった?」

「……うん。前言ったの覚えてたんだね」


 当たり前だ、と返すのは違う気がした昴は適当な言葉を口にする。それが面白かったのか美月は小さく笑った。へへっという声に続いて、共に頬を掠める暖かい空気を感じた。この距離でないと伝わらない感覚だ。

 それからふたりは取り留めもない会話を続ける。主に話を広げるのは昴だったが。他愛のない話をするより交わる方を優先させていた彼にしてはかなりの変化だ。どうせすぐ壊れるのだから不必要に構築しても意味がないと思っていた関係は、何時しかかけがえのないものになっていた。


「ん……なんだよ」

「あれ、まだ起きてた」


 どうやら深く考えこんでいたようで、寝落ちしたと勘違いされていたらしい。大して柔らかくもない頬をつままれたお返しに美月の頬をつまみ返す。ふにふにと指に柔らかい感触が伝わる度、彼女の口がなさけない声を上げた。執拗に揉んでいると、弱々しく喘ぐような声を出すので昴は3回戦目の準備が整わぬよう心と身体を鎮める。疲れていても昴の身体は正直なようだ。


「少しは眠くなったか?」

「ん、そろそろ寝ないとねえ……」


 そう言いながら美月は眠りにつく。

 先程までは冴えていた昴も、話し相手がいなくなると急激に睡魔に襲われた。ほどけそうな手を繋ぎ直し、重たくなってきた瞼をそっと閉ざした。




 


 (どうしよ、マジで起きないんだけど)


 昨日は遅くまで起きていたのでまだ眠たいのだろう。時計の針は10時を指している。ひとりで先に起きて朝食の準備をしようと思っていたのだが、身体を動かせる状況ではないのだ。

 その理由はもちろん、昴と手を繋いだまま寝ている美少女、もとい松本美月である。すうすうと寝息を立てて気持ち良さそうに寝ているので、起こすのは可哀想な気がするのだ。まだ夢の中で休ませたい。まだ、早いだろう。これを繰り返し、1時間が経過した。スマホを取ろうにもやや距離があるし、万が一落としたら美月の顔にぶつかりかねない。身体には跡を残し噛み付いているが、顔は別である。傷がついてしまったら大変だ。

 そもそも勝手に人の家で料理をしていいのだろうか。美月のような料理上手なら大歓迎だが、昴はそこまで得意ではないし、失敗したら申し訳ない。緊張で食パン1枚すらまともに焼けない可能性だってあるのだから。

 とりあえず、ベッドの中で美月が起きるのを待とうと決めて改めて彼女を眺める。肩上で切り揃えられた艶やかな髪の毛は、毛先が内側を向いてサラサラだ。

 顔のパーツは配置良く並んでいる。特に好きなのは唇だ。触れたことは一度もないが、いつもうるうると艶っぽく濡れて目を引く。

 しかし、なによりも好きなのは首のほくろだ。初めて見たときからずっと気になっている。思わずかぶりつきたいと思ったことは数え切れないほどあった。流石に跡を残したら人の目に入ってしまう場所なので自制心が働くが、いつか歯止めが効かなくなりそうだ。

 食い入るように見ていると、美月が寝返りをうった。一度離れて、また戻る。先程より些かに顔が近づき、目を逸らした。気まずいのだ。いくらセックスする仲とは言えど、恋愛的な繋がりがある訳ではない。

 彼氏ではないのに、この人にとっての初めてを全て奪い去ってしまいそうだ。同意はあるが、偶に申し訳ない気持ちになる。

 

 悶々としていると、美月が瞼を持ち上げた。眠り姫は目を擦り、こちらを見ながらへらっと笑う。


「おはよ……」

「ん、おはよ」


 やや掠れ気味の声はまだ眠たそうだ。昴は布団の中で繋がったままの手をほどく。すると美月が名残惜しそうな視線をこちらに向けてくるので、ほどいた右手で彼女の髪の毛を梳いた。相変わらず、マメに手入れが施されているのが分かる髪だ。

 しかしこちらに気がある訳ではないだろうから、期待を持たせるような素振りや、瞳で昴を見るのは止めていただきたいものである。しかし本人に指摘する訳にはいかず、ひとり悶々とすることしかできない。言ってしまったら全てが終わる。まだそんな勇気はなかった。


「先に起きて帰ってると思ってた」

「手ほどいたら起きるかと……」

「ん〜否めないね」


 笑いながらこちらに顔を向けた美月は、目を見開いた。その後平静を取り繕おうとするように瞬きを数回繰り返す。気になることでもあったのかと思い口を開こうとしたとき、彼女がベッドから起き上がった。


「朝ごはん、用意するから」

「ありがとな」


 独り言のように呟いた声に礼を伝え、1人になった昴は服を着替える。とは言っても昨日着ていた服と同じなので、頭を悩ませながらコーディネートを組むわけではない分楽だ。汗臭くないかとTシャツを鼻に近づけ、まぁ問題はないと判断し袖を通す。胸ポケットにワンポイントの刺繍が入ったネイビーのTシャツは、行きつけの古着屋で買ったものだ。そういえばあの店で美月と出会ったんだよな、と数ヶ月前の出来事を懐かしむ。あの日限りの関係だと思っていたものが、こんなに続くとは思っていなかった。


「藍田くん、ご飯できたよ」

「ありがと、今行く」


 同棲中のカップルみたいだと思ったが、どちらかと言えば母親と息子のような気もする。どちらにせよ気まずいので口にはしなかった。


「昨日の余りだけど」

「稲荷寿司はいつ食べても美味いからな」


 申し訳なさそうな美月を他所に、昴は稲荷寿司を頬張る。本当にいつ食べても美味しいのだ。レシピを聞いてみたいものの、美月が作ることに価値があるような気がしてなかなか聞き出せない。


「んめ〜」

「……持って帰る?」


 思わず箸が止まった。そんな選択肢が用意されていたのか。


「いいのか?」

「うん。元々藍田くんの家に持っていくつもりだったし」

「ありがとうございます……神さま仏さま松本さま〜!」

「んへへ、なにそれ〜……でも、美味しそうに食べてくれるから作りがいあるよ。ありがとね」


 少し照れたような笑顔が可愛らしかった。





 

 コーヒーショップの喧騒をかき分けながら昴は目当ての人を探していた。

 

「篠原、昨日はごめん」

「あー別に気にすんなって。飲み代奢りっ、飲み代奢りっ」

「……変な歌作るな、店内だぞ」


 まだ酔っ払っているのかと軽く頭を小突くと、裕翔は泣き真似を始めた。あまりに下手な演技に思わず声を抑えて笑っていると、彼は不思議そうな顔をしながら昴の首を指さした。


「藍田、首のところ赤いぞ?」

「え、マジ?」


 スマホのインカメラで確認すると、首に赤く小さな痕が付いていた。全く覚えがないので昨晩の記憶を必死に辿る。思い返すと、就寝中に首元になにか近づく感覚があったような気がした。あまりにも眠たかったので目を開けることすらしなかったが、もしかしたら。


「虫かも。そういえば部屋にいたな」

「お前の家やべーじゃん。すばちゃん、俺と愛の巣作っちゃう?」

「作らねえ」

「ひどーい!」


 確実に美月だ。咄嗟に虫だと嘘をついたが、アパートや道中、もちろん美月の家にもに虫などいなかった。

 しかし、何故だろう。一般的にキスマークは独占欲の表れと言われたりするものだ。彼女の普段の素振りからそんな様子は見られなかった。

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