騒屑の太陽系を旅して

雲矢 潮

天空への旅立ち

ー連邦暦2137年10月4日 旧連邦ウレスラル領 地球会議連合 トゥクテュル大州 ダーリャ宇宙基地ー


 未明、強力な光を発する屋外照明に照らされた、連邦領南部のダーリャ宇宙基地では事業完遂に向けた最終準備が着々と進められていた。高くそびえ立つ2本の無骨な鉄塔、給油塔と避雷塔の側に細長い推進機体ロケットはあった。この数十年の技術開発の結集であり、連邦の科学者と技術者達、そして多くの連邦国民にとっての夢であった。


 人類初の人工衛星、クィズメチ第1号機。


 給油塔の若い作業員が、念入りに、執念深く機材の最終点検を行なっている。自らがこの国家事業を構成する一員であるという事実は、明らかに彼女の心理を支配していた。

「第132番点検箇所、5番給油パイプ連結口、問題なし。第133番点検箇所、5番パイプ調整弁、問題なし」


 射点から400m離れた発射管制室は、これまでにない緊張に満ちていた。五大陸の三分の二を占める地球会議連合の最高指導者、地球会議議長を初めとする政府高官が軒並み詰めて見守っている。管制官たちは気が気ではなく、時間の感覚を永遠に取り戻すことができないのではないか、という思考の下で精密な時計を凝視し、確認作業を進めている。

 刻一刻と迫るその時までの残り時間を告知する声は、その場の全ての者の脳内でぐわんぐわんと響いた。

「発射まで、あと52分」


>>


 現場の作業員は安全の為、全員が射点から離れた強固な防御施設に退避しなければならない。

 現場指揮官の1人が給油塔の頂上から大声で呼びかけて降りていく。

「点検完了! 退避!! 点検完了! 退避!!」

 その声に従うように、点検を終えた作業員たちが、粛々と昇降機口に集まる。

 彼女は、推進機体の背後を彩る、紅く染まった空を見た。

「綺麗…」

 その光景は、若い彼女の脳内に永遠に刻まれ、後の人生に多大な影響力を持つことになった。


 遠くからゴテゴテした撮影機材で射点を写す撮影機カメラの奥では、何億もの人口が遠隔射影機テレヴィジョンの前に釘付けになり、興奮と緊張感に満ちた面持ちでその時を待っていた。


>>


 その瞬間は、長い静寂の後にあった。


 司令室のクルーたちが、無言で目を交わした。

 科学者たちが、感極まって早くも涙を流していた。

 技術者たちが、不安そうに遠くの機体を見つめた。


『燃料注入完了』

『発射塔作業員退避完了』

『本体、打ち上げ準備完了』

『発射塔指揮オーケー』

『燃料系監視オーケー』

『コマンド監視オーケー』

『コマンド指揮オーケー』

『ペイロード監視オーケー』

『ペイロード指揮オーケー』

『司令室指揮オーケー』

『総指揮オーケー、発射許可』

『カウントダウン開始、発射まで五十秒』


『二十秒、十五秒、十秒、九、八、七、六、五、点火、』


 その瞬間を目にした全ての者、司令室クルーの全員、大勢の来賓、遠隔中継カメラの向こうでスクリーンを見つめる四億の人々が、数えた。

 四、三、二、一。



『発射』



 太陽の光線が白く機体を照らす中、固体燃料が大量の煙とともに赤い炎を吐き出し、噴進推進器ジェットエンジンが鮮やかな青さの炎を生じさせると、機体はゆっくりと上昇を開始した。

 最初の0.1秒間の数cmの上昇から始まり、数十秒後には真っ青な朝の空を貫くように、轟音を立てて飛び立っていった。


 世界大戦から二十年後、地球暦後二十年。人類初の人工衛星クィズメチが、地球会議連合領トゥクテュル大州の沙漠から、飛び立った。打ち上げは成功、クィズメチは無事、地球低軌道に入り、三十八日後に墜落して燃え尽きた。









 旧連邦ウレスラルを前身に持つ地球会議連合と、北コロンボ連邦共和国North Colombo Alliesを中心とする太平洋条約機構諸国の経済闘争における、科学技術の競争の主軸として進められた宇宙技術の発展。その集大成であるとされたこの人工衛星の実体は、しかし、たった2つの受容機センサーと1つの発信機であり、その後の宇宙開発時代の黎明の初めの足跡に過ぎなかった。



 足跡、人間の肉体が残し得る存在の痕跡。

 その足跡が人類にとっての偉大な一歩だったとしても。



 そうでない者人間以外の存在には蟻の一歩と同義である。

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