第23話 長いトンネルの中

 瞼の裏に迸る熱い閃光。

 死ぬ──そう思った。

 真夏は咄嗟に能力を発動した。

 ジャケットを翻し、千鶴の放った魔力を

 120分の1秒間。

 ジャケットがゆっくりと変色し、真っ赤な炎が虫のように湧く様を、真夏は眼前に眺めた。

 危なかった、と思ったのも束の間。

 鼻に火箸を突っ込まれたような感覚に、真夏は青ざめた。

 たかだかジャケット一枚で防げるほど、焼却の魔法はぬるくない。防ぎきれなかった魔力が真夏の鼻っ柱に届いたのだ。

「う、うわッ……」

 能力の解除と同時に、真夏はドスンと尻餅をついた。

 すでに真夏の鼻筋は、横なぎに払うように焼かれていた。火傷からチリチリと黒い煙が立ち上り、焦げ臭いにおいが内側から真夏の肺に充満する。

 次いで、ドッと粘っこい鼻血が噴き出した。

「──よく避けたね」

 真夏を見下ろして、千鶴が言う。

 真夏はゾッと異様な殺気を感じて、背後へ飛び退き、間一髪、焼却の魔法を回避した。

 千鶴は二発、三発と手を緩めることなく狙い撃ちにする。真夏は加速能力の再使用のタイミングを上手く測り、千鶴の追撃を躱した。

 一瞬のうちに姿を消し、再び現れる真夏の能力を警戒してか、千鶴の猛攻が止んだ。

「瞬間移動か何かか」

 パチパチと音を立てて燃える枕木に、千鶴の顔が照らし出される。波の引いた砂地のような、表情のない顔。

「逃げ回って身につけた能力ってわけ……」

 千鶴はフンと鼻を鳴らして、真夏に向かってフーッと息を吹きかけた。

 真夏が咄嗟に一歩距離を取ると、千鶴はクスクスと意地悪く笑った。

「そう、逃げることはできても、私を殺すことはできないでしょうね」

「殺すために来たわけじゃない」

 真夏はワイシャツの袖でぐいっと鼻血を拭うと、両の手を握り込み、構えた。

「私は、あなたを止めるためにここへ来た」

「同じことでしょう」

「違うよ、お姉ちゃん」

 真夏は固めた拳を突き出した。千鶴はスッとわずかな動作でそれを躱し、関節を取るような仕草で真夏の腕を掴んだ。

 じかに焼却の魔法を使う気だ──真夏は掴まれた腕を無理矢理に振り、千鶴を壁に叩きつける。鳩尾に蹴りを入れて絡まる手を強引に振り払うと、千鶴のテンプルに裏拳を叩き込む。

「あぐぅッ……!」

 ミシリとコンクリート壁が頭の形に陥没する。

 千鶴は腹と頭を押さえ、よろよろと後ずさった。

「こいつ……!」

 かろうじて、という様子で踏みとどまると、千鶴は焼却の魔法を放った。が、しかし、その緩慢な動作を見切られ、千鶴の魔力は非常灯を破壊するに留まった。

「──素手の喧嘩ステゴロは得意じゃないみたいだね、お姉ちゃん」

 千鶴が卓抜した能力を持つ魔法少女であることはたしかだが、真夏とて同じ魔法少女なのだ。その身体能力は常人のそれを遥かに上回る。

「やかましい、クソガキ」

 再び千鶴は魔法を放つが、真夏は能力を用いて躱し、死角から拳を叩き込んでいく。

 闇雲に焼却の魔法を使う千鶴と、それを躱す真夏。

 一見すると真夏優勢に思えるが、やはり、一撃必殺の威力を持つ焼却の魔法を警戒して、決定打を決められない。加速の能力を持つ真夏にとって、千鶴の攻撃を躱すことは難しくないが、カウンターが決まれば即致命傷になるのだ。

 無論──そのことは、千鶴も重々承知している。

「ステゴロは得意じゃないだと、ナメやがって」

 千鶴はこめかみから流れた血をピッと払い、素早い動作で回し蹴りを放った。

「う、……!」

 その反撃に真夏は動揺した。

 能力解除と再使用のを狙われた──!

 千鶴の小さな体躯から、掬い上げるような蹴りが真夏の顎を目がけて飛んでくる。

 真夏は全身を弓のように反らして回避を試みる。が、その蹴りは横っ面を捉え、真夏は凄まじい勢いで壁面に叩きつけられた。

「ああッ! ぐ、このぉ……」

 追撃に対し、真夏は苦し紛れに手刀を放つ。千鶴は難なく対応し、一本背負いを決めた。

「がッ……あぁ……!」

 線路の枕木とレールの上に背中を強かに叩きつけられ、真夏は思わず一瞬息が止まった。

 すぐさま立ち上がるも、体勢が整わないうちに蹴りや拳が真夏を次々に捉え、反撃の隙を与えない。

「はぁ、はぁ、くそぅ……!」

 ようやく加速の能力を用いて、千鶴の猛攻から脱出したときには、真夏は全身をボロ雑巾のようにされていた。

「これでも素手の喧嘩ステゴロが得意じゃないって言える?」

 千鶴は心底小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「強いね、お姉ちゃん……」

 真夏が口を開くと、舌の上にコロリと奥歯が転がった。プッと吐き捨てると、枕木のあいだに溜まる水の中に沈んだ。透明な水音が闇を通り抜けてトンネル内に反響する。

「全く、お姉ちゃんはすごい魔法少女だよ」

「ああ。倫理を無視すれば誰でもこうなれる……」

「そう……そうだったね」

 真夏は応えながら、思考を巡らしていた。

 しかし、しかし、なぜだろう。

 今の攻勢の中、いくらも殺せるチャンスはあったはずだ。

 よもや、素手での戦闘力を誇示するためだけに意地を張れるほど、余裕のある状況とは言い難い。

 千鶴はその瞬間があれば、必ず致命傷を負わせるための攻撃を行なってきた。

 真夏はひとつの仮説を立てた。

 しかし、そう思い込んでは、死ぬかもしれないのだ。

 だが……真夏は覚悟を決めた。病院を出たときと同じように。

 千鶴がこの猛攻の中で焼却の魔法を使わなかった理由──焼却の魔法の威力は凄まじいが、それだけに他に気が回せなくなるのではないか。

 ──それなら、距離を取ってはダメだ。

 真夏はごくりと唾を飲んだ。

 焼却の魔法を使う暇もないほどに攻めて、攻めて、攻めて、根を上げさせるしかない。それができなければ、死ぬことになる。

「どうした、尻尾を巻いて逃げる気になった?」

 千鶴が挑発すると、真夏は静かにかぶりを振った。

「逃げないよ、私は」

「なら、来い」と千鶴は凶暴な表情を浮かべた。「ぶっ殺す──」

 真夏は頷き、加速の能力を発動した。

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