第21話 釜の底

 真夏は病院のベッドで目を覚ました。

 どんよりとぬるい意識のまま、キョロキョロと周囲を見渡しているうちに、苦く重い記憶が蘇ってくる。

「起きたか、宮本」

 声のする方向を見ると、青柳がブスッとした顔でベッド横に座っていた。

「青柳さん──」

「二人してやられちまったのか。やくざなんぞに」

 青柳は点滴スタンドをガタガタ言わせながら椅子を引き、真夏へ厳しい視線を投げかけた。

「オレが道端んとこの事務所へ行ったとき、道端宛におまえから電話がかかってきたが、一体どういうことか説明できるか」

「電話……」

 露子に『逃げろ』と報せた電話──すぐに思い至って、真夏はがっくりとうなだれた。

「すみません」

「すまんじゃわからん」

 真夏は、露子との関係について包み隠さず、青柳に話した。

 家族を失った真夏を拾い、露子が親代わりに育ててくれたこと。露子から指示されるままに情報を流していたこと。

 そして、青柳と行動を別にしてからのこと。掃除屋の襲撃と、水添組での拉致監禁。

 一通りの話を聞き終えると、青柳は軽く頷いた。

「道理で、連中ヘンなところで勘がよかったわけだ」

「本当にすみません」

「もっとも、おまえらの内通に気づかないオレも間抜けだが……」

 青柳はゴソゴソと懐に手をやってから、チッと舌打ちした。つい癖でタバコを探したのだった。

「──おまえ、辞める気だろう」

 青柳が出し抜けに言うのへ、真夏はぐっと詰まりながらも、はい、と言った。

「辞めてどうするんだ」

「汚職に手を染めた以上、居続けられないでしょう」

「そうじゃねぇよ」

 青柳はフーとため息をついた。

「道端は殺されたそうだ。例の犯人に」

「そう……なんですね」

 脳裏に、最後に見た露子の姿が浮かぶ。

 ──やはり死んだのか。

 真夏はこみ上げる感情から、必死に目を逸らした。

「奴はさらに安生巫あんじょうみこを殺害し、水添組の根城から逃走した」

「水添組の組長を……」

「そうだ」と頷くと、青柳は自嘲的な笑みを浮かべた。「上層部の連中からはな、道端を殺した例の犯人について、別にほっといたって構わんとのお達しだ」

「なぜです?」

「ヤカタ会と水添がお互いに潰し合ってくれれば、こんなに楽なことはない……」

 下手人が捕まらないままならば、二つの組織の抗争は激化するだろう、というのが上層部の目論見もくろみらしい。

 だがな、と青柳は真夏の目をまっすぐに見据えた。

「いくらオレ達にとって都合がよかろうと、何人も殺めた奴を見過ごすだなんて、そんなのはオレはごめんだ」

 その言葉に、真夏はぎゅっと唇を噛んだ。

「──止めるべきでしょうか」

「止める……犯人をか」

「はい」と真夏は伏せていた目を上げた。

「オレは、行く……無論行く」

「青柳さん──」

「一服してくるっつって抜け出すからさ。おまえも、どうにかして来いよ……」

 青柳は腰を上げると、点滴スタンドをガチャガチャいわせながら病室の中を歩いて行った。

 バタン、とドアが閉まる。

 真夏はしばらくのあいだ、自分の両手をまじまじと見つめた。

 その手は、露子が命を賭して死地から拾い上げたものだった。露子が真夏を逃さなければ、今頃この手は同じように動いてはいないだろう。

 私の母親を殺した分際で──。

 真夏の胸の内に千鶴の声が波紋のように蘇る。

 私の母親を殺した手で、真夏に触れるな──!

「お姉ちゃん……」

 真夏はぎゅっと手を握り締めた。

 道端露子その人が、真夏の母親を殺し、千鶴を呪われた運命に追いやった張本人だとわかっても、真夏はさほど驚かなかった。

 ただ、悲しかった。

 家族を失ったこと、真夏から家族を奪ったのが露子だということ、その露子を千鶴が殺したこと。連綿と続く不条理の苦さを、歯と歯のあいだで感じていた。

 ──仇じゃない。

 真夏は覚悟を決めると、ベッドから降りた。

 露子の仇を討つというのではない。しかし、千鶴を許すためでもない。

 ただ、姉を人間の理へ引き戻すために、真夏は行くことを決意したのだ。

「──よしっ」

 寝巻きを着替え、トントンと体の調子をチェックする。

 完調とは言い難い。

 怪我をした部分はただ動くというだけで、痛みが微かに残っている。魔法少女の代謝がいかに優れているとはいえ、冷蔵庫にぶち込まれて衰弱した体の感覚はいまだに鈍い。

 それでも行くのだった。

「宮本さん、失礼します──」

 巡回に来たナースがドアを開けた瞬間、真夏の姿はピッと影を残して消え去った。

 加速の能力──それだけは健在だった。

 病院を抜け出した先で、青柳がタバコを吹かして待っていた。

「よぉ、なんて言って出てきた」

「なんにも言わず出てきましたよ」

「そうか」と青柳は笑って、真夏の背中を叩いた。

「もうすぐ車が来る。それまで〝奴〟をとっ捕まえる手立てを練ろうぜ」

「──はい」

 無意識に、真夏は姉の面影を脳裏に浮かべた。思い浮かべた千鶴の表情は暗く、今にも壊れてしまいそうだった。

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