第18話 血の報復

「ナメんなコラァ!」

 怒声を上げ、組員が躍りかかってくる。

 拳を突き出す動きに巻き上げられた雲は、露子の操作によって瞬時に組員の腕を絡め取り、関節をバキッと破壊した。

 組員の悲鳴を尻目に、露子は雲の中を疾駆した。

「う、うわッ!」「こいつ……!」

 水添組の連中が次々と追いすがり、襲いかかるも、露子の纏う魔力の雲が彼女らの攻撃を尽くいなした。相手の力をそのまま返ように、最低限の魔力で、迅速に戦意を挫く。

 露子は真夏を腕の中にかばいながら、真っ直ぐに校舎出入口を目指したが、前後から組員に挟まれ、身を翻して二階へ続く階段を登った。

「待てこの野郎!」

 むんずと露子のジャケットを掴んだ組員に、露子が痛烈な蹴りを見舞うと、組員はゴロゴロと階段を転がり落ち、組員同士で将棋倒しになった。

 二階へ上がると、すぐさま別の組員が襲いかかってくる。

 猛烈な勢いで放たれた手刀を躱し、露子は躱した勢いのまま、組員の顔面に思い切り頭突きをした。その一撃で組員の鼻の骨が潰れ、逆流した血が口からドバッと噴き出す。

「ああーッ、はが……あが……!」

「あた……デコに歯が……」

 露子は額を押さえながらも、左右から迫る戦闘員を見て、再び階段を駆け上がった。屋上から脱出するつもりなのだ。

 錆びでかさつく錠を折らないよう回し、ドアを押し開けると、腕の中で真夏が微かに身を捩った。

 屋上にはすでに水添組の連中が待ち受けていた。

 コンマ数秒──撃鉄を起こす音が耳に届くより早く、露子は真夏を庇うように身を翻した。

 獣が一斉に吠えるように、連中の構える銃が火を噴いた。

 露子は周囲に雲を集めて銃撃を防いだが、切れ間なく放たれる銃弾が魔力の雲をこそぐように散らし、やがて彼女の体を食い荒らした。

「く、う……!」

 ようやく銃弾の雨が過ぎた頃には、露子の吐き出した雲は血の色が滲み、屋上の床すれすれを引きずるように漂った。

「マナ、怪我はない?」

 力なく笑う露子に、真夏は思わず目に涙を浮かべた。真夏がこくりと頷くと、露子は、よかった、と小さく呟いた。

「──露子ちゃんさぁ、さすがにウチをナメてない?」

 組員の列を割って、水添組組長、安生巫が露子の前に現れる。

「ひとりで殴り込みなんて無謀じゃん」

「お宅ら相手ならひとりで十分だと思ったんだけどね」

 露子はゆっくりと立ち上がった。

 傷からぽたぽたと滴り落ちる血を見て、安生はフンと鼻で笑い、目で合図をした。

 合図を受けた組員は手から銃を離した。

 あの道端露子といえど、手負い──しかも真夏を庇いながらである。

 組員達は意気揚々と殴りかかっていった。

 しかし、普段よりもキレは劣るものの、露子は組員達の攻撃を軽くいなし、魚を捌くように連中の肉体を破壊して戦闘不能へと追い込んだ。

「──ね、ひとりで十分でしょう?」

 肩で息をしながらも、露子は眉をちょっと上げてみせた。

 屋上に転がされた組員を足でよけながら、安生は凶暴な笑みを浮かべた。

「ぶっ殺す」

 そう言って安生が拳を固めたとき。

「待って──」と、横から宮本千鶴が割って入った。「道端は、私がやる約束だ」

 そうだったね、と安生は一歩身を引いて、ニヤニヤと二人を眺めた。

 千鶴はコツコツと靴音を鳴らしながら、露子の眼前に立ち塞がった。

「その薄汚い手を妹から離せ、道端」

「お姉ちゃん……」

 露子の腕の中で身じろぎした真夏に、露子は、大丈夫、と小さく応えた。

 千鶴は心底不快な表情を浮かべ、それからフッと皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「罪滅ぼしのつもりか」

「そんなんじゃない。ただ、個人的にこの子が好きなのさ」

 露子はそう言って、再び雲を吐いた。

 千鶴は、全身が殺気で膨らんだようになった。

 熱風が屋上に積もる埃を巻き上げ、ちりちりと焦がす。焦げた埃と、赤色に染まった雲が捩れ、絡み合い、屋上の床をのたくった。

「おまえを殺す──」

 千鶴は怒りのままに、焼却の魔法を放った。しかし、露子の周囲に滞留する雲に吸われ、魔力が散ってしまう。

「チッ……小細工を」

 千鶴は雲が視界を満たす前に渦中へ飛び込んで、露子の膝下へ水面蹴りを仕掛けた。

「うッ……」

 千鶴は続けざまに軽く跳躍して、こめかみへ向け脚を振り抜いた。

 軸足を払われ、重心を崩しかけた露子だが、かろうじて千鶴の蹴りをかわした。

「この……野郎ッ」

 千鶴が着地をする瞬間、雲が蟻の群れのように足元へ集まってくる。焼却の魔法で雲を散らし、手刀で牽制しながらステップで距離を保つ。

 真夏を腕に抱えて、反撃のままならない露子だが、同じ理由で、千鶴も攻めきれないでいる。

「その子から手を離せ、道端」

「離したらどうなる? また野菜みたいに冷蔵庫に押し込めておくのか?」

 千鶴がチラリと一瞥すると、安生は大袈裟に肩をすくめてみせた。

「恨むのは勝手だけど──」

 露子はペッと唾を吐いて、淡々と言葉を続けた。

「この子を助けたいなら私に任せてもらえないかな」

 瞬間、千鶴の全身に怒りが逆流した。ギリギリと鈍い刃物が擦れるような音が響く。

「どの口がほざきやがる、この野郎ッ!」

 千鶴は叫び声を上げ、露子に飛びかかった。

 露子は密かに練っていた魔力を一気に放出し、分厚い雲の層で自らを覆い隠した。

「私の母親を殺した分際で──」

 千鶴は持ち得る限り最大の魔力を絞り出し、魔力の雲に向かって放出した。

 焼却の魔法を吸収した雲は、抉れるようにちぎれ飛ぶ。

 雲の層の内側に、露子と真夏の二人の姿が見えた。

「私の母親を殺した手で、真夏に触れるな──!」

 千鶴は地面を思い切り蹴り、弾かれるように露子へ向かっていった。

 露子は真夏の肩を抱きしめ、再び雲を操作しはじめた。

 コンマ数秒ののち──千鶴の手刀が露子の胴を貫いた。

 赤い雨のごとく、血の飛沫が降り注いだ。

「露子さん──!」

 真夏は、雲の向こうで露子が殺される様を、呆けた表情で見ていた。

 床にぼたぼたと流れ出す多量の血。千鶴の凶暴な表情と、露子の体を貫き真っ赤に染まった腕。

 真夏は必死に叫び、手を伸ばした。しかし、届かなかった。

 スクリーンに映された映像のように、雲の向こうで相対する露子と千鶴の二人がぐんぐんと遠ざかっていく。

 露子の作り出した雲は真夏を抱き、二人から遠ざけていく。

 露子は最期に、自身の身を守るためではなく、真夏を逃すために能力を使ったのだった。

 一瞬、千鶴の目が真夏を捉えた。どこか儚い、消えてしまいそうな表情だった。

「お姉ちゃん……」

 千鶴が視線を切るのと同時に、真夏は目の届かない場所へと運び去られていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る