第15話 アロハシャツの女
露子が青柳と揉み合っている時分のことである。
アロハシャツにひっつめ髪の女を、電話ボックスの灯りがスポットライトのように煌々と照らしている。
アロハシャツの女──山吹オリコは受話器に向かって引きつった笑みを浮かべていた。
「や、アタシに聞かれてもそりゃ、困るんですが、宮本って刑事(デカ)が生きていて……いや、それは……ごもっとも……」
くるくると受話器のコードを指に巻き取りながら、オリコはペコペコと頷いた。
受話器から聞こえる声の主は、水添組組長、安生巫。
怒鳴りこそしないが、陰湿に詰めてくる口調に、オリコの胃はキリキリと絞られる。
「わッ、わかりました」とオリコが堪りかねて声を上げる。
『わかったって、何が?』と苛立たしげな安生組長の声。
「いえ……あの、刑事(デカ)を攫ってくればいいんですねッ」
『間違ってほしくないんだけど、命令じゃないのよ~』
オリコはごくっと唾を呑んだ。
「はいッ、アタシの独断で、刑事(デカ)を攫わせていただきますッ」
『あの子が〝オリガミ〟から逃げたンだったら、それなりの使い手のはずだから……がんばってね』
は、と声を発する前に、電話は切れた。
〝オリガミ〟というのは、真夏を襲った水添組お抱えの掃除屋のことである。組の中でもオリガミの実力はよく知られており、彼女が標的を取り逃がしたことなど、噂にも聞いたことがない。
そのオリガミと対面して唯一逃れた魔法少女を、攫ってこなければならない。
ツーツーという電子音さえ名残惜しく受話器を戻すと、オリコは頭を抱えた。
「アタシのミスじゃないのに──!」
そのとき、コンコンと電話ボックスのガラスを叩く音がした。顔を上げると、同業者(やくざ)らしい女がムスッとした顔で立っていた。
「使いたいんだけど」
オリコはガラス戸を開けた。
「どうも、長居しちまって……」
「ペッ、大した用でもねえくせに」
「あ……ところでスンマセン」
オリコは女と入れ替わるついでに聞いた。
「銃(チャカ)持ってないです?」
「ああ?」と女はいきなりオリコの胸ぐらを掴んだ。「何なんだ、不愉快な奴──」
オリコはグラグラと揺すぶられながらも、ちらりと女の服の膨らみに目をやった。
持ってるな──。
次の瞬間、女の体がブルンと揺れ、電話ボックスに突っ込んだ。派手な音を立ててガラスが割れ、破片が頭上から降り注ぐ。
「なんだてめッコラー!」
オリコはジャリッとガラスを踏みしめると、その靴で女の顔面を蹴りつけた。靴底に刺さったガラス片が頬の肉に何重もの傷を刻み、血の飛沫をブワッと上げた。
「ぎゃあああッ! あ、あ、ああああコノヤロー!」
「うるさッ」
オリコは立ち上がりかけた女の腹に蹴りを入れる。女の体がガクンと腰掛けに叩きつけられる。
「てめえ、どこの組だ……ぶっ殺してやるからなぁ……!」
苦痛に悶えながらも、女はぎりぎりと歯を軋ませた。
「あんたも魔法少女。ま、そりゃそうか」
オリコは電話を台座から引きちぎって、ガシャンと女の頭を殴りつけた。それで、やっと大人しくなった。
女のポケットを探ると、予想通り銃が出てきた。
「ベレッタか……間に合うのかな」
オリコは無造作にベレッタをズボンに差し込むと、標的──宮本真夏のアパートへと向かった。
五分とかからず真夏の部屋に到着したオリコだったが、その額にじわりと脂汗が浮かんだ。
異様な光景だった。グシャグシャに潰された鉄製のドアが通路に投げ出され、玄関にはシューズケースの残骸が山となっており、明らかに争いの跡が歴然と残っていた。
オリコはベレッタを抜くと、息を潜めて部屋に侵入した。
電気がついたままだ。ダイニングに人は居ない。
──これだけ派手に争ったなら、刑事ももう逃げたあとかも。
オリコは元来のんきな性分だった。フーッとため息をつくと、テーブルに銃を置いてトイレに入った。
──どうするかな、部屋から出たとなると向かう先ったら警察署か、ヤカタ会のところか……。
考えごとはトイレに限る。
オリコが用を足してドアを開けると、家主の宮本真夏が緊張した面持ちで立っていた。
「おっと居たのか……」
ヘヘッ、とオリコが笑いかけても、相手は表情を変えないまま。
「おトイレ借りましたよ」
真夏の視線がテーブルの上に落ちる。真夏がそれを銃だと認識するより一瞬早く、オリコがベレッタを引ったくった。
至近距離での射撃である。素人やくざのヘタな狙いでもいくらかは命中するだろう。
音の塊が部屋の中に弾けた──瞬間、オリコの目の前から真夏の姿が消えた。
加速能力──。
オリコは消えては現れる真夏の残像に向かって引き金を引くが、ベレッタの装弾数分、全ての弾を躱される。
カチン、という空撃ちの瞬間、オリコの鼻先に真夏の拳が触れていた。
「すっげ……」
衝撃が頭の中で爆発する。オリコは背後に吹っ飛ばされ、便器のヘリに背中をしたたかぶつけた。ウォシュレットが誤作動し、オリコの頭にチョロチョロと水がかかる。
「う、……きたねッ」
「ハァ……ハァ……あなた、どこの組?」
「ぶーっ。アタシは、あれだ……」
オリコは立ち上がって、シャツの裾でゴシゴシと顔を拭った。
「名乗る必要はない。あんたを拉致する」
「拉致──」
真夏は顔を歪めた。
「黙ってついてきてくれるなら、あんたもアタシも楽できてウィンウィンなんだけど」
オリコはニコッと笑った。意外にも勝算あり、と踏んだのだ。
魔法はたしかに強力らしい。が、ちょっと使っただけでもう息が上がっている。
その上──オリコは真夏の両足に目をやった。
巻かれた包帯に血の跡がじわじわとにじみ出ている。
「──そんなんでもやる気かネエちゃん」
オリコが一歩足を踏み出すと、真夏は拳を構えた。
「仮にも刑事だ」
「その意気やヨシ」
オリコはガードされるつもりでスッと拳を突き出した。真夏はかろうじて、という様子でそれを防ぎ、手刀を返した。
オリコは反撃を意に介さず、真夏の負傷した脚に向かって蹴りを放った。
「ぐ、うぅぅ──ッ!」
低いうめき声、同時に真夏の攻撃の手が止まる。
すかさず、オリコはそのすさまじい膂力で足払いをしかけた。
真夏の体がぐるんと回転し、その勢いのままダイニングテーブルに思い切り叩きつけられる。天板がぶち割れ、ガコンと音を立てて二つに別れる。
「あッ、うああッ! ぐ、……げほっ!」
陸に打ち上げられた魚のように、真夏は体を折り曲げて悶えた。
「無茶しなさんなよ、わけーの」
オリコはヒッヒッと引きつったような笑い声を上げた。
「アタシも仕事でね。まじで、あんたが居てくれて助かったよ」
「う、うう……」
「しかし、本当にオリガミから逃げられたのか? どうやって助かったのか、教えてくれよ」
真夏は虚ろな目でオリコを見上げた。
「ああ。あとで、でいいよ。あとで、で。さて……」
オリコは真夏の体を横抱きに抱え上げた。そして、ふっと玄関を見ると、そこに立つ人影に気づいた。
そいつのことを、オリコはよく知っていた。
──道端露子!
まずい、と思った。オリコはバッと体を翻し、玄関とは逆方向の窓へと走り出した。
「マナ──!」
露子がオリコを追って窓から身を乗り出したときには、すでにオリコは深い夜の闇へと紛れていた。
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