第12話 強襲
真夏が靴に埋もれるよりすこし前のこと。
ヤカタ会本家では幹部会が行われていた。
会長を中心にテーブルを囲う古参幹部達は、一様に渋い顔つきで、発言に立つ人物を睨めつけていた。
露子は自身に向けられる視線を意識しながらも、声に帯びた怒気を隠そうとしなかった。
「若いモンにどう説明すればいいんです」
「そのままを説明すればいいだろう」と腰巾着の幹部が応える。
「我々はやくざでしょう。やくざがタマ取られて、ただ黙ってろっていうんですか」
「やくざではない」と幹部はぴしゃりと言い切った。「ヤカタ会は企業として生まれ変わるんだ。そのためには、極力、抗争は避けなければならない。そう何度も説明したはずだ」
「それで若いのが納得しますか」
「納得できないのは、キミのほうなんじゃないかね」
幹部の言葉に、露子は沈黙で答えた。
「スタンドプレイに走れば、キミの今後に影響するぞ?」
「敵が本家をマトにかけてくることがあったら、どうします」
幹部は肩をすくめた。
「そこはそれ、キミらの出番だろうな」
露子はあからさまに顔をしかめた。
──都合のいいように言いやがる、狸共が。
幹部会は露子の弾劾に終始し、肝心の構成員の殺害については〝黙殺せよ〟の一点張りだった。
露子は車に乗り込むと、運転席の部下にぽつりとこぼした。
「本家はあてにできないね」
「ダメでしたか。腰抜けの集まりなんだからな……クソッタレ」
忠臣たる運転手はエンジンをかけると、言葉の荒々しさと対照的に丁寧に車を発進させた。
露子は小汚い往来の景色に目を走らせながら、幹部会で自分に向けられた数々の言葉を反芻した。一体いつ襲ってくるかも知れない相手に、報復はするな、本家を守れ。都合のいいことばかり──と露子が苦い気持ちを抱くのも無理からぬことだった。
しかし、組の今後を思えば、本家の意向を無視するわけにもいかない。現在の道端組が請け負っている仕事は非合法のものばかり。ヤカタ会が合法化してしまえば、真っ先にしのぎを失うのだ。今まで体を張って稼いでくれた部下のためにも、ヤカタ会合法化ののち、シマを分けてもらえるのか、あるいは完全に組として独立することを許してもらえるのか、今が正念場だ。
だが──と露子はふと考えた。
本家は道端組の今後を用意しているのだろうか。
合法化にあたって都合の悪い道端組は、消されてしまうのではなかろうか?
車が交差点に差し掛かったとき、車載の電話が鳴った。露子は受話器を取った。
「──はい」
「露子さん……もしもし、真夏です」
露子はすぐに、真夏の声の調子に逼迫したものがあることを感じた。
「どうしたの、何があった?」
「は……はい、あの……今どこにいます? 事務所には向かわないでくださいッ」
「──マナは今どこ? 何があったか、説明できる?」
「とにかく事務所には……」
「わかってる」
露子は運転手に手振りで帰路を変えるように命じた。
「マナ、何があったか話してくれる?」
すこしのあいだ沈黙があった。
「例の殺しの犯人を、取り逃がしました」
真夏の言葉に、露子は一瞬息を呑んだ。
「──〝奴〟に会ったんだね」
「はい」
露子は指でトントンと自身の膝を叩いた。
「奴が向かってくるのなら、私は奴を殺すつもりだ。それはわかっているね」
「はい」
「──すまない、マナ。すまない」
そう言って、露子は電話を切った。その矢先だった。
運転手が叫び声を上げた。前方、フロントガラス越しに、人間の影が猛スピードで膨らんでいる。
次の一瞬。ボンネットがひしゃげ、花びらのように歪んだ。
「う、うわッ、ああああああ!」
運転手はパニック状態で右へ左へ急旋回させたが、襲撃者は意に介さず、フロントガラスを拳で叩き割った。
びゅうびゅうと吹き込む逆風になびく真紅のリボン──宮本千鶴、その人だ。
「早いね、どうも……」
露子は拳を固め、シートから腰を浮かせた。
「いい? 止めるんじゃないよ」
「は、はい!」
ヒュッという風切り音と共に放たれた露子の拳は寸前で回避された。バックミラーが折れて往来へ飛ぶ。
千鶴は矮躯を車内へ滑り込ませ、勢いをそのままに露子の顎へ目がけて蹴りを入れた。
露子は正中線への打撃を体を引いて回避し、ドスンと後部座席に座り直すような形になった。
「真っ直ぐ殺りに来るとは思わなかった」
露子は服のほこりを払った。
「私を血眼になって探しているらしいわね。会いに来てあげたわ」
千鶴は助手席の背もたれ越しに笑いかけた。
「ナメるなよ──」
露子は手刀で助手席ごと横薙ぎに払った。その一撃で背もたれの上半分がちぎれ、脇のドアに大穴が空く。
しかし同時に千鶴は常人離れした動作で身を翻し、フットスペースに転がりこむと、シートを引っ剥がして後部座席へと突っ込んだ。
「野郎ッ!」
シートを弾くと、その影からすでに千鶴の手刀が伸びていた。露子は咄嗟にすくい上げるような蹴りを放つ。千鶴の脇腹にドスンと一撃が突き刺さった。
「ぐ、うッ……!」
勢い、千鶴の体がドアに叩きつけられる。彼女の額がドアウィンドウに当たり、スモークガラスにミシリとヒビが走った。
露子はすかさず千鶴の髪を鷲掴みにすると、ドアに千鶴の頭を叩きつけた。二度、三度と繰り返すと、ガラスがバリバリと破れるように崩れる。
千鶴の血──紅い滴が風に巻かれて夕闇に散った。
「会いに来てくれて、ありがとう。出向く手間が省けた」
露子は荒く息をつきながら皮肉っぽく言った。
「おまえとどこが絡んでる?」
千鶴もまた肩で息をしながら、ギロリと露子を睨んだ。
「おまえを五行山から出した三蔵法師は誰かと聞いているの」
千鶴は答えない。
露子が再び痛めつけようと力を込めた瞬間、髪を掴んだ手がジュッと音を立てた。
「うっ……!」
露子は咄嗟に手を離したが、すでに皮膚に水ぶくれの跡が走っていた。千鶴が自身の髪に魔力を伝わらせたのだった。
その隙を逃さず、千鶴は露子に体当たりを食らわせ、焼却の魔法を放った。
「殺った──!」
思わず千鶴は叫んだ。
放った魔力は露子に命中した。間もなく彼女は全身を炎に巻かれ、灰になるまで悶え苦しむことだろう。
千鶴は常人離れした膂力で飛び上がり、ルーフをぶち破って車外へ逃れると、ダメ押しの一撃を加えた。
「う、お、お、おおおおおッ!」
車は一気に炎上し、ついにコントロールを失った。溶けかかったタイヤはグリップを失い、甲高い響きを上げながら往来の一角へと突っ込んだ。
シュウシュウと煙の立ち込める車内で、どろどろに焼かれる露子を確認すると、千鶴はクックッと低く笑った。
「ざまあない──!」
そしてすぐに、彼女の表情は深く沈み込んだ。
「母さんは……もっと痛かった」
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