第11話 宮本千鶴

 真夏が目を覚ますと、見慣れた自宅の天井が視界に浮かんだ。ややあって、波が引いて砂地が現れるように、千鶴に助けられたことを思い出す。

 ベッドから体を起こすと、ピリッとした痛みが両足に走る。だが、歩くのにはさほど支障はない。魔法少女の回復力は常人とは桁違いである。

 ダイニングへ入ると、幼い女の子がテーブルにちょこんと座り、パックのごはんを黙々と食べていた。

 この少女がかつて死んだはずの真夏の姉──千鶴とは。真夏はにわかには信じがたいと感じた。

「勝手にいただいてたよ」

 気配に気づいたのか、千鶴は真夏を見もせずに言った。

「お姉ちゃん、それ……」

 真夏は、開けられたパックから湯気が立っていないことに気づいた。千鶴は硬いままの白飯を剥がすようにして口に運んでいた。

「──温めて食べたら?」

「いいよ、平気」

 千鶴が食事を終えたのを見計らって、真夏はダイニングテーブルに座った。目線の高さの違いに、何かドキッとする。

「お姉ちゃん、聞いてもいい?」

「どうぞ……」

「お姉ちゃんは、どうして……子供のままの姿なの?」

「呪いよ」

 千鶴は指を舐めながら言った。そしてすぐ、言葉を返さない真夏に、肩をすくめてみせた。

「冗談っ。ホントは人体改造」

「人体改造……」と真夏は訝しげに繰り返した。

「昔はなんでも信じたのにね。私の知らないあいだに大人になっちゃったんだ」

 千鶴は椅子に背をもたせて、ぶらぶらと足を揺らしながら話を続けた。

「あの事件のあと、私は死んだことにされたみたいだけど、実際は売っ払われて、実験施設のモルモット……その産物よ、この体は」

「歳を取らなくなるような改造を受けたの?」

「魔法少女の力をより強力に引き出すためか、無理矢理に歳を取らなくするための改造だったのか、最終的な目標が何かっていうのは、私は知らない。その施設ももうないしね」

「刑務所に居たのはなぜ?」

「外に出したら都合が悪かったんじゃない?」と、千鶴はこともなげに言った。「非人道的でしょ、人間を実験台に魔法少女の研究なんて」

「そうだね……」と真夏はぽつりとつぶやいた。「つらかったよね」

「──真夏?」

「ごめん……」

 真夏は溢れてくる涙をゴシゴシと拭った。それを見て、千鶴は頬杖をついて、はーっとため息を吐いた。

「泣いてくれる人が居て、私は幸せ者だ」

「そうなのかな」と真夏はグスッと鼻をすする。

「それで、真夏は?」

「えっ?」

「お母さん、最後の最後まで真夏のこと心配してたよ」

 もちろん私も──と千鶴は気恥ずかしそうに付け足した。

「聞かせてよ、真夏のこと」

「私のこと……」

 真夏は事件の日の記憶を手繰り寄せた。

 子供達を身を挺して守ろうとした母親。自分の身を犠牲にしてでも妹を逃がした姉。そして、暗闇の路地を必死に逃げていく自分──二人が殺されたことを知ったのは、数日が経ってからだった。

「事件のあと……私のことを拾って、面倒見てくれる人が居てさ。その人……学校に入れてくれて、私が警官になったあとも、今も、いろいろ気にかけてくれるし……その人のおかげでなんとか生きてる」

「幸せ?」と千鶴は聞いた。

 真夏は一瞬言葉に詰まったが、千鶴の言葉に頷いた。

「そう。幸せに生きているのならよかった。お姉ちゃん、安心だ」

「──ごめんね」

「どうして謝るの?」

「お姉ちゃんが閉じ込められてることも知らないで……ずっと、私……」

「言ったでしょう。真夏が幸せに生きているのならそれでいい」

 ところで、と千鶴はドレスのリボンをいじりながら言った。

「あんた、しばらく身を隠したほうがいい」

「……なぜ?」

「真夏を殺そうとした奴。アレね、水添組の掃除屋」

「掃除屋?」

 気の抜けた返事をした真夏に、千鶴は言葉を続ける。

「つまり、単なる鉄砲玉じゃない。私が助けなかったら確実に殺されてた……あんたが生きていると知ったら、また始末しに来るはず」

「──お姉ちゃんはどこでその情報を掴んだわけ?」

「察しはつくでしょう?」と千鶴はフンと皮肉っぽく笑った。

「水添組に匿われているんだね」

「ご名答」

「ヤカタ会の組員を殺したのも……」

「ええ。あんたの追っている魔法少女は、まさしく私。……どうする? 私を逮捕する?」

 千鶴が幼い動作で椅子から降りたとき、すでに、真夏はコルトガバメントを構えていた。

「ヤカタ会の連中は血眼になってお姉ちゃんを探してる……見つかったら、確実に殺されるよ」

「殺される? 私が?」

「お願いだから、そうなる前に……」

「生憎だけど、私は警察組織を信用してないの。現に、十余年のあいだ私は刑務所に幽閉されていたからね」

 千鶴に向けた銃身が細かに震える。頬を伝う汗の感覚に、真夏は目を細めた。

「──暮らせないかな」

「何?」

「いつかさ。こうやって一緒になって……」

「無理ね」と千鶴は首を振った。「もう一度刑務所に入れられたら、二度と出てこられないと思う。理由はどうあれ、水添組の連中には感謝してるよ。……体もこんなだしね」

 千鶴は両の手のひらを真夏に振ってみせた。子供そのもの、小さい手だった。

「一生お姉ちゃんの面倒見るよ。どこか別の街でもいい。二人で……」

「ありがとう」と千鶴は言った。だが、やはり頷きはしなかった。「私にはやらなければいけないことがある。……お母さんと、私自身のためにさ」

 千鶴は口をつぼめると、自身に向けられた銃にフーッと細く息を吹きかけた。

 銃身が飴のようにくにゃりと溶け、銃口が地面に向いた。グリップを握る手に熱を感じて、真夏は思わず銃を取り落とした。

 千鶴は悠々とダイニングを横切って、ストラップシューズをつっかけた。そして、玄関に飾られている写真立てに気づくと、目をつむり両手を合わせた。

「──お姉ちゃん、最後にひとつ聞いてもいい?」

 真夏が言うと、千鶴はゆっくりと目を開いた。

「お姉ちゃんは、お母さんを殺した犯人を……」

「ああ。忘れもしない。ヤカタ会の連中──」

「ヤカタ会……」

 真夏はゾッと悪寒が走る。千鶴の体の縁から、言いようのない殺意が滲んでいた。

「真夏。ぬくぬくと暮らしてたあんたに理解できるとは思わない。だけど、お母さんを殺した奴らへの恨みを晴らさず生きることなど、私にはできない」

「お姉ちゃん」

「行くよ」

「お姉ちゃん──」

 伸ばしかけた手を、千鶴が振り払うと同時に、二人のあいだに炎が現れる。

 熱風に吹き飛ばされ、真夏はシューズラックに背中から突っ込んだ。木片と一緒にスニーカーや安全靴がボトボトと降ってくる。

 千鶴は八つ当たりのように玄関のドアを蹴破った。鉄製のドアがくしゃくしゃにひしゃげ、ちぎれた蝶番がキンと廊下に飛び跳ねる。千鶴はアスファルト焦がす夕闇の中へ飛び出していった。

「う、う……」

 真夏は靴と木片に埋もれ、うめき声を上げた。

 折れた木片が脇腹に突き刺さって、立ち上がろうとするとガリガリと引っかかる。真夏は必死にシューズラックから抜け出して、床の上を這いずり回り、やっとのことで電話機を掴んだ。

 暗記している三つの番号のうち、二つは繋がらなかった。

 三つ目の番号は何度目かのコールで繋がった。

 真夏は大きく息を吸い込み、名前を呼んだ。

「露子さん……もしもし……真夏です──」

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