第10話 紙の魔法少女

 部屋中に散らばった白い紙が、を中心にカサカサと集まる。真夏の反撃で散った部位は元の形を取り戻しつつあった。

「ハァ……ハァ……このッ……」

 真夏が身を捩ると、奴は勢いをつけて真夏を壁に叩きつけた。乾いた音を立て、木壁が裂けるように割れる。

「ぐっ、う……!」

「苦しむ時間が」奴がポツリと言った。ひどいしゃがれ声だ。「延びるだけだぞ」

 絡みついた指に万力のような力がこもる。奴の喋り方と同じ──ゆっくり、ゆっくりと喉を締め上げていく。

「あ、あぅ……ううッ……」

 真夏は恐怖に喘いだ。

 殺される──。

 このままでは奴の手は喉の皮膚を圧し、肉を絞り、ついには骨に触れるだろう。

 何か、何か、逃れる方法はないか。

 ブルブルと震えるように真夏の目が走った。そして、自身の握るコルトガバメントに留まった。

 スライドはまだ下がっちゃいない。

「ウオアァーッ!」

 真夏は渾身の力を振り絞り、吊られた状態のまま体を捻り、右脚を振り上げた。奴は軽く避けた──が、狙いはハナから自身の右手だ。

 空を切ったかに見えた真夏の蹴りは、ガバメントのトリガーガードを破壊し、自身の指をぶち折った。思い切り押し込まれたトリガーの下で、奴の指が潰れる。切手サイズの紙に変わると同時に、放たれた弾丸が奴の右肩に命中した。くす玉が割れたかのように、再び紙吹雪が部屋に舞う。奴の手が緩んだ。

「うぅーッ、ゲホッ! う……!」

 真夏は辛うじて拘束を逃れると、折れた指が潰れるのも構わず、奴に渾身のボディブローを叩き込んだ。奴の脇腹から紙束が弾ける。続けざまに手刀で払い、奴のちぎれかけた腕を肩口から切り飛ばすと、真夏はすかさず後ろ回し蹴りを決めた。右腕を失った奴はガードができず、胴の半分を紙に変えてバラ撒いた。

 残心──真夏は痛みを必死に噛み殺しながら、死を免れたことを意識した。

 だが、脱したわけではない。危機の最中にある。

 間もなく奴は体の再構成を終えるだろう。そして、同じやり方で真夏を締め上げるに違いない。

 ──今、自分がするべきことは、逃げることだ。

 真夏は魔力を奮い起こし、身を翻した。

 しかし、加速の能力が発動しなかった。疑問を抱く間もなく、真夏はつんのめるように倒れ込んだ。見ると、槍のようなものが足を貫いている。

 床に落ちた奴の腕から、細く折り畳まれた紙がコードのように伸びている。

 奴が腕を拾い上げると、先に繋がれた紙の槍が引き抜かれる。

「ぐ、あああッ! あ……」

 激痛が真夏を苛んだ。奴の槍は返し針を作り、引き抜く際に足の筋肉をずたずたにしていた。

「逃げるな、立ち向かうな」

 拾った腕を自分の肩にくっつけると、奴は言い聞かせるように真夏の顔を覗き込んだ。

「苦しむ時間が延びる」

「う、うう……」

 もう走ることもできない。真夏にできるのは床を這いずることだけだ。

 奴と相対したとき、一目散に逃げるべきだった。いや、そもそもがあんな手紙に惑わされて、ここを訪ねてきたのが迂闊なのだ。

 ──姉ともう一度、会えるはずなんてないのに。

 不意に、吹き込んだ風に真夏はふっと視線を上げた。

 瞬間、風を切る音と共に奴の首から上が吹っ飛んだ。

「う、む……」

 紙に変化した頭部をかき集め、奴は急いで体勢を整える。が、続けざまに攻撃を受け、全身からバラバラと紙が散った。

「なんだ……邪魔だてして……?」

 紙が風に逆巻いて、奴の体の再構成を行う。

 ダイニングから気配がした。真夏は這いずった体勢から首を伸ばして見たが、闖入者ちんにゅうしゃの姿は暗がりに沈んでいた。

「あんた。人のモン、勝手に持ってったでしょ」

 闖入者は凛と声を発した。

「借りたつもりでも、断りなく持ってったらドロボーだから。わかってる?」

 幼いような、老けたような、どっちとも取れる、妙な声だった。

「後悔するぞ、貴様」

 奴は闖入者に向かって刺々しく応えた。

 吹き飛ばされた箇所はすでに再構成されている。奴の関心は、逃げる心配のない真夏から、闖入者の少女に移っていた。

 奴がミシリと体を起こしかけたそのときだった。

「う……」

 いきなり、奴の全身が炎に包まれた。

 この魔法は──! 真夏は思わず目を見張った。

「お、お、おおおおおッ!」

 奴の燃え方は尋常ではなかった。体の内側から噴き出した炎が、肌の上でのたくったようになり、ぐるぐると焼き焦がしているのだ。

「く……クソォッ!」

 しかし、さすがに奴の判断は早かった。

 全身を紙に変えてしまうと、バラバラと燃え盛りながら外へ飛び出した。

 真夏がしがみつくようにして欄干らんかんへ身を乗り出すと、一陣の熱風と化した奴が貯水池へダイブしている様子が遠目に見えた。

「うぐ、ぐ……うッ……!」

 紙と体の境に貼り付いた藻がシューシューと焼かれ、肌の上で縮こまっている。

 仕留めるには至らないか──と、真夏は一瞬そう思ったが、奴にかけられた炎の呪いはこの程度の水たまりなど物ともしなかった。水が触れたそばから爆発するような音を立て沸騰し、池のかさが見る見るうちに目減りしていく。

「ああッ! クソッ、クソ野郎……クソ野郎……クソ野郎ぉぉぉ……」

 奴は悪態をつきながら、緑に濁る池に体を浸し続ける。しかし、炎の勢いは弱まるどころか、ますます激しくなり、ついに、無敵の紙細工はおりも残らぬ灰となった。

 乾ききった貯水池の底に、熱い風が吹き込み、灰をゆっくりとかき混ぜた。

 真夏は、今度こそ、死を免れたことを意識した。今度こそ、生き永らえたのだ。

「ハァ……ハァ……う、ゲホッゲホッ」

 戦闘中の興奮状態が徐々に鎮まり、本来の痛みが体中で大声を上げはじめる。

 真夏は欄干から手を離すと、ズルズルと這いずって部屋に戻り、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。

 刺し貫かれた両足からは止めどなく血が流れている。右手の骨はぐしゃぐしゃに潰れて、もう痛み以外の感覚がない。打撲痕があちこちでリズムを刻む。

 頑強な身体を持つ魔法少女とはいえ、さすがに堪えた。

 真夏がそうして床にノビていると、闖入者がダイニングから姿を現した。

 うつ伏せの体勢からわずかに体を捻り、少女を見上げると、ああ、と真夏は狼狽した。

 年の頃は12歳か13歳、金髪で、どこか噛みつくような表情をした女の子。

 少女は、声をかける間もなく、床に転がる真夏をヒョイと跨ぎ越して部屋に入ってきた。

 ストラップシューズの光沢のあるつま先が、真夏の視界でトコトコと歩き回る。

「お姉ちゃん……」

 言葉が続かなかった。真夏の喉のあたりで様々な感情が渋滞していた。

 少女は床に落ちた赤いリボンを拾い上げると、ようやく真夏のほうへ振り返った。

「まったく、世話の焼ける妹だこと……歩ける?」

 姉──千鶴はリボンをキュッと髪に結ぶと、真夏の足を指した。

「う、うん……」

 真夏は立ち上がろうとしたが、あまりの痛みに途中で尻もちをついた。

「無理みたいね」

 千鶴は簡単に止血をしてやると、その細腕に真夏を抱きかかえた。

「わ、わ、わ……」

「大人しくするッ」

 そのまま二人はベランダから屋上へ跳び上がる。

「あんた今どこ住んでるの?」

「2-5地区のハヤカワアパート6号室……」

「それじゃわかんない。どっち?」

「あ、あっち──」

 辛うじて答えたところで、緊張の糸が切れたのか、真夏は気を失ってしまった。

 千鶴は「あっちね」とつぶやき、真夏の指差した方向へと団地の屋根伝いに走り出した。

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