第8話 スクールズ・アウト
半世紀前の内戦のどさくさに紛れて占拠され、国は未だに土地建物等全ての所有権を認めていないが、水添組の武力規模を恐れて手出しができないまま放置されているのだった。
開けっ放しの校門から敷地へ入ると、むっとした獣のようなにおいが鼻を突く。
校舎が見下ろすグラウンドにはいくつもテントが張られ、その周囲ではクスリで意識を飛ばした連中がごろ寝をしていた。入浴も洗濯もしないのだろう、転がっている連中は一様に土色の肌に砂埃を被り、垢のこびりついた服で目を擦っている。
「まるでキャンプですね」
真夏はおどけた調子で言ったが、無意識に顔をしかめていた。
「いや、畑だな」
真夏が怪訝な顔をすると、青柳は言葉を続けた。
「ヤクで金を育てる畑」
「──たしかに」
校舎の入口に立つ組員に用件を伝えると、ややあって、校長室へと案内された。
校長室の壁に沿って、組員がぐるりと囲むように待機しており、いずれも、懐に銃を呑んでいるようだ。
中央のデスクに肘を突くのは、水添組組長、
「本日は捜査にご協力いただけるということで、誠にありがとうございます」
真夏はマニュアル通りに一礼して、名刺を渡した。
「宮本、真夏……さん。どこかで聞いたことあるかも~?」
安生は鏡の上に並べた白い粒を、真夏の名刺で刻みはじめた。
真夏は青柳とチラッと目を合わせて、オホン、と咳払いした。
「一応、現役刑事二人の前なんですが」
安生は一度は視線を上げたが、興味なさげにクスリの白線を鼻から吸い込んだ。
「聞きたい話が、すー。あるって、はー。言うから、わざわざこうして? すー。はぁー。時間を作ったんだけど、お気に召さない感じ?」
「部下が失礼した」と青柳がすぐにフォローへ入った。「単刀直入に聞きましょう。我々はある事件を追っている」
「露子ちゃんとこの若い衆が殺されたやつ~?」
「よくご存知で」
「そういう噂はすぐに広まるからねー。ウチは殺ってないよ?」
「殺った奴のことは知りませんか?」
真夏が聞くと、安生はキャハハッと甲高い笑い声を上げた。
「ミコ、ウチの若い子にもよく言ってるんだけどさ~。そういう、答えだけ欲しがるのってよくないんだよね~」
安生は白線をもう一本吸い込んだ。鼻を軽くつまんだり、離したりしながら、スーハーと深く呼吸する。
「聞きたいことがあるなら、それ相応の礼儀ってものもあるし?」
「おまえんところにヤドカリって奴、居るよな」
青柳が聞くと、安生の目の色がぴくりと変わった。
「どこで聞いたの?」
「それぐらいの情報はオレ達の耳にも入ってくるさ。そのヤドカリって女の子が、ヤカタ会の奴を殺して逃げたって噂を聞いたが」
「あのイモチビが? 本当にそうだったら驚きだね~」
「殺したのはヤドカリではない、とお宅は知ってるんだな?」
「誘導が無理矢理すぎない? そうだったら驚きだ、って言っただけだし」
「まあ、奴が犯人であってもなくても、事件に絡んでるのは確実だ。お宅らが奴を囲い込んで非合法な脱獄商売やらせてたのは事実だろう?」
安生はグスンと鼻を鳴らした。青柳は言葉を続ける。
「十日前に中央刑務所から脱獄犯が出たそうだ」
「ふーん、それで?」
「おまえが絡んでんじゃねーのか、っつってんだよラリ公」
「あんた、ウザい──!」
安生が目で合図をすると、組員が一斉に懐の銃を抜いた。
「──やめろ、宮本」
青柳の言葉に組員達がハッと振り返ると、真夏が安生のこめかみに銃を突きつけていた。加速魔法──真夏は一瞬のあいだに安生組長の背後に回ったのだ。
「銃を下ろせ宮本、オレ達は撃ち合いに来たわけじゃねぇ」
「組員さんが下ろしていただかないと……」
「オイ、こいつらに銃下ろすようにお宅から言え」
安生は薄笑いを浮かべ、ひらひらと両手を挙げた。
「冗談よ、冗談。みんなストップ」
それから、鼻の頭についた粉を指ですくい取り、ペロッと舐める。
「たしかに、ヤドちゃんに仕事を頼むことはあったけど、十日前の脱獄に絡んでたかなんて、ミコは知らないもん」
「脱獄をやらせたのは水添組ではない、と?」
「ぶっちゃけミコも迷惑なんだよね。一応ウチと関係のあった子が、ヤカタ会の組員を殺したなんて噂が立ってさ。こっちのメンツ丸つぶれよ」
「そんなこと言って、お宅らが匿ってるんじゃないのか?」
「あのさぁ、ウチだってヤドちゃんの行方は探してんのよ。これ以上は水掛け論。でしょ? 悪いけど、それ以上の情報は提供できそうにないかな~」
「それならそれで構わねぇよ、組長さん」
青柳は頷いてみせ、行くぞ、と真夏に退散を命じた。
「──あ、そうそう」
部屋を出る直前、青柳は思い出したように振り返った。
「お宅らの態度次第で、ヤドカリの捜索に協力してやってもいいぜ。何か思い出せたら連絡寄越しな」
その言葉に安生がむかっ腹を立てたのがわかった。名刺をぐしゃっと握り潰し、ゴミ箱へ放り投げる。
「ご丁寧にどうも~。──それと、宮本真夏さん? でしたっけ?」
「ええ、何か……」と真夏は言った。
「また会いましょう?」
安生はニヤニヤとした笑みに殺気を浮かべ、二人を見送った。
校舎からグラウンドを抜けて、車に戻るなり、青柳は真夏に向かって言った。
「水添を徹底的に洗うぞ」
「洗うって……つまり、水添組が
青柳は答えずに、ゴソゴソとポケットを探った。タバコはあるが、ライターを忘れたらしい。
「宮本、ライター持ってないか」
「いえ……私、タバコ吸いませんし」
「そうだったな、チッ」
──
真夏はすんでのところで軽口を飲み込み、改めて尋ねた。
「何か確証が掴めたんですか?」
「ああ。いかにも探られたくない様子だったろう」
「水添組が絡んでることは確実ですから、探られたくないのは当然といえば当然でしょうけど……先輩はなぜそう思うんです?」
「いかにも
貧乏揺すりをしながら車を走らせる青柳の表情は、険しかった。
「は……あの、部屋中の組員が銃を向けてきましたけど」
「痛くもない腹を探られたら迷わず撃ってくる連中さ」
「荒っぽいというか、考えが足りないというか」
真夏は呆れたように額に手をやった。
「それで、……捜査にはいつ入ります?」
「水添組担当の協力は必須だからな。すぐすぐってわけにゃいかんだろう、隠れ家の絞り込みや、実際にどう動くか打ち合わせもあるし……」
青柳はガシガシと頭をかいた。
「だがまあ、急いては事を仕損じるというしな。じっくり進めようじゃねぇか」
署へ到着すると、青柳は小走りに喫煙所へ向かった。ニコチン切れというだけでなく、安生とのやりとりに神経がささくれだったのだろう。
真夏は先に部署へ帰った。
自分のデスクへと戻ると、真新しい封筒が置かれているのに気がついた。
「──あれ、すみません。この手紙、なんです?」
真夏は隣の同僚に尋ねたが、彼女も、さあ、と首をひねった。
「さっき見たときにはもう置いてあって……いつからあったんだろう? 誰かー、宮本宛の郵便預かった人居るー?」
部内の人間はいずれも首をひねった。その手紙がいつ置かれたのかも、誰も見ていないらしい。
「署内の誰かからのラブレターかも」と同僚はおどけた。
「そんなわけないじゃないですか」
真夏はあくまでのんきな気持ちで封を切った。
中の折り畳まれた便箋を開くと〝会いたい〟と書かれていた。そして〝666〟と数字がちいさく。
「あら、ホントにラブレター?」と同僚がひょいと覗き込む。「でも宛名も何にもないね」
「──そうですね」
文面を見た時点では、ピンとこなかった。
しかし、封筒を逆さにすると、真紅のリボンがはらりと手に落ちてきた。
ドキリ、と真夏の心臓が跳ねる。
まさか、という気持ちが再び、意識という水面に向かって泡のように浮かんでくる。
「どうしたの、みやもー?」
「あっ、いえ……たちの悪いイタズラだなぁと。捨ててきます」
真夏は便箋とリボンを内ポケットにしまうと、逃げるようにデスクを離れた。
そして、人気のない非常階段を下り、踊り場で荒く息をついた。ドッ、ドッ、と早鐘を打つ胸をぎゅっと押さえる。
真っ赤なリボンは、真夏の姉、宮本千鶴のトレードマークだった。
まさか──。
真夏はやがてその場にしゃがみこんで、目をつむった。そうすれば、暗闇に自分の感情を閉じ込められるかのように。
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