第7話 ヤドカリ

 お茶で唇を湿らせると、ヤドカリと名乗った少女は改めて口を開いた。

「あの……アタシの知っている限りのことなので、全然、えっと、何がどうなっていて、とかわかんなくて……」

「大丈夫です、落ち着いて話していただければ」

「はい、すみません。あの、二週間くらい前に、水添組を仲介して仕事を頼まれました」

「仕事というのは、脱獄の?」

「あっ、はい……そうです。脱獄です」とヤドカリは泣きそうな顔になった。「アタシ、本当はこの仕事やりたくないんです。こわいし、危ないし……せっかく〝向こう〟で暮らせるようになったと思ったらこんなことになっちゃって、アタシ……」

「それはその……大変でしたね。それで、仕事を頼まれてあなたはどうしたんです?」

 真夏が促すと、ヤドカリはグスンと鼻をすすった。

「それでアタシ、断ろうとしたんですけど、結局押し切られちゃって……」

「水添組が仲介と言いましたが、依頼者は……」

「い、い、い、依頼者ですよね……ハイ。あの……すみません、知らないんです」

「知らない?」と真夏は言った。

「あっ、あっ、アタシはただ……あの、水添組の親分さんに命令されただけで……」

「大丈夫です。落ち着いて続けてください」

「は……あの、それで、奥の奥の変な房に居る女の子を……脱獄は、なんとか、はい……できたんですけど……」

「失礼」と青柳が割って入り、懐から例の念写写真を取り出した。「脱獄させたのは、この写真の子か?」

 ヤドカリは目の粗い写真をためつすがめつ眺めた。

「ん……あ、え、あっ、はい……こんな子だったと思います。小学生くらいの子ですかね……いくら魔法少女だって言っても、あんな小さい子が……と思って」

「すこし気になったんですが、脱獄っていうのは、あなたの能力を使って?」

「そうですけど……」

「見せてもらうことはできませんか」

「ええと……」

 ヤドカリは上目遣いに二人を見た。自身の個別の能力を人に知られたくない、という魔法少女は多い。その能力単体での殺傷、防衛能力が高くない場合は特にそうだ。

 青柳が努めて柔らかい調子で口を挟んだ。

「あなたを信用していないわけではないが、事の次第では刑務所の管理の問題や、内通者を疑わなければならないわけでして」

「それはよくわかるんですけど……」

「他言はしません。それに、このことで改めてあなたを罪に問うこともないでしょう」

「わ、わかりました……」

 ヤドカリはすぐに折れた。

 やくざにいいように使われてしまうわけだ、と真夏は思った。

「何か、空きビンとか、ペットボトルはありませんか」

 青柳は署員を呼び、栄養ドリンクの空き瓶を持ってこさせた。

「これで構いませんか」

「あっ、はい、大丈夫です」

 ヤドカリは蓋を取ると、自分の手で瓶の口を塞ぐようにした。

「それじゃ、やりますンで……」

 じわっ、と真夏の口の中が苦くなる。魔力の干渉だ。

 次の瞬間、ヤドカリの姿が消え、ごとりと床に瓶が転がった。

「お──」と青柳は思わず声を上げた。「どこに消えた?」

「こン中です」

 瓶からヤドカリの声が発せられる。そして、瓶の口からにゅるっと人の手が現れた。両手の指でバランスを取りながら瓶を持ち上げて、まさしくヤドカリのような格好で床の上をカサカサと歩き回った。

「こういう感じで、刑務所に忍び込むんです」

 ヤドカリはぬるりと瓶から出てくると、気恥ずかしそうに言った。

 密閉された空間に忍び込む能力──これを利用して脱獄を行っていたのだ。

「あなたはいいとしても……脱獄させる人はどうするんですか」

「あの、一応、一緒に瓶の中に入ってもらって……結構、息苦しいらしいんですけど……」

「なるほど」と真夏は素直に感心した。「どうもありがとうございます。──それで。脱獄させたあと、どうなりましたか」

「あ……すみません、えと……水添組に女の子を引き渡して……そこでアタシの仕事終わりだと思ったんですけど、しばらくしたら、親分さんから、女の子を連れて行くように言われて……」

「連れて行くというのは、どこへ?」

 そう真夏が聞くと、ヤドカリはお茶をガブリと飲んだ。コップを置く手が震えていた。

「ヤカタ会の、道端組のところです」

 真夏の心臓が思わずドキッと跳ねる。

「道端組ですか……」

「あのっ、アタシ……本当に命令されただけでっ……」

「落ち着いてください」

 真夏は涙ぐむヤドカリをなだめた。そして、深く息を吸い込むと、真夏はひとつひとつ確認するように話した。

「それでは、その女の子を脱獄させたのち、ヤカタ会に引き渡した。そして、例の事件が起きたことを知り、情報提供にいらした、ということですね?」

「そ、それが……あの、女の子は元々ヤカタ会の方なのかな、って、アタシも……アレしてたんですけど」

 ヤドカリはもごもごと言葉を咀嚼した。

「引き渡す段のときに、その子が、なんか……ヤカタ会の方に、パーッて……」

「パーッ、というのは?」

「魔法を……」

 ヤドカリは手をパッと開いて、爆発のようなジェスチャーをした。

「女の子がいきなり魔法使うもんで……組員の方がひとり殺されちゃったっていうのも、アタシ、あとから知ったんですけど……」

「女の子がいきなり魔法を」と真夏は繰り返した。「そのとき、あなたは?」

「えっと……こわくて、すぐ逃げました」

「その日から今まで、たとえば、水添組と接触はなかったんですか」

「あ、はい……誰とも会ってないです、隠れてました」

 真夏と青柳は顔を見合わせると、互いにフーとため息をついた。

「貴重な情報提供、ありがとうございました。担当者に保護のための手続きを進めさせます」

「よ、よろしくお願いします……」

 ヤドカリはペコリと頭を下げた。

 なるほど。命の保証が先などと、大袈裟に切り出した理由にも合点がいく。

 ヤカタ会(道端組)にとってはヒットマンを誘導した人物、水添組にとっては裏切り者、犯人にとっては唯一の目撃者。どの勢力も、ヤドカリを血眼になって探していることだろう。

 聴取を終えた真夏と青柳は、どちらからともなくカフェテリアへ入り、薄味のコーヒーを飲んだ。

「──水添組を洗うべきですかね」

「ちょいと危険だがな」

「部下に殴り込みさせた人が何を言ってるんですか」

「バカヤロー。あの組は末端も末端だろうが」

「本家はまた違いますか」

「本家は本家でアホの集まりだが、暴力の行使に躊躇がない。下手に刺激すると、藪をつついて蛇を出すことになりかねん」

 青柳はマドラーでコーヒーをかき混ぜながら言った。

「オレの想像だが、あのヤドカリって奴、女の子を引き渡すときに一緒に殺されるはずだったんじゃないか?」

「あ、それ私も思いました」

 真夏は青柳の言葉に頷いた。

 構成員でもないヤドカリをわざわざ受け渡しに参加させるのは、ひどくリスキーだ。

「よっぽど逃げ足が早かったんだな」と青柳は小さく笑った。「水添組が絡んでいると知ったら、ヤカタ会はどう出るか」

「まだ情報は掴んでないはずですよね」

 真夏に対して情報を渋る素振りはあったものの、露子は今回の事件を、どの組織にも属していない外部の者の犯行によるものと断言していた。

「どうだかなぁ。あの道端って野郎、なんだって身内同士の喧嘩なんて言ったんだろう」

「──本家から事を荒立てないよう、押さえ込まれてるんじゃないですか」

 無論、真夏は露子の思惑を聞いて知っている。

 ひとまず身内を懲役に寄越すことで警察と本家ヤカタ会の目をそらし、下手人に対して自らの手で報復を行うつもりだったのだ。

「とはいえ、本家とてやられっぱなしでは面白くないだろう」

「それがそうでもないですよ。道端組以外、傘下の武闘派は軒並み解散させましたし、会長はすっかり重役みたいな顔をしてるって他の組からも陰口を叩かれてます」

「たしかに昔から経済ボケした組だったが……逃げ切りの準備もいよいよ大詰めってか」

 青柳はコーヒーをぐっと飲み干すと、フーとため息をついた。

「どうします。蛇が出るのを覚悟で、水添組をつつきますか」

「そうするより仕方ねえか。しかし、つついたからと言って素直に情報は出さないだろうな」

「ヤドカリの話が事実なら、犯人の女の子を今も水添組が匿ってる可能性は大いにありますよね」

「たしかにな」

「牢脱けのあと、一度は組に引き渡したわけだし……」

「ヤドカリが逃げたという噂も、そいつが水添組にトンボ返りしたからこそ広まった、のか」

 青柳はガシガシと頭をかくと、席を立った。

「一発ヤニこいてくるわ。おまえ……もう上がりでいいぞ。どうせ今日はもうやることねーよ」

「は……わかりました。先輩はこのあとは?」

「担当の奴に水添組との仲介を頼みに行く。さすがに本家の組長との面会は、殴り込んでもどうにもならんからな」

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