第6話 亡命者

 青柳は事務所を出たのを境に、口数が減った。

 神崎の話は噂の又聞きに過ぎず、矛盾を指摘するには弱すぎた。

 ただ、二人の話から漂うきな臭さに、どう切り込むべきか考えあぐねているようだ。

「──腹へらねぇか」

 真夏の返事を待たず、青柳は車を路肩に停めた。

 野菜クズでかさ増しした廃棄のインスタント麺を中華風スープと称して売っている店で、二人分注文した。二杯で四十円。青柳が払って、紙カップを真夏に寄越した。

 道路横のひしゃげた柵に肩を並べて腰掛け、ふーふー言いながら啜り込んだ。調味料をケチっているせいか味が薄い。それでも、空腹には堪えられないうまさだ。

「先輩は〝向こう〟で暮らそうとか考えたことあります?」

 真夏は何の気なしに聞いた。ヤドカリの話が頭に残っていたのだ。

「いや、ねぇよ。この見てくれじゃな」と青柳は眼帯を指して言った。

「見た目がそんなに気にされるものですかね」

前科まえもあったしな」

「警察に入るときはどうしたんです」

「それを帳消しにする代わりに、ってよ。オレってスカウト選手なんだぜ」

「へーぇ、はじめて聞きました」

「今になれば、これ以外に生き方があったか? って気がする……」

 青柳はカツカツとカップの底をプラフォークで掻いた。

 昔々は魔法少女が必要とされた時代もあった。しかしそれはすでに過ぎ、次第に忘れられ、今や疎まれる存在だ。

 意外にも、魔法少女としての能力は、常人の生活律の中ではほとんど役に立たないのだ。

 普通人の社会で生きるためには、卑屈なほどの愛嬌を持つか、能力をひた隠しにする他になかった。大多数の普通人にとって、魔法少女とは放し飼いの猛獣であり、社会より排除すべき異分子だった。

〝向こう〟と〝こちら〟と、厳然たる隔たりはたしかに存在するのだ。

「おまえはどうなんだ」

「私の親は、子供を〝台所〟から出してやるのが人生の使命みたいに思ってましたから、そりゃ熱心でしたけど」

「──悪いことを聞いたな」

 青柳は空になったカップをくしゃっと潰した。十五年前の事件のことは、彼女も知っている。

「そんなことないですよ」と真夏は笑った。「今の生活が楽しいですし。どのみち〝向こう〟の暮らしには馴染めなかったと思います」

「そうかね。おまえならどこでもうまいことやる気がするけどな」

 そう言って青柳がタバコをくわえたとき、車内で警察無線が鳴りはじめた。

「──ハイ? 悪いが、もう一度はじめから頼む……」

 ドアを開けて半身を乗り出した青柳は、二、三やりとりをすると「わかった」と返事をして、そのまま運転席に乗り込んだ。

 真夏は慌ててスープの残りを啜り込んで車へ戻る。

「なんの無線でしたか?」

「例の事件の担当に会いたがってる奴が署に尋ねてきたとか……」

「一体、誰です?」

「さあ?」

「さあ、って……」

「担当者以外には話したくないんだってよ」

 青柳はタバコに火を点けると、窓の外に向かって煙を吐いた。

「──自首でもしてきたかな」

「まさか」

「とにかく署に戻ってみるか。なにか掴めるかもしれない」

「溺れる者はなんとやら、ですね」

「まだ溺れちゃいねぇ」

 青柳は皮肉っぽく笑うと、エンジンをかけた。

 警察署へ戻ると、連絡をよこした署員がエントランスで二人を迎えた。

「多忙のところお呼び立てして申し訳ありません。どうしても担当者でなければ、ということで……」

「いや、ちょうど一区切りついたところだったんだ。まさか、自首ってわけじゃないよな」

「自首という雰囲気はどうも……自分の印象ですが」

「わかった。とにかく話を聞いてみるよ」

 署員に案内された取調室へ入る前に、青柳は真夏の脇腹を肘でつついた。

「おい、聴取はおまえが主導しろよな」

「──青柳さん、こわいですからね」

 青柳は真夏の肩を殴り、取調室のドアを開けた。

 二人の姿を認めると、女の子はビクッと体を震わせた。

「どうも、こんにちは」

「あっ……こんちぁ……」

 真夏が挨拶をすると、彼女はおずおずと挨拶を返した。

「宮本と申します。こちらは、青柳刑事……」

「どうも、よろしく」

「よろしくおねぁしす……」

 明らかにナーバスになっている様子で、コップを持つ手がぶるぶると震えていた。

 年の頃は二十歳前。着ている服や容姿は全体に地味な印象だが、黒い髪をかき分けるようにして頭頂部が明るいピンク色になっていて、そこだけがどうもちぐはぐな感じだった。

「それで」と真夏は青柳に目配せをした。「今回の殺人事件の担当者になにかご用事と伺ったんですが」

「あの……実は、お話したい……ことがあるんですが」と彼女は一度お茶で唇を湿らせた。「その前に、あの、その……約束していただきたくて」

「約束?」

「はい。あの、話す前に、約束してほしいんです」

「具体的にどういった約束ですか?」

「命の保証です」

 真夏と青柳は顔を見合わせた。

「あなたの……失礼、お名前を聞いても?」

「あ、あの、や……約束していただいたあとで、なら、答えます」

「一応お聞きしますが、自首に来たわけではないですよね?」

「は、はい。私は犯人じゃないです」

「なるほど。それでは、命の保証というのをもっとこう……詳しく聞いても?」

「あの……保証という言い方が、アレだったら、あの、保護、っていうんですか……警察で、保護していただきたくて……」

 真夏が一瞥すると、青柳は軽く頷いた。

「できる限りのことはしましょう」

「ほ、本当に大丈夫ですか? あの、まじでアタシ、やばいんですよ……」

「お話を聞いた上で保護が必要だと判断すれば、必ず守ります」

 彼女はがぶりとお茶を飲むと、やがて決意したように話しはじめた。

「アタシ、人に頼まれて……アレしまして……」

「アレ?」

 真夏がオウム返しにすると、彼女はギュッと目をつむった。

「脱獄を──」

 その言葉に、真夏はハッと直感した。

「あなた、もしかしてお名前は……」

「あの……ヤドカリって言います」

 水添組の連中が愚痴っていた脱獄屋──!

 真夏はパチパチと目を瞬いた。

 今回の事件にどのように絡んでいるのかは話を聞いてみないことには始まらないが、彼女の握っている情報は水添組にとってアキレス腱になりかねないだろう。

「わかりました」と真夏は脈打つ胸を押さえながら言った。「あなたのことは全力で守ります。あなたの知っていることを教えていただけますか」

「は……わかりました。……あの、すみません。お茶のおかわりもらってもいいですか」

「構いませんよ」

 腰を浮かしかけた真夏を制して、青柳が空の茶碗を手に席を立った。

「噂をすれば影、か」

 部屋を出ると、青柳はボソッとつぶやいた。

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