私の幼馴染は男の娘

雲矢 潮

第1話 始業式の日・和解

桜散る爽やかな朝の通学路を、私は幼馴染の碧乃あおのと歩いていた。道の脇に咲いている小さな白い花が、可愛らしく風に揺れた。

 私は、隣を歩く碧乃の姿を見遣って言った。

「昨日入学式で聞きそびれたんだけど、その制服どこで手に入れたの?」

 私が着ているのと同じ、セーラー服と紺のスカート。碧乃は、私たちの新たな学校の女子制服を纏っていた。

「学校から注文されるはずだけど、そっちを買えたの?」

 真上まかみ市立北大野きたおおの中学校の特殊なシステムで、採寸も発注も学校で行われているから、男子生徒として登録されている碧乃が女子制服を買うことはできないはずだった。お祖母さんが学校と交渉したはずもない。

 碧乃特有の静かな囁くような声で答えが返ってきた。

「ううん、ちゃんと男子の制服が送られてきたよ」

「じゃあ、それは?」

 碧乃はニヤリと笑って答えた。

莉央りおさんは、ここの出身なんだよ」

「莉央さんかぁ……」

「そう。お下がりなんだ。いいでしょ」

「お下がりの良さはよくわかんないなぁ」

あいは一番上だもんね」


 私、日景ひかげ和は、弟2人を下に持つ長女だ。ちょうど6年前、私の就学前に真上市にIターンしてきたから、この街にお下がりを譲ってくれる知り合いはいない。制服なら学校の付き合いもないこともないのだろうけど、私服のお下がりは経験したことがない。


「でも、碧乃の私服も莉央さんのお下がりだらけってわけじゃないんでしょ?」

 碧乃の私服は、莉央さんセレクトのものがほとんどだ。小学生の時に一度だけ、洋服店で買い物をしている莉央さんと碧乃に会ったことがあるけど、彼女のセンスは本当にいいなと感じている。

「この前、お下がりをいっぱいもらったよ。わざわざ実家から取り寄せてくれた。いらないのは捨てていいからねって」

「そっかぁ、莉央さん東京行くもんね、寂しくなるなぁ」

 4年前、碧乃がお祖母さんと住むアパートの隣に大学生として引っ越してきたのが莉央さんだった。その彼女は今年大学を卒業して、私たちの前からいなくなってしまう。

 寂しいなと考えていると、碧乃に制服を引っ張られた。

「和、着いたよ」「えっ?」「学校ついたよ。和はもっと周りを見て。危なくて一人で歩かせられない」

「ご、ごめん」

 春の日差しを浴びて、白く眩しい校門。塗装が剥げて鉄色になったスライド式のゲート。あれは触ると暑いんだろうなぁ。3階建ての中校舎の壁面には南校舎の影が落ちて、白い壁とのコントラストをなしている。風が吹き、桜の花を散らした。

「わあ、花吹雪!」

 2年生だか3年生だか、知らない先輩が歓声をあげた。

 今日は始業式。


>>


 昨日の入学式で分かっていたことだけど、碧乃と私は同じ1年2組だ。クラスの印象は、よく言えば「明るい」といったところだろうか。担任の男の先生のノリが良くて、私基準だと正直「うるさい」クラスだ。それでも、教室の雰囲気に馴染めていない私や碧乃、我関せずといった具合に本を読んだり窓の外を眺めたりしている生徒たちのことは気にされていないようなので、案外楽な1年かもしれない。


 小5の時は。

 思い出しかけて、抑えた。ああなる可能性がないと分かったなら、それで安心すべきだ。わざわざ思い出すことはない。


 新入生は先に体育館に移動して、始業式が始まる前に何やかやするらしい。ぞろぞろと出ていくクラスメイトたちを見送って、最後尾で碧乃と喋りながら教室を出た。

 よく知っている顔に出会うのと、「なあ」と声をかけられるのは同時だった。

 さっと鳥肌が立つ。無意識のうちに碧乃を庇う。


 同じ新入生である彼のことは。普通の公立中学校だから、出身の小学校が同じ生徒は当然いる。でも、中学は受験するんじゃなかったの?

「何? 黒井くろい

 彼は、友人じゃない。

 待ち伏せされていた? 私は、閉じ込めていた記憶を引き摺り出してしまった。

 小5の頃の。


ーーあいつ、キモくない? オカマだよな。ーー

ーー男なら、男らしいカッコしろよな。ーー

 そう言って笑った。待ち伏せはトラウマだ。

 ある時、トイレの前で待ち伏せされて、黒井は碧乃を男子トイレの個室に引き込んだ。私は助けようと男子トイレに飛び込んだけど、彼らに足止めされて、黒井に押し返されるように出てきた碧乃を連れて逃げるしかなかった。

 先が綺麗な碧色になる碧乃の髪は乱雑に切られ、刃が当たったのか頭から血が流れていた。碧乃の話では、和式便器の中に座らせれられたのだという。


 彼、黒井かいは、そういう意味で生徒だった。


 碧乃へのいじめの首謀者。


「行こ、碧乃」

「待ってくれ!」

 声がぞっと背筋に走る。

「早く行かなきゃ行けないんだけど」

「反省、してるんだ」

 反省? そんな言葉で許されるようなこと、黒井はしてない。

「小5の時にも言ってた」

 私は、碧乃の手を握った。黒井が再び何かしようとしても、すぐに逃げられるように。

「今度は、本当に思ってる! あの時の俺は、どうかしてた。金輪際、東あずまを傷つけるようなことはしない」

「じゃあ、」

ーー金輪際、私たちに近づかないで。ーー

 そう言おうとして、碧乃が遮って言った。


「じゃあ、……、味方になってほしい。僕がこういう格好してるの、認めてほしい」


 私と黒井は面食らって、会いた口が塞がらなかった。碧乃は、黒井に向かって問いかけた。

「できる?」

「ああ、できる」

「碧乃⁉︎ 何言ってるの⁉︎ 黒井に何されたか、」

「大人にされるよりはマシだったから。それに、あの先生、僕にあわなさそうだから。……今は、できるだけ味方がほしい」


 大人にされるよりはマシ。


 育児放棄され、今みたいな格好を始めてからは育ててくれたお祖母さんにも冷遇され、支えてくれた莉央さんとも別れた今、必要なのは味方だった。中学生、自立した大人に向かっていく時期、大人に支えてもらえないなら、自分たちで支え合うしかない。

 でも。

「それと、黒井。和も傷つけないこと。僕も、黒井君のしたいこと、応援するから」

「……分かった。ありがとう、本当に」

 碧乃……。いいの? あんなこと許しても。

「心変わりすることがあったんでしょ?」

「そ、そうだな」

「和も、許してあげて? これからは仲良く、ね?」

「そんな簡単に『仲良く』なんてできないよ」

 碧乃は笑った。

「僕の一番の仲良しは和なんだから、心配しないでよ」

「そんなんじゃないよ!!」

 ……うん。碧乃がいいっていうなら、許しても良いのかな。


 私達の新しい生活は、斯くして始まったのだった。

 不安? 不穏? あるわけないって!


 とは、言えないか。

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