籠と鳥


鳥は気が付けば、もうそこに居た。


自分がどこから来たのかという疑問に対して、鳥は答えることは出来ないが、だからといって納得していない訳では無い。


自分は生まれた時から、この鳥かごの中に居るのだ。

どこから来たのかといえば鳥籠からだし、どこで生まれたかといえば、それも鳥籠の中だろう。


人間が毎日来ては、餌と水を入れ替えた。

それを啄み、飲む。後は、横に伸びている止まり木を左右に移動しながら、鉄製の籠の隙間から部屋の様子を眺めるのが鳥の一日だった。


自由になりたいという願望はあまりなかった。


ここに居れば食事に困らず、天敵の恐れもなく、住処は常に清潔に保たれる。病気の心配もない。


そんな安心を捨てて、何が待つかも分からぬ外の世界へ飛び出す者など何処にいよう?

·····無鉄砲というものだ。


鳥は首を少し傾けて、自分を包む籠をさらに包んでいる部屋の様子を探る。


昼下がり、物悲しい陽光が壁一面の窓から射し込む。


主のいない部屋で動くのは、鳥だけだ。


まぁ、じきに暗くなったら帰って来るだろう。


そう、鳥は思った。


日はだんだんと暗くなってゆく。

その様子を静かに眺めながら、鳥は首を反対に傾けた。


もうすっかり夕暮れである。

主が帰り、瞬きする蛍光灯が付けられるまでは、自分のこの淡い黄色の羽毛も見えない。


止まり木で同じ姿勢て、鳥は暗くなった室内を見下ろした。


首を二度三度傾げても、やっぱり部屋は暗いままであった。




◇◇◇



夜が明けた。


主はまだいない。

鳥は小さな瞼を開けて、部屋の中に生き物を探した。


誰もいない、 昨日と同じ景色だ。

ただ二つ、射し込む軽い朝日と、外で鳴く小鳥の声が薄らと聴こえてくる点で、今の時刻が朝である事を示していた。


鳥は一度だけ鳴いた。

効果がないと悟ると、今度は籠を嘴で噛んだ。

それでもなんの反応もないので、ソワソワと止まり木を行ったり来たりした。


なぜ帰ってこないのだろう。

こんな事は今まで無かった。


ぬるくなり、心做しか淀んだような気のする飲水を嘴で掬い、喉に流し込む。

イラついたおまけにと、もう二度、鳥籠に噛み付いて、先程よりも大きく一声鳴いた。



◇◇◇


もう一日が経った。


鳥は甚だ暇であった。

主が居れば、籠から出して部屋の中を飛び回らせてくれるが、その主が三日前の朝に何処かへ行ったきり帰ってこないのだ。


止まり木から降りて、鉄格子の床にわざと爪を立てて歩いてみたり、何度も連続して五月蝿く鳴いてみたりしたが、一向に返事が来る気配は無い。


鳥はだんだん不機嫌になってきた。


食事もあまり取っていないのだから、当然のことである。



四日目の正午。家のインターホンが鳴った。

鳥は興奮して、狭い籠の中で羽ばたいた。


来客らしいぞ。


来客は何度か、鳥には分からぬ言語で叫んだ後、すんなりと鍵を回して扉を開けた。


部屋に入ってきたのは、青い服を着た見知らぬ男が二人。


鳥は静かに相手を観察した。


「やっぱりいませんね·····」


「うーん、本格的に行方不明者と思った方が良さそうだな」


「でも三日ならまだ·····あ、もしもし本部ですか」


肩のあたりに顔を近づけて、何やら音を発する男を置いて、もう一人が鳥の方を見る。


「おい、鳥がいるぞ」


「ほんとですね、カナリアかな」


「文鳥だろ、このくちばしは」


こちらを向く二人の男の黒目を睨んで、鳥は首を左右に傾けた。


「可愛いもんだ、こいつが喋れれば何か教えてくれるんだがな」


「文鳥って喋れますっけ」


「無理だろ」


素っ気なく言って、男はもう一度鳥の方を見た。


「エサやっとくか?怒られやしないだろ、証拠でもあるまいし」


「警察官から飼育員に転職ですね」


「るせぇ」


部屋の隅に置かれた袋を持ち上げた男が籠の扉を開けて、餌皿にザラザラと食事を入れる。


「一応水も変えとくか」


餌を啄む鳥を見て、男が言った。


「早く戻りましょうよ、何してるんですか」


「お前、一応換気しとけ」


水の入った容器をシンクですすぎながら、男がもう一人に命じた。


ガララ、と音を立てて、窓から空気が滑り込む。

それを見た男は満足気に頷いて、新鮮な水の入った容器を鳥の籠に押し込んだ。


「戻るぞ」


「はーい」


ガチャン──と重い音がして、玄関の扉が閉まった。

·····鳥はまた、一人になった。



◇◇◇


再び、一日経った。


昨日と同じ二人の男が部屋に来て、鳥の餌と水を交換した。


「事故でしたねー」


「こいつも可哀想なもんだ、署で引き取るか?」


「どうなんでしょ、飼えるんですかね」


自分を指さして、喋る二人の顔を上に見て、鳥は首を右に傾けた。


「お前の飼い主は事故で死んだんだよ、分かるか?」


「いや分かんないでしょ」


ベランダでは、キンセンカの花が美しく開いている。

鳥は首を左に傾けた。




◇◇◇


「じゃぁ、世話の方はお任せします」


「はい、なんとか頑張ってみます」


帽子を上げ、サッと一礼して男は去って行った。また明日来るだろうか。


見知らぬ女性の持つ籠の中で、鳥は男の背中を送った。


「まさか姉さんが鳥飼ってるとは·····」


息を吐きながらそう呟いた女性の顔を見上げて、鳥は嘴を噛み鳴らした。主に少し似ている気配がする。


「世話の仕方、調べないと·····」


籠を可能な限り揺らさないようにして、女性は鳥を部屋の中に引き入れた。




◇◇◇


最近は日差しが強い。

·····鳥は風の差し込む網戸越しに空を見た。


訳もなく籠を齧っていると、扉が空いていることに気がついた。

疑問に思った鳥は、針金の扉を押してみた。


キィと小さな音を立てて、扉は素直に開いた。

鳥は部屋の中を見回した。


·····誰もいない。


最近羽を伸ばしていない。

鳥はちょっと迷った後で、そばのソファーの上を目掛けて飛び立った。


パタパタという音が響いて、鳥はソファーの上へ着地した。

二度三度、柔らかい地面を足で踏みつけて、鳥はベランダに向かって飛んだ。


網戸の隙間を通り抜けて、鳥の体は開放感ある外気に包まれた。




◇◇◇


林の地面に落ちた、小さな欠片を啄みながら、鳥は落ち葉を爪で引っ掻いた。


充分な食事が取れず、鳥は弱り切っていた。


しかし、まだ飛ぶのには何の影響もない。

近くの公園の水場を目指して、鳥は飛び上がった。


木々の枝の隙間をすり抜けて、上空に出ると、四角い屋根屋根がジオラマのように何処までも続いている。


自分の風きり音を聴きながら、鳥は頭を悩ませた。


自分で食事を探さなければならない。

安全な寝床も、危険な場所も見分けないといけない。


そのいずれも、今の鳥は完璧とは言い難かった。


今、涼しい風を流しながら、目を細めて地平線の方を見るのが、鳥の唯一の幸せだった。

ただひたすらに、幸せだった。



◇◇◇



飛べるのも、これが最後だろうと鳥は思っていた。


行く街の上で、前よりも黒ずんだ翼が、風を受けて嫌な痛みを発した。


雲の下を飛びながら、鳥は寒々しい色を湛えた街並みを見下ろした。


流れる風に乗る元気はつき果てて、強風の煽りを受けながらも、鳥はまだ空に居た。


水滴のようにくるくるときりもみしながら、上へと上がって行く景色に酔った鳥は、もう何が何だか分からなかった。

上が下で、下が上で。

ただ体を包む、風のシルクだけが本物で。


鳥は睨むように見上げた。地を睨んでいるのか、天を睨んでいるのかは分からない。


語らず、嘴はただ尽く、横一文字に結ばれている。


花が。桑の花が、放たれた弓矢の様に跳ぶ鳥の真っ白な視界を染め上げた。


香りまでもが、記憶を蔵するはずのない鳥の感覚を狂わせる。



自分は何なのか、そんな事すらも考える間もなく、鳥は空から落っこちた。





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下水道の亀 鰹節の会 @apokaripus

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