第5話 内助

「しず姉」

「ん? なーにたぁくん?」

 朝の新羅江南流古武術講武所、源初音と打ち合う塚原繭を見ながら、新羅辰馬は牢城雫に聞いた。


「あすかっているじゃん、清宮の彼女の。あの娘の能力ってなんなんかな?」

「今井ちゃん? あぁ、たぁくん調べてくれたかー♪」

「あぁ、やっぱりあの言い方はおれに探ってくれって言ってたか。……調べたっつーか、清宮が村主とケンカしてるとこ見た。けどこのアルティミシアで女が男に脅されるってあんまりないと思うんだが」

「んー。村主くんって名士の息子なんだよ。親の権力があって学園もなかなか動けない。で、今井ちゃんの能力なんだけど『自分を魅力的に見せる』ってゆー一種の魅了能力だから、戦闘には使いづらいし男の子から狙われやすくなっちゃう。困ったもんだよねー」

「なるほど、自分を魅力的に見せる能力。そりゃ男に狙われるなぁ……」

「あたしも村主くんのことどーにかしようとしたんだけどさあ、学園側からストップかかっちゃって。詮索無用ってことになっちゃった。たぁくんにあーいう言い方でしか伝えらんなくてごめんね?」

「そりゃいいけど……あんまりよくもねーか、あすか……今井? の人生おかしくなってたところかも知れんし。とはいえ宮仕えがお上に楯突くわけにもなぁ」

「いろいろ難しーよねぇ」

「だなぁ」


 そして、村主刹。

「あすかは俺のモンだからよぉ、好きにさせてもらうぜ、俺のいいようにな」

 辰馬に打たれて熱を持った首をコキコキやりながら、なかばうわごとのように呟く。今井あすかの魅了能力に酔った男は偏執狂的な熱気にうかされ、彼女を自分の思い通りに染め上げたいと願う願望に突き動かされていた。しかもそれがただの独占欲でなく、売春させて弄ぼうという性質の悪さ。そんな男が権力者の息子で暴力も持ち合わせているというのだから、狙われたあすかとしては災難というほかない。


「村主さん、大丈夫ですか、新羅と事を構えちまって」

「そーだなぁ、マズいよなぁ。ケンカじゃ百本やりあっても勝ち目がねぇ」

 舎弟の男子の怯えと焦慮を含んだ声に、村主刹は正直に勝ち目なしと言ってのけた。辰馬に打たれて熱を持った首をさすりながら、しかしその瞳に新羅辰馬に対する恐怖の色はない。殴り合いで勝てないなら別の戦場を用意すればいい。村主はそう考えており、実際権力という力を前にして一学生の武力など怖れるに足りない。


「じゃあ!」

「まあそんなビビんなよ。新羅がどんだけ強いか知らねぇが、こちとら葉月財閥の御曹司だっての」

 葉月財閥。ここ数か月で一気に業績を伸ばした海運と軍需産業の財閥である。海運業と言えば先日、新羅辰馬に敗れて現在鑑別所の武蔵野伊織が率いた天竜財閥、そしてヒノミヤ事変で辰馬に与力した古い新羅家の家臣・梁田篤の山中屋が最大手であり、羽月財閥は天竜財閥の武蔵野伊織失墜後にその各セクションを接収して成長した。かくのごとく、新羅辰馬は天竜財閥の権威すら恐れずに叩き伏せてのけた男であり、その背景には山中屋の権威が控えているわけだが、辰馬の性格上権力勝負に出ることはまずない。それならば権を弄することに長けた自分に分があるというのが村主の考えだった。


「あのキレーな顔を土下座させるのも面白そーだよなぁ……くく」

 邪悪に嗤い、村主は薄く喉を鳴らす。


………………

…………

……


「ぉう!?」

スパイクを打とうと踏み切った瞬間、怖気を感じて辰馬は横滑りにコートを転がる。


「なにやってんスか、辰馬サン? 絶好球だったってのに」

「いや、なーんかイヤな気配がな。やり直す。もっぺん呉れ」

「りょーかい。んじゃ、こんな感じで」

 シンタが軽妙にトスを上げる。辰馬は高く高く跳躍し、腕とつま先がくっつくぐらい弓なりに全身を反らせ。


 ず、どごおぉぉんっ!!


 レーザービームを思わせるスパイクが、反対側のコートのラインスレスレに穿たれる。衝撃と回転で、一撃にしてコートに擦過の焦げ跡が残るほどだ。


「さぁすが辰馬サン♪ これだけで優勝できちまうんじゃねーですか、オレら?」

「そりゃ無理だろ。本職も大勢参加なわけだし。賢修院、明芳館、ほかにも勁風館とかからも来るしな」

「けど、男子で辰馬サンほど身体能力あるやつほかにいねーでしょ? つーかオレらレベルだって滅多にいねぇっスよ?」

「うーん……どーだろーなぁ。玉石混淆、おれとしては玉ってのはどこにでも隠れてるもんだと思うんだわ。そーじゃねえと面白くないだろ」

「まあ、雑魚相手に優勝してもつまんねーってのは分かりますねぇ」

「だろ? だからお前らもしっかり練習しろよ、ってこと」

「あいよっ。……で、筋肉と清宮はケンカの練習として、デブオタは?」

「今井あすかの護衛。バレーと護衛とどっちがいい? って聞いたらもう一も二もなく向こうに行った」

「あンの馬鹿……、一番バレーの練習が必要なのあのデブじゃねースか!」

「嫌がってるのを無理矢理練習させるのもなぁ……あいつは今回諦めんとならんかもしれん」

「一度折れたら一生折れたままってこともあるっスよ?」

「そーなんだよなぁ。楽に流れるのを覚えるとな」


 蒼月館3階のテラスから、出水秀規は階下を眺めていた。

「今井あすか……あれでゴザルな。自分を男にとって魅力的に見せる能力……主様やその周りのおなご衆に比べて別段、魅力的とも思わんでゴザルが」

 呟く出水。そりゃ、普段から辰馬や瑞穂やエーリカといった面々を見て審美眼を鍛えられていれば、多少魅力的な少女を見てもどうとも思わなくはなるだろう。出水はそこのところが腑に落ちない様子で首をかしげたが、要はそう言うことだ。

「ちょっと、ヒデちゃん! あたしは!?」

「なにをいってるでゴザルか。いうまでもなく、シエルたんほどに魅力的な女性はこの世にいないでゴザルよ」

「えへへー、そかそか♪」

「それにしても、今井あすか。確かにやたらと男を惹くでゴザルな……」

 階上から遠望し、出水は呟く。あすかは学食で級友と勉強しながら談笑中だが、十分ほどの時間で彼女に声をかける者、そこまでいかなくとも視線を投げる者、全部あわせると軽く二桁を数える。彼らのほとんどは無害で無邪気なものだが、タチの悪いやつには出水が砂礫をあびせて撃退しなくてはならない者もいた。


「ふむ……確かに、これは強力な能力かもしれんでゴザルなぁ」

「ま、自分で制御できない能力なんて呪いとおんなじだけど」

 シエルは辛辣だが、実際馬鹿にしたものでもない。もし今井あすかが自分の能力を完全に制御したとしたら、蒼月館男子の大半を征服するに等しい。いまのところあすかにそんな野心があるようには見えないが、出水は女子に排斥された過去の経験からそこのところ軽く女性不信である。希望的観測はしない。


「まあ、今のところは被害者なのでゴザろうが」

 言いながら、出水はあんパンを牛乳で流し込む。張り込みながらのあんパンは早くも5個目だった。


………………

…………

……

その頃、賢修院学院。


学院裏。


清澄な山奥の大滝に、少女が一人。


黒髪、長髪。


道着姿。


抜き身の太刀を手に、滝の中に居ながらにして一滴の水にも濡れていなかった。


見る者はまず神力を疑うだろうが、少女の身から立ち上る神力はごくごく弱い。少なくとも瀑布の激流を弾くに足るようには見えない。


超人的な動体視力を持つものなら、不動に見える少女の太刀が絶速で大きな円弧を描いているのに気づくはずであった。その剣圧のみで、少女は滝の威力の尽くを裂き、弾き、流してのけている。すさまじい剣技の練りであり、かのガラハド・ガラドリエル・ガラティーンを破ってのけた剣聖・牢城雫をして「もし、同い年だったら負けてるかも♪ ま、8才ぶんあたしが勝ってるけどね♡」と言わしめる実力もうなずけるというものだった。


上泉新稲。今回の煌玉大操連大会において、塚原繭が敵手と目する相手である。魔力欠損症という、魔力を持たない故に世人から指さされるが実際には新次元の人類である身体能力を保有する雫に比べると、彼女は身にわずかながら神力を帯びているゆえにフィジカルでは劣る。それでも雫に肉薄できるほどに、新稲は自らの剣腕を高めていた。おそらく、先代賢修院学生会長・源初音の全力と同等。力を大きく減らしたいまの初音にも勝てない現状の繭では、まず到底太刀打ちできない。


新稲は伏せていた瞳をカッと開き、大きく太刀を振り下ろす。衝撃波が瀑布を割り、数百トンにおよぶ水の流れという単純なエネルギーを吹き飛ばす。弾かれ吹き飛んだ水塊は木々を揺らし、砕き、地を穿って地鳴りを起こした。


「煌玉展覧武術会……、お遊びの大会であっても全力で行く。新生した賢修院の威名を知らしめる……!」


………………

…………

……


「たつまー、明日ヒマ? ヒマじゃなくてもいーわ、空けなさい」

 大輔、出水と清宮に合流した辰馬たちB組・D組連合軍は、A組・C組連合軍を相手に練習試合を終えたところだった。今井あすかも第二体育館に顔を出しており、清宮にタオルを渡している。そこにやってきて野放図な声をかけたのはエーリカ・リスティ・ヴェスローディアと神楽坂瑞穂。エーリカの言葉に、辰馬はなんとも微妙な表情になった。

「なんだお前いきなり。おれがここんところ忙しいの知ってんだろーが」

「いーから。村主ってやつのこと、知りたいでしょ?」

「ご主人さま、エーリカさまはいろいろ調べてくださったんですよ?」

 辰馬とエーリカの間に、瑞穂が口をはさむ。言葉足らずにケンカ腰になりがちなエーリカが実はやってくれた内助の功に辰馬は軽く目を瞠り、気勢を弱めた。

「あー……そか。そりゃありがたいが、今じゃダメなのか?」

「アンタ最近サービス不足でしょーが! アタシやみずほのことほったらかして!」

「しかたねーだろ、ホント忙しいんだから」

「あぁ!? 『忙しい』ってのを言い訳にすんな!」

 最近の不義理には後ろめたさのある辰馬がふいと顔を横に向けると、エーリカは勢いに乗じて語気を荒げた。かてて加えて体操着の襟首を締め上げる。息がかかるほどの距離で睨み合うが、さすがに辰馬も弱気なままではいない、腕を払う。

「襟首を掴むな! ホント最近のおまえはガラ悪いな! ホントにお姫さまかお前!?」

 と、言われるとエーリカはハッとしたように目を瞠る。確かに、最近世俗に浸ってすっかりはすっ葉になってしまったが、自分はヴェスローディアの誇り高い姫、とわざわざ思い出さなければ忘れてしまってしまうというのがなんとも、ではあるが、ともかくエーリカは恥じらいを取り戻し、居住まいをただす。

「は!? そーいえばそーだわ、アンタらの下品さに染まりすぎた……」

「待てコラ。どっちが下品なんだよ?」

「ごほん。とにかく。明日スタジオに来なさいよ。久しぶりにアタシの仕事ぶりを見せてあげるから」

「……うーん、まあ、1日くらいなんとかなるか。OK、スタジオな」

「絶対来なさいよ、これ命令。……さて、みずほー、なんか食べて帰る?」

「はい、そうですね!」


1日つぶれるが、まあ無駄にゃーならんか……。辰馬は頭を掻きつつ、コートに戻った。

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