第30話

 実家から借りてきたランドクルーザーは、思いの外快適な走りで瑞希と俺、そしてこちらも実家から借りてきた父ちゃん愛用のキャンプ用品を載せ、高速を滑るように進んでいた。

 大学に入って1年目のとき、親の意向で「車の免許はとっておいたほうが良かろう」と教習所へ通わせてもらって以来初めての運転だったけど、案外スムーズにハンドルは手に馴染んだし、臆することなく高速にも乗れた。俺、運転得意かも知れない、と思ったし、実際勘はよかったと思う。助手席に座る瑞希も、初心者運転の車に乗っているとは思えないほどゆったりと寛いで、さっきサービスエリアに寄って買った、蓋付きのプラスチックコップにストローが刺さったアイスティーを飲みながら、流れゆく景色を見て目を輝かせている。

 高速道路から見える特有の景色、街を少しだけ俯瞰して観るような建物の連なり、まるで俺たちを中心として世界をぐるりと囲んでいるような、遠くの方にうっすらと見える山の稜線。その何もかもが、『旅』を感じさせてくれる。

 こんな風に瑞希と2人で出かけるのは初めてだった。一緒に暮らし始めてからずっと、家、学校、バイト、の狭いサイクルの中で、あーでもないこーでもないとお互いの気持ちを推し量ってばかりの毎日だった。

「バイト、急に休んじゃって大丈夫だったかな〜」

 さっきまで機嫌良さそうにしていた瑞希が、ふと我に返ったように不安気な声を出す。

「たまにはいいだろ。ていうか俺たちちょっと真面目すぎじゃね?大学生なんて試験だなんだとかいって急に休むやついるけど、絶対遊びで休んでるやつだっているだろ」

「それはそうだと思うけど、真面目すぎってことはないんじゃない?基本シフト守るのが普通でしょ」

「そりゃそうだけどもさ」

 そんな会話を交わしながらも、俺達の気が大きくなっていることは確かだ。空は青くて瑞希が言うところの10種類しかない雲のうち2種類が車のフロントガラスから点々と見えている。すじ雲、うろこ雲。近いうちに雨が降ると言われる雲だけど、この量なら明日までは晴れそうだ。


 キャンプ場の受付で、俺たちが使うサイトの場所と使用上の注意などの簡単な説明を受けた。

 車を駐車場からサイトへと移動し、ドアを開け外に降りると周りをぐるっと見渡す。うん、いい感じ。

「すごい、空が広いね!」

 同じく外に出て周りを見渡していた瑞希が歓声をあげた。

「もっと山深いところにあるキャンプ場だと木が多くて鬱蒼としてるけどね。天気も良さそうだし、夜になったらきっと星がよく見えるよ」

「意外だったな。俺はその鬱蒼としてるようなところに連れて行かれると思ったのに。有司、よく子どもの頃お父さんにすごいところに連れてかれたって言ってたじゃん」

「だから俺はそんなところは好きじゃないんだって。トイレも水道も自力でなんとかしないといけないようなところなんてさ」

 ここはネットで探し出して初めて来た、水栓トイレもシャワーも完備されている設備がきちんと整ったキャンプ場だ。サイトは湖畔にあって視界が開けているので空が広い。まだシーズンオフのためか、俺たち以外に来ているのは家族連れが数組とソロっぽい人が1人いるのみで、キャンプ場のスタッフが気を利かせてくれたのか、他の利用客との間に十分な距離を持たせてくれているため、完全なプライベート空間が確保できている。俺たちは木で区切られた1番奥の、本来だったら4組分が利用できる場所を独り占めするような形になった。

「よっしゃー!テント建てるぞー!」

 俺は気合いを入れるようにわざと大声で叫ぶとランドクルーザーのバックドアを開け、中にギッチリと詰まった荷物を下ろし始めた。キャンプ初体験という瑞希も、見様見真似で一緒に荷物を下ろすと荷解きを始める。一見見ただけではどうすればいいのかわからない折り畳まれたテントも、飲み込みの早い瑞希は、俺のちょっとした指示ですぐに要領を得ると、俺と協力してポールを組み、シートを被せ、マットを敷き、あっという間にペグで固定するところまでやり終えてしまった。それ以外にも、タープやテーブルも手際よく組み立て終わった俺たちは、1時間もしないうちに、クーラーボックスの中に入れてきた冷たいお茶をチタン製のマグに注ぎ、少し陽が傾き始めた空の下、折りたたみ式のアームチェアにまるで溶けるように腰を沈めていた。

「気持ちいいね」

 瑞希が、マグを包む両手以外はすべて脱力しているといった様子で湖を眺めながら呟いた。俺たちは、2人とも自分のチェアを湖の方に向けて座っていた。

「うん」

 俺も湖の方を眺めながら、透き通るような空気を深く吸い込み、体の中を洗うかのように循環させ息を吐く。

 水鳥が水面を歩くように湖の真ん中を横切っていった。

 そこから俺たちは、しばらく無言でただ目の前の自然を楽しんだ。サワサワと風が木の葉を揺らす音と、ぴーっと鳴く鳥の鳴き声だけが俺たちの耳をかすめていった。


 食材費の節約と後片付けの大変さを考えてバーベキューは無しだ。その代わり持ってきたカセットコンロを箱から取り出してテーブルに設置し、瑞希が水場で汲んできた水を深めの鍋に入れてコンロの上に置き火をつける。しばらくしてポコポコと泡がたち沸騰し始めたところに、持ってきた5袋入りの袋麺をすべて投入した。

「こんなに食べれるかな」

 鍋の中にもりもりに入った乾麺の山を見て呟く瑞希に、「余裕だろ」と返しながら、俺はザクザクとニラをキッチンバサミで切りながらダイレクトに乾麺の上に撒き、更にその上にモヤシを袋からザザーッと注ぐ。素材がすべて柔らかくなってきたところで袋麺についていたスープの素と、4個入りパックの玉子を4個すべて落とし半熟になったところで火を止めた。

 配膳は瑞希に任せて、俺はだいぶ暗くなってきた手元を照らすため、ランタンをタープの上の方のポールにカラビナで固定して電源を入れた。

「マジでいけるね」

 テーブルを挟んで互いの椀に入れられたラーメンを食べ始めた俺たちは、あっという間に鍋の中身を空にしてしまった。

「だろ?外で食うと旨いんだって」

 ふう、と俺は膨れた腹をさすりながらチェアの背もたれに背中を預けると、タープの屋根の端から空を眺める。

「あ〜空すげー」

 俺が呟くと、瑞希も背中をぐんと逸らして空を見上げると、「うわっ!!」と今日イチ大きな声を出した。

「プラネタリウムじゃん!」

 瑞希が目を丸くして叫ぶ。新月だ。やっぱり今日来てよかった。空にはまるで、何億といっていいほどのたくさんの粒をばら撒いたような、見事な星空が広がっていた。

「暗い方に行ったらもっとよく見えるよ」

 俺は立ち上がってチェアの背もたれを持つと、瑞希を促し、ランタンの灯ったタープから出て、本来なら隣人が使うはずの空いた区画にチェアを移動し腰掛けた。

 瑞希も俺に習ってチェアを持ち上げると、俺の1メートルほど隣に陣取って腰を下ろす。

「ねえあれ、天の川じゃない?肉眼でも見えるんだ、天の川」

 漆黒の夜空の中、ぼんやりと白く濁った部分を指差して子どものようにはしゃぐ瑞希に、俺は思わず顔をほころばせてしまう。そして……。

 言うなら今だと、そう思った。

 今なら、この溢れそうな想いを、雄大な星空が緩衝材となって、瑞希を酷く傷つけることなく伝えることができる。

 俺が口を開きかけたそのとき、「あっ、流れ星!流れ星だよね、今の?」興奮して声をあげる瑞希に開きかけた口を閉じて曖昧に頷いた。

 街中では信じられないことかも知れないけど、山の中に来ると流れ星なんてひと晩に何度も見ることができる。

 そんな言葉を思わず飲み込んでしまうほど無邪気に笑う瑞希を見て、俺はこのまま時が止まってしまえばいいのに、と思った。

 あと少し。あと少し。そんな風に時間を引き伸ばして、いよいよ瑞希が眠たそうにあくびをし始めたそのとき、俺は思い切って口を開いた。

「瑞希」

「ん?」

 瑞希が俺の方を見る。俺の中の、1番深い部分にぐっと力がこもる。

 俺はもう一度、夜を深く吸い込んで、吐き出す息に載せて言葉を紡いだ。

「俺たち、別れよっか」



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