第24話

 ゆいちゃんのマンションから外に出た俺は、すぐにスマホをポケットから取り出し今の時間を確認した。

 AM8:23。と、同時にラインが届いていますの通知が画面左上に出ているのが見えて胃がキュウッと痛くなる。

 取り敢えずラインは置いといて、マップを開き現在位置を確認した。200メートル程右に向かって行くと地下鉄の駅があるようだ。

 俺は右に向かって歩き出しながら、ラインアプリを開いて通知画面を確認した。

 瑞希から2件、ニシダから3件。

 俺は迷わず瑞希の方のアイコンをタップしてトーク画面を開く。

 1件目は昨日の夜、23時47分に『先に寝るね』と1言。俺が飲み会で遅くなっていると信じて疑っていないような内容だ。

 2件目は今朝7時20分。ついさっきじゃん!なんで気づかなかったんだ。しかも不在着信て……電話かかってきてたのにまったく気づかず寝ていたのか俺。さすがに朝になっても帰って来なければ心配されて当然だ。くわ〜〜〜俺のバカ!

 俺はスンと1回、鼻から息を吸いこむと、言い訳を考える時間も惜しいとばかりに瑞希に電話をかけた。早く心配を解かなければ。

 2回、呼び出し音が鳴ったあと、電話の向こうが一瞬静かになり、続いて『有司?』という瑞希の声が聞こえた。途端に罪悪感が雪崩のように俺の体に襲いかかり、また胃がキュウッと痛くなる。

「瑞希、ごめん。昨日俺酔い潰れちゃってそのまま……」えーと、そのままそのまま「……道で寝ちゃってたんだよ!だから連絡出来なかった、ごめん!」

 俺は必死に口を動かして、なんとか苦しい言い訳を絞り出した。

『え?大丈夫?怪我したりとか財布すられたりとかしてない?』

 心配そうに声をかけてくる瑞希にまた胃がキュウッと……。

「あ、うん!全然大丈夫だった!今から帰る」

『なら、いいけど。さっきニシダに電話したら途中で別れたから知らないとか言ってたからさ、ニシダも心配してるかも』

 ニシダ!ヤバい。あいつ何か余計なこと言ってないだろうな。ていうかあいつ、俺を置いて先に帰るなんて薄情者め〜。俺は今すぐにニシダのラインをチェックしたい衝動にかられる。

『有司?』

「はい!」

 知らず無言になっていた俺に瑞希が呼びかけた。

『俺、もう大学行かないといけないから、ニシダにちゃんと連絡してね』

「もちろん!」

『なんか喋り方、変じゃない?』

「そんなことないです!」

 ふうん、と瑞希の訝しげな声を最後に通話は終了した。

 瑞希は今から大学。取り敢えずシャワーを浴びに家に帰っても、瑞希と顔を合わせる必要がないことに俺はホッと胸をなでおろしながら、次にニシダのラインを確認する。

 昨日の22時10分に2件、『先に帰って悪い(絵文字)かわいい子がいたもんだからさ〜』『フラレたけどww』。そして今朝の7時42分に1件、『今、戸村から電話あったけど、おまえまさか昨日の子にお持ち帰りされてないよな?適当にごまかしといたけど』。

 ファインプレー!と言うべきかなんというべきか……とにかく俺はもうニシダとは、いや、瑞希のいないところでは絶対に酒は飲むまいと心に誓い、ニシダのラインに『そのままごまかしといて』とメッセージを送った。

 ニシダのトーク画面を閉じる間もなく、すぐに既読の文字がつき、すぐに返信が返ってくる。『ご愁傷さま(絵文字)』。

 ……あいつ、他人事だと思って。

 はあ、と大きくため息をつきながら、酒が残って重い頭とは裏腹に、ここのところ体の真ん中にモヤモヤと溜まっていたものがスッキリと晴れたような感覚に気づいた。

 俺はこの感覚を知っている。

 ……やっぱり、昨日ヤッたんだな。

 先週から昨日までの1週間、俺は瑞希とヤッてないどころか自分で抜くこともしなかった。瑞希がいつその気になるかわからなかったから、いつでもいけるようにずっとスタンバイしていた。でも、瑞希からはその兆しはなく……溜まってたんだ。だから無意識に……いや、そんなの言い訳にならない。そんなことを考えても、もう、時間は元に戻らないんだ。


 それから俺は家に帰ってシャワーを浴び、着替えを済ませると午後からの授業に出るために家を出た。

 夕方までみっちり大学で授業を受け、すぐに帰宅の途につく。あ〜今日バイトのシフトが入っていれば良かったのに。これから俺は、部屋でひとり、「あのこと」を考えながら悶々とした気持ちで瑞希の帰りを待つのだ。

 重い足取りで俺たちの暮らす細長いマンションに着き、ドアノブに鍵を差し入れる。俺はこのときまで、まったく何の違和感も感じてはいなかった。

「おかえり〜」

「瑞希!」

 部屋のドアを開けた途端、明るい電灯の光とキッチンに立つ瑞希の笑顔に出迎えられた。

「今日、早いんだ?」

「うん。たまには早く帰ろうと思って。そんで冷凍庫ん中のロールパンそろそろ片付けたいからクリームシチュー作った。食べるよね?」

 瑞希の立つキッチンのコンロには、いい匂いを放つ鍋が火にかけられている。そして冷凍庫の中には、特売で買った大袋入りの、食べても食べても減らないロールパンが眠っているはずだ。

「うん、食べるよ食べる!」

「じゃあ手洗ってきなよ。もうすぐできるから」

 火の調節をしながらお玉で鍋をかき混ぜている瑞希の言葉に、俺はまるでご主人様に餌をもらう犬かのごとく尻尾をふりふり、部屋に上がって鞄と上着を床に放り投げ洗面所に向かった。

 瑞希が早く帰ってきた。

 その喜びで胸がいっぱいになり、昨日のことなんてすっかりどこかに飛んで行ってしまっていた。

「あ」

 俺が洗面所に入ろうとした寸前、冷蔵庫を開けた瑞希が声をあげる。

「どした?」

「牛乳が無かった」

 冷蔵庫を閉めたあと、どうしたもんかと考えている瑞希に、俺は「じゃあ今から買ってくるよ」と声をかけた。

「え、でも有司、今帰ってきたばっかりなのに」

「いいって。牛乳ないとできないんだろ?せっかく途中まで作ったんだし、一緒に食べようぜ」

 今日を逃したら次またいつ一緒にご飯を食べられるかわからない。それにスーパーはマンションのすぐ裏だし、牛乳を買ってくるぐらいなんてことはない。

「じゃあ、お願い」

「うん、行ってくる」

 俺は床に放り投げた上着を拾い上げると、瑞希がキッチンの引き出しから取り出し差し出した、2人分の家計費を入れている財布を受け取り玄関で足を靴に突っ込んだ。このあと待っている修羅場などまったく想像もしないで。


 スーパーはちょうど夕方の値引き目当ての買い物客で混み合っていた。牛乳1本を手に持って、カートいっぱいに商品を入れた仕事帰りとおぼしき人たちが作る長い行列に並ぶ。

 そんな待ち時間など全然苦にならないくらい、そのときの俺はウキウキとしていた。

 このあと、瑞希と一緒にご飯を食べて、お風呂一緒は瑞希が嫌がるから順番に入って、瑞希が風呂入っている間に俺が洗い物を済ませて、一緒に歯を磨いて、瑞希の髪乾かしてあげて、ベッドで2人まったりしながらあわよくばセックスまで持ち込む。よし、完璧。

 ルンルンでお会計を終え、足取り軽くマンションへ戻って、「ただいま〜」とドアを開けた瞬間……凍りついた。

「一之瀬くん!」

 ダイニングテーブルを挟んで瑞希と向かい合って座っているゆいちゃんが、俺の方を向いた。

「え……なに?……」

「おかえり、有司」

 瑞希が俺に向かってにっこり微笑む。だが、その目は笑ってはいない。

「彼女、大学から有司のあとをつけてたんだって。有司が一緒に暮らす恋人がどんな人かひと目見たくて」

「え、こい……え?」

「一之瀬くん、酷い!恋人と暮らしてるなんて言って、一緒に暮らしてるの男の子じゃない!どうして嘘つくの?!私のことが気に入らなかったんなら正直にそう言えばいいじゃない!」

 ゆいちゃんが立ち上がり、すごい剣幕で、まだ玄関に突っ立ったままでいる俺に向かって迫って来る。え?え?待って。これ今、どういう状況?

 その男の子が恋人なんですけど、と言いたい気持ちをぐっとこらえて、チラと瑞希の方を見ると、瑞希は素知らぬ顔でテーブルの上に出してあったゆいちゃんの分のカップを流しに移動させると、スポンジに泡をつけて洗い始めた。

 しかもダイニングテーブルの向こう、いつもは開け放してあるはずの、ダブルベッドを置いた部屋の引き戸はぴっちりと閉められ、俺たちの愛の巣は意図的に完全にこちらからは見えないようにしてある。瑞希よ、おまえはこの状況でもカムアウトしないつもりか。いや、カムアしたらしたでまた違う形の修羅場になるだけなんだけど。

 どうしよう……と俺は唇を噛み締める。瑞希にそのつもりがないなら俺が勝手にアウティングするわけにもいかないし……ていうか!これ、もしかして俺がこの子とやっちゃったこと、瑞希にバレちゃってる?!

「有司、俺しばらく外に出てるから彼女とゆっくり話したら?」

 気づいたら瑞希が俺のそばに立っていて、貼り付いたような笑顔を俺に向けると「えっ!ちょ……待って!」と止める俺を無視して玄関を出ていった。

「一之瀬くん!」

「はいっ!」

 もうパニックだ。俺がゆいちゃんの方を振り返ると、ゆいちゃんはさっきまでの勢いを失い、今にも泣き出しそうな顔になっていた。

「ごめんね、あとつけたりなんかして。でも迷惑かけるつもりなくて。一之瀬くんが部屋から出ていった隙に、ピンポンして彼女の顔だけ見たら間違えましたって言って帰ろうと思ったの。そしたら出てきたのが男の子だったからびっくりして、『ここって、一之瀬くんの家じゃないですか?』って言っちゃって。そしたらさっきの子が家に上げてくれて」

「き、昨日の話をしたの?」

「……ごめんなさい」

 ……終わった。俺は今、モーレツに瑞希のことを追いかけたい。

 でもそういうわけにはいかない。元はと言えば俺が巻いたタネなんだ。

「ゆいちゃん」

「え?」

「悪いけどここ、さっきの子の家でもあるから追い出しておくわけにはいかないんだ。明日って授業どんな感じ?空きコマある?」

「……午前中は空いてる」

「じゃあ明日、9時頃ゆいちゃんちに行くよ。家には入らないけど、でもちゃんと話したいから」

 俺はなるべく真剣な顔をして真っ直ぐにゆいちゃんのことを見つめた。バックレるつもりはないよ、と。

 その思いが通じたのか、ゆいちゃんは、「……わかった」とひと言呟き、シュンとしながら俺の横をすり抜けハイヒールに足を入れると部屋を出ていった。

 1人になった俺は、1回大きく深呼吸をした。よし、一旦落ち着こう。俺はまず、なるべくゆっくりと靴を脱ぎ、ずっと手に持ったままぬるくなってしまった牛乳を冷蔵庫にしまった。

 その後、足音を潜めて玄関に近づき、そっとのぞき穴から外をのぞいて、ゆいちゃんがいなくなっているのを確認すると、限界まで後ろに引いたチョロQを急に離したときの勢いで、急いで靴を履いて瑞希のことを探しに外へ出た。




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