第21話
「有司、準備オッケーだよ」
瑞希はそう言うと、持ってきた蓋の開いたままのダンボール箱を寮の玄関ホールにおろした。玄関ホールには他にもいくつかのダンボール箱や大きな旅行鞄が、他のものと混ざらないよう、これは自分の分、と主張するかのように1人分ずつかためておいてある。
「んーじゃあ俺のと一緒にしといて」
「うん」
瑞希のダンボール箱がもう一度持ち上げられて、俺がさっき持ってきたダンボール箱とリュックサックの横に並べられた。開いた蓋の隙間から、俺が瑞希にあげたクリスマスツリーのランタンが、大切そうに1番上に載せられているのが見える。
昨日、無事卒業式が終わり、その後に寮で執り行われた、2年生が企画してくれた追い出しパーティーで盛り上がり、1日明けた今日ほとんどの3年生が3年間過ごしたこの寮を出ていく。瑞希は1年もいなかったけど、それでも今日ここを出ていく。まさかの俺んちの車で俺と一緒に。
「でもホントにいいの?有司んちに荷物置かせてもらって」
「いいの、いいの。だってどうせこっちに住むんだから、わざわざ実家に送っても送料もったいないだけじゃん」
下心がダダ漏れないよう、すました顔を意識しながら俺は、母ちゃんのラインに「いつでも出られます」と文字を打ちつけた。今日は母ちゃんが寮まで車で迎えに来てくれることになっている。そして2人で俺んちに行って、瑞希を俺んちに泊めて、そんでもって今夜はゆっくり……。
「助かるよ、荷物だけでも置かせてもらえて。その後、俺、一旦叔父さんちに帰るね」
「はあっ?!」
瑞希の信じられない言葉に、俺は思わず大声をあげて持っていたスマホを落としそうになった。
「びっくりした。だって寝るとこないし」
「俺んちで寝ればいいじゃん!」
「え、いやさすがにそこまでは……」
「ぜんっぜん、いいから!むしろ大歓迎だから!ていうかもう母ちゃんに瑞希のこと言ってあるし!」
必死だ。我ながら必死すぎる。さすがの瑞希もドン引きしてるし。
「お、お母さんに俺のこと、なんて言ってあるの?」
その言葉に俺は一瞬ポカンとする。どうやら瑞希は、俺が思っていることとは別のところにドン引きしているらしい。だから俺は瑞希を安心させるべく、胸を張って堂々と言ってやった。
「恋人泊まらせるからよろしく♡って」
「はあっ?!」
今度は瑞希が大声をあげる番だった。
「え?何?俺、どうすれば……あ、女装?今から浜ちゃんとこ行って文化祭んときみたいに……」
「瑞希、瑞希。落ち着けって。母ちゃんには恋人は同じ寮の子だって言ってあるから」
「はっ?!そ、それでお母さんなんて?」
「OKって」
俺は顔の横に指でOKマークを作ると、にっこり笑ってそれを軽く振って見せる。
多分、うちの家族は大丈夫だ。根拠はないけど、なんとなくそう思ったから、俺は素直にカミングアウトしていた。
「やば……急に緊張してきた」
胸に手をあてて固い顔になってしまった瑞希に、大丈夫、大丈夫、と申し訳ない気持ちで声掛けしていると、俺のスマホがブブッと震え「arrived」と母ちゃんから到着を報せるラインが入った。
そう言えば、恋人が同性というカミングアウトより重大なことを瑞希に伝えるのを忘れていた。「着いたみたい」という声にビクッとしている瑞希に、更に申し訳ない気持ちになりながら俺は、「俺の母ちゃん、英語しか喋らないけど適当に笑っときゃいいから」と言って、ごめん、と不安そうにしている瑞希の顔に向かって手刀を切った。
それぞれの荷物を両手に抱えながら寮の外に出ると、門の前に横付けされたランドクルーザーの荷台の扉を開け、中をゴソゴソと探っている母ちゃんのジーンズを履いた下半身が見えた。
「母ちゃん」
俺が声をかけると、緩いウェーブがかかった長い黒髪を後ろでひとつにまとめたハーフ顔の母ちゃんが、パッとその上半身を車から外に出してこちらを見る。
「こっち、瑞希」
両手に抱えたダンボール箱ごと瑞希の方へ体を捻って紹介すると、母ちゃんの目は瑞希を捉えた途端に大きく見開かれ、そのまま何か異形なものを見たように動きを止めてしまった。あれ?俺、読み間違えたかな。
「あ、あの、戸村瑞希といいます。今日はありがとうございます」
瑞希がその場を取り繕うように慌てて挨拶しても、母ちゃんはそれに答えることなくますます目に力を込めてじーっと瑞希の顔を見つめている。あーやばい。やっぱマズったか?
「……kawaii」
「え?」
「wow!めっちゃかわいいじゃない!どうせユージが一目惚れしたんでしょ!やだもぉ、リサにも見せたいわ〜家帰ったら早速remoteしましょ」
母ちゃんは流暢な日本語で、「remote」の部分だけ英語の発音で、まるで女子高生のようにキャッキャと騒ぎ立てると、上機嫌でどーぞ荷物置いて〜とたった今片付けたらしい車の荷台に向かって、戸惑っている瑞希の背中を押した。おい、母ちゃん!日本語、めっちゃ話せるじゃん!ていうか考えたら当たり前なんだけど。日本に来てもう20年以上も経つんだ。そう言えば俺がちっちゃい頃、近所のママさんたちとカタコトで日本語喋ってたような……子どもの思い込みって怖い。俺の中では母ちゃんはまだ、日本語がうまく話せない、日本に慣れていない在日外国人のままだったのだ。
かくして俺たちは、一旦荷物を車に積み込むと再び寮の中に戻り、水上とニシダ、早乙女、その他目についた寮生たち、そして寮監の先生に挨拶をして寮に別れを告げたあと、玄関に向かった。そのとき、後ろから「おい」と俺たちを呼び止める声が聞こえた。
振り向くと睨むように俺たちを見ている原口がそこに立っている。まだなんかいちゃもんつける気かとウンザリしながら、「なんだよ」と素っ気ない声を出すと、原口はこっちを睨んでいた目をふいっと横に逸らすと、「悪かった」とボソッと呟き、ポカーンとしている俺たちを置いてその場を去っていった。
「何あれ?あれで許された気になって自分だけスッキリするつもりかよ、あいつ」
俺が顔を歪めながら吐き捨てると、「大丈夫だよ。さっき部屋で原口の荷物の中にオモチャのゴキブリ仕込んどいたから」と瑞希がニヤッと笑う。
俺はぶっと吹き出して、「やるじゃん」と拳を瑞希に突き出した。その拳に、コツンと自分の拳を当てながら笑う瑞希を見て、大丈夫、俺たちはもう無敵だ、と根拠なく思う。そう思えるほどに、18歳というのは、まだ幼い。
俺たちと俺たちの荷物を載せた車は、母ちゃんの運転によって、俺は3年間、瑞希は1年弱、暮らした寮を後にした。
色々あったけど楽しかった。特に最後の1年は。人生の最高点と最底点を味わったような濃い1年だった。4月からは俺たちは、違う学校だけど大学生になり、思う存分イチャラブできる。ああ、もう夢のようだ。
「あ、あの俺、荷物置かせてもらうだけのつもりだけだったんですけど……」
俺が2人のラブライフに思いを馳せていると、後部座席に座る瑞希が遠慮がちに、運転席にいる母ちゃんに声をかけた。
「何言ってるの〜こっちで色々準備することあるでしょ〜?好きなだけうちに泊まっていいのよ」
ハンドルを握りながらにこやかに答える母ちゃんに、ナイスアシストだ母ちゃん、と俺は助手席でグッと拳を握り締める。でも次に母ちゃんから放たれたひと言に、俺は座席ごと後ろにひっくり返りそうになった。
「もう客間にお布団出してあるから」
「はあっ?!」
最悪の展開だ。
「It's noisy(うるさいわね)」
「だって瑞希は俺の部屋で一緒に寝るんだよ!」
「は?」
これまで真っ直ぐ前方を見ていた母ちゃんの目が、チラと一瞬俺の顔を捉える。
「I'm sure you're not planning on having sex at your parents' house(アンタまさか親のいる家でセックスするつもりじゃないでしょうね)」
「しねーよ、ババァ!!アホか!」
こいつ息子に向かってなんてことを。俺はただ瑞希と、ちょおっとイチャイチャしたいだけだし!そんで途中で止まらなくなって、有司、俺もう我慢出来ないよ、そうかい?じゃあホテルでも行く?という展開を期待しているだけで……と妄想を膨らませたところでハッとして瑞希の方を振り返った。まさか今の会話、わかってないよね?
すると後部座席には、しっかりと顔を真っ赤にしながら俯く瑞希の姿があった。うん、リスニングの特訓の成果、出ているみたいで良かった……。
「ミズキ、新しく住む部屋も探さなきゃいけないでしょ〜?」
サラリと話題を変える母ちゃんの妙技を利用して、俺は今だ!と「あ、俺、瑞希と一緒に住むから」とこちらもサラリと妙技を繰り出してやった。
「ええっ?」
驚いたのは母ちゃんだけでなく、瑞希もだ。俺は、この話は瑞希にもしていなかったのだから当然だ。
「もちろん生活費は自分でバイトして稼ぐよ。家賃とか瑞希と折半すれば安く済むし」
瑞希がこっちに残ってくれたとはいえ、大学が違うから会える時間も限られるし、後から聞いた話だけど、瑞希は実家に戻る約束を振り切ってこっちで一人暮らしをすることにしたので、ある程度の生活費は自分でバイトして賄うとお母さんと約束しているらしいのだ。
だったらもう話は早い。生活を共にして、生活費を一緒に稼いで助け合う。これでバッチリ。
「でも俺、大学が斡旋してくれる学生用マンションにしようと思ってたから2人暮らしは無理じゃないかな。それ以外の部屋だと家賃高いし」
瑞希が後部座席から身を乗り出して訴えるけど、俺はもう決めたのだ。とはいえ、やっぱり2人で住める一般の賃貸物件となると、結局家賃が高くなってしまうのだろうか。うーん、早計過ぎたか。
「OK。私の英会話とflower arrangement schoolの生徒さんに、マンションのownerいるから訊いてみましょ」
「え?」
そんなうまい話があるのかというくらい絶妙なタイミングで母ちゃんが再びナイスアシストを繰り出し、俺たちはもうその午後には、母ちゃんの生徒さんの持っているというマンションの内見に行くことになった。
そのマンションは7階建ての細長いマンションで、俺たちが通されたのは5階の部屋だった。
間取りは1DK。玄関を入ってすぐに、キッチンのついた4畳半のダイニングがあって、その奥にはクローゼットのついた6畳の個室がある。その向こうに見える窓からの景色は、空が広くて小さな浮雲がいくつも見えて眺望は最高だ。
「え、めっちゃ良くない?」
瑞希の方を見ると、瑞希も目がキラキラ輝いていて、満更でもなさそうだ。
「家賃5万円なんだけど、レイラ先生の息子さんなら4万5千円におまけしちゃう」
母ちゃんの生徒さんであり、このマンションのオーナーでもある織田さんが、人の良さそうな垂れ目の目尻をますます下げて俺たちに言った。
「借ります!」
俺よりも早く瑞希がそう答え、早速俺たちは母ちゃんを保証人として契約する運びとなった。
「でもここ単身向けなんだけど。2人で1DKって大丈夫〜?」
織田さんが心配げに水を差してくるけど負けやしない。
「俺たち、寮でずっと2人1部屋だったんで慣れてます!」
そして無事話がつくと、織田さんと母ちゃんは、「今からafternoon teaでも一緒にどう?」と、2人に増えた女子高生がキャッキャと騒ぐように、たった今からここの住人になった俺たち2人を置いて去っていった。ここから俺の実家は割と近いので、好きなときに勝手に帰ってこいというわけだ。
扉がカチャンと閉まったところで俺は、よし、2人きりだ、と瑞希に襲いかかる準備を心のなかで始める。そして、よし行くぞ!と瑞希の方を振り返ったところで、「ちょっと叔父さんに電話していい?住むとこ決まったこと報告しないと」と、瑞希に出鼻を挫かれた。
「あ、うん。どうぞ」
「ごめん」
瑞希はスマホを取り出し画面をタップして耳に当てた。
俺は所在無げに部屋の中をウロウロと動き回り、クローゼットを開けてみたり、窓の外を眺めたり。その後ろで瑞希が、「あ、叔父さん?瑞希だけど」と事の顛末を話している。俺がトイレのドアを開けたとき、瑞希が「
「え?……うん。だから、そのことは何度も話したじゃん」
瑞希の声がだんだんとイライラしたものにかわっていく。
「知らねえよ!母さんに言えよ!もう切るからな!」
突然大きな声を出すと、瑞希は乱暴に電話を切って、はあ、と大きなため息をついた。
「ど、どうしたの?」
恐る恐る俺が尋ねると、瑞希はまだ怒り冷めやらないといった顔で、「弟がさ、俺が実家に帰ったら自分も実家に帰る気でいたみたいで、話が違うって怒ってんだよ。そもそもまだ中学生のくせに保護者のいない家で住めるわけないじゃん。なのに俺のせいにするから腹立ってさ」と早口でまくしたてる。
初めてみた瑞希のそんな姿に、俺は呆気に取られながら、「びっくりした。瑞希も兄弟げんかとかするんだ」と何気に口にした。すると、瑞希の矛先がジロリと視線と共にこちらを向く。
「あのさあ、前から思ってたんだけど、有司って俺のことちょっと神格化して見てるようなとこあるよね」
「え?」
「俺だっていつもいいお兄ちゃんしてるわけじゃないし、性欲だってちゃんとあるし」
「性欲?!」
「そこにフォーカスするなよ。とにかく、俺は有司の理想通りの人間じゃないってこと」
瑞希は俺の胸に人差し指を突き刺して、上目遣いに俺の顔を睨みつけた。可愛い。
「理想通りじゃなくて全然オーケーだよ」
性欲、性欲、とその言葉だけを反芻しながら俺は自分の胸にまるで銃口のように突き立てられた瑞希の指を優しく手のひらで包み込んだ。
「おい、何しようとしてんだよ」
後ずさりしようとする瑞希の体を、ガシッと掴んで逃げられないようにすると、「ナニしようとしてる」と俺は自分の唇を瑞希の顔に近づける。
「ちょっ……やらねえからな!まだこんな何もないところで」
「じゃあ、ベッド買いに行こう。今すぐ」
身をよじって抗う瑞希に、俺はすかさずそう提案した。
「は?バカじゃないの?!」
「いや、冗談じゃなく。家具とかさ、見に行こうよ今から」
「ええっ?」
俺が近くに大型家具店があることを話すと、瑞希もそれならと納得して、取り敢えず一旦休戦した俺たちは一緒に家具を見に行くことにした。
「でも1部屋しかないからさ、やっぱ寮のときみたいに二段ベッド置く?」
「冗談でしょ」
俺は一瞬で瑞希の提案を却下すると、「ダブルベッドに決まってんじゃん」と当然の様な顔をして言ってやった。
「置けるかな。床が無くなりそうだけど」
「じゃあ、ベッドの上で暮せばいいよ」
玄関で靴を履き終え、2人並んで意見を言い合う俺たちは、一瞬動きを止めてお互いの顔を見合わせる。やがて瑞希が、ぷっと吹き出し、譲歩の姿勢を見せたところで、俺は「瑞希」と隣にいる瑞希に向かって片手を差し出した。
「え?」
瑞希は戸惑いながらも、これで合ってる?というような表情を浮かべながら俺の差し出した手を取った。俺はその手を、優しくぎゅっと握りしめる。
やっと掴むことができた。
同じところをぐるぐると回っていた日々から抜け出し、どっちへ行ったらいいのかわからなくなっていた俺の手を、ようやくあるべきところへ収めるができた。
これからは共に歩いて行こう。2人一緒に手をつないで、空に浮かぶ雲のなまえを数えて、どこまでも一緒に。
俺たちは無敵だ、と、そう笑いながら。
〈高校生編・了〉
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