第20話

 大学入学共通テストが始まった。

 すでに進路が決まっているやつは、テストを受けに行くやつらの検討を祈って、いちいち寮の玄関まで出てきて見送りながらエールを送る。

「頑張れよ!」

「落ち着いてやれよ!マークミスすんな!」

 様々な応援の声を受けながら出かけていく受験生たち。その中には、瑞希もいる。

 寮の土間で靴を履きかえたあと、ちらと後ろを振り向く瑞希と、見送りの列の中にいる俺の目が合った。

 俺が周りにバレないように、お腹の辺りで、グッと拳を握り締め、小さくガッツポーズを作ってみせると、瑞希はそれに応えるように、おろしたままの拳をグッと握ってみせ、マフラーを首に巻くと颯爽と寮の玄関を出ていった。凛とした美しい背中をしていた。


 冬休みの最終日、俺と2人で郵便局に出願書類を出しに行ってからというもの、瑞希は以前よりもまして勉強するようになっていた。寮に帰ってから姿を見ることなんかまったくと言っていいほどなく、ちゃんとご飯を食べているのかも心配になるほどで、俺はこっそり朝ごはんを百均で買ってきたタッパーにもりもり詰め込むと、学校の昼休みに渡り廊下の端でリスニングの練習をしながら瑞希の口の中に無理やりタッパーの中身を入れさせた。

 そんな俺たちの姿を通り過ぎざまにチラチラと見ていくやつらは多かったけど、最早瑞希の視界に彼らは入っていないらしく、目の下にクマを作りタッパーの黄色い玉子焼きを咀嚼しながら聞き取れなかった単語をぶつぶつと呪文のように唱える様は、まるで何かに取り憑かれているかのようでさすがの俺も怖くなった。でも仕方ない。前回合格したときは、学校長の推薦をもらって受けた推薦入試、今回は学力のみ一発勝負の一般入試だ。やるときはやる男、それが瑞希。そして俺は、そんな瑞希を支えてやることしかできない。


 大学入学共通テストが終わったその週に、もう自己採点による結果が学校の方から配布された。

「瑞希、どうだった?」

 教室の自分の席で、じっと自分の採点用紙を確認している瑞希の顔は……あ、これヤバいやつだ。

「……B判定」

 び、B判定……微妙だ。瑞希の志望している大学は倍率が高いだけにこれは安心できない結果だ。

 だけど瑞希はいきなりの志望大学変更により、受験しなくてはいけない必修科目が1つ増え、その準備を始めたのがつい先月のことなのだから、それを考えると大健闘といえる。


「あのさ、瑞希」

 学校からの帰り道、俺は敢えて明るい表情を作ると、暗〜い顔をして隣を歩く瑞希に声をかけた。

「何?」

 そうひと言返す瑞希の声は尖っている。

「頑張ってくれてるの嬉しいけどさ、もうさ、合格できなくてもいいよ。俺、遠恋でも全然イケるしバイトしてお金ためて……いっでええっ!!」

 いきなり瑞希の脛がスパーン!と思い切り強く俺の太ももを打ち、俺は悲鳴に近い声をあげた。

「うっせえっ!!オメェのために頑張ってんじゃねえよ!自分のためだし!あと、絶対ぇ受かるし!」

 瑞希はイライラした口調でそう告げると、「帰る!勉強する!」と痛む太ももをさすっている俺をその場に置き去りにして早足で歩いて行ってしまった。

 さすが瑞希……やるときはやる男。でも……いきなり凶暴化するのやめて。


 そして志望大学の入試の日がやって来た。朝、早くに寮を出て、俺は私服、瑞希は制服に身を包んで地下鉄までの道のりを黙って歩く。白い息が顔の周りでゆらゆらと揺れて、その合間から覗くいつもより強張った表情の瑞希が放つ緊張感が、痛いくらいにこっちまで伝わってくる。

「ここまででいいよ」

 瑞希は、地下鉄の入り口まで来ると、そう言って立ち止まり俺の顔をじっと見つめた。

「ん?」

 何?

「有司、色々八つ当たりしたり、心配かけたりしてごめん。もし、受からなかったとしても、俺、有司のこと……」

 そこで一度言葉に詰まる。そして顔を赤くしながら、「あ、愛してるから」というと、瑞希はくるりと俺に背を向けて、地下鉄の階段を駆け下りて行った。

 突然の不意打ちに身動きすら取れなかった俺は、次の瞬間まるで心臓を撃ち抜かれたかのようにその場に倒れそうになった。

 瑞希が実家から帰ってきたあの日、一緒に郵便局まで出願書類を出しに行った帰り道、俺は「瑞希はわかりにくいから、もっと自分の気持ちを言ってほしい」とお願いしていた。あのときの答えが、まさかこんな大きな形で返ってくるとは。

「ヤバい……」俺は手で口をおさえる。

 泣きそうだ。


「……さん、に、いち」

 時計の針を見ながらカウントダウンを始め、ゼロとなったところで、瑞希がスマホの画面をタップした。その瞬間、一緒に瑞希のスマホを覗き込んでいた俺の呼吸が止まる。

 合格。

 スマホの画面の丁度真ん中辺りに赤い文字が浮かぶ。

「やっ……」

 俺と瑞希は、大きく見開いた目でお互いの顔を見ると、そのまま言葉にならない想いを伝え合うかのようにひしっと抱き合った。

 瑞希が俺と同じ地元の大学に合格した。

 やった。やった。やっぱり瑞希は最高だ。やる男だ。ヤバい、泣いちゃいそう。

「あ、やべ。みんなとの約束破っちまった」 

「もう、いいって」

 久しぶりに感じた互いの体温を、いつまでも自分の中に取り込んでいたくなってしまった俺たちは、そのままむさぼるように両手に力を込めて強く抱き締め合っていた。瑞希の匂いが俺の全身を満たしていく。ああ、瑞希だ。

 するとそのとき、俺たちの上方から、まったく別の人間の声が降ってきた。

「やだわーこの人たち。完全にワタシたちがいること忘れてるわー」

 水上のベッドの上で、水上と並んで腰掛けていたニシダの声に、俺たちはハッとして慌てて体を離した。少し顔を熱くしながらベッドの上段を見上げると、そこには俺たちを見下ろしてニヤニヤとしている顔が2つ、仲良く並んでいる。

 忘れてた。寮の中で俺と瑞希が2人きりになっているとまずいから、カムフラージュとしてニシダと水上にも一緒にいてもらってたんだった。完全に2人の世界に入ってたわ、恥っず!

「あのさ」

 瑞希はけろりとしたもんで、ニシダたちを見上げながら、「2人とも、ありがとね。色々と」と、とびきりの笑顔を向けていた。

「お?なんだ、なんだ、急に」

 水上が茶化すと、「いや、俺ってわかりにくいみたいだから、気持ちはちゃんと言葉にしなきゃって有司に言われて」と瑞希。

「あらやだ。もう夫婦めおと気分ですわよーこの人たち。いいわねえ」

「ホントよねえ」

 ダルいやり取りをまだ続けようとするニシダたちに、俺は照れくささもあってか軽くぷちっと切れると、「いい加減にしろって!ほら、行くぞ」と部屋を出ようと歩き出した。

「へ〜い」

 ニシダたちも陽気に返事をしながら、二段ベッドのはしごを順に降りてくる。今日はこのあと、瑞希の合格祝いでみんなでお好み焼きを食べに行くことになっていたのだ。たとえ不合格だったとしても、残念会として結局食べに行くことになっていたのだが。


「うわ〜なんかちょっともう暖かいね」

 寮の玄関を開けた途端、瑞希が伸びでもしそうなくらいスッキリとした声をあげた。春の予感がした。空は快晴。低い位置に小さな浮雲がいくつか浮かんでいて、その合間を飛行機雲が、まるで青いキャンパスに白い線を真っ直ぐ引くように伸びていった。

 隣にいる瑞希を見る。

 それに気づいた瑞希が、ん?といった顔をする。

 俺は、前を歩くニシダと水上の声を聞きながら、まだ、いいんだ、と前を向いて歩き出す。


 来週は卒業式だ。




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