第15話

 文化祭当日がやってきた!

 俺とニシダは、腕に「実行委員」の腕章をつけ、朝からバタバタと走り回って息をつく暇もない。

「一之瀬!教室の様子1回見てきて!で、2時10分前になったら体育館だからな!」

「わかってるよ!お前こそ……絶対バレんなよ」

 俺は最後の、「絶対バレんなよ」の部分だけ、声を抑えてニシダに告げる。

 2時から、本日最大にして最後のイベント、実行委員主催の女装コンテストが体育館で執り行われることになっている。そしてニシダが瑞希をこっそり浜ちゃんのところから体育館までエスコートすることになっていた。

 本当は俺がその役をやりたかった。でも実行委員長が勝手に決めた「審査員」の中に俺の名前があったもんだから、俺はコンテストが始まる時間には体育館にいなくてはならない。

 ちなみに女装コンテストは、3年生メインのイベントということになっていて、出場者は3年生9クラスの中から1人ずつ。各実行委員2人のうち1人が審査員でもう1人が出場者のエスコートをする。1年生と2年生の実行委員は会場の人員整理や、司会進行、写真や動画の撮影をしているやつがいたら注意をする、などの係を担う。もちろん観覧者も投票できるけど、全員分だと集計が大変なので3年生だけに不正ができないようクラス毎に色分けされた投票用紙を事前に渡してあって、自分のクラスには投票することができない。観覧者の投票は自由だけど、実行委員は必ず誰かに票を入れなくてはいけないことになっていた。

 最初は「瑞希が余裕で優勝っしょ」と思っていたが、5組の末永すえながというやつがなかなかの強敵だ。この前、衣装合わせをしたときに気づいたが、瑞希はバスケをやっていたこともあって、見た目とは裏腹に意外とがっしりとした体つきをしている。一方末永は、顔は十人並みだが小柄で線が細い。化粧での造り込み次第ではかなり可愛くなるんじゃないかと、みんなに期待されていた。

 別に瑞希を優勝させたいわけじゃない。でももうここまで来たら「俺の瑞希が1番可愛い」と全校生徒に認めさせたい。そんな訳のわからない闘争心が、さっきから俺の頭の中をぐるぐると駆け巡っている。

「こっち、人足りてる?」

 校内を行き交う人の群れをすり抜けながら、俺はやっとの思いで教室に辿り着くと、廊下で「なんちゃって縁日」の入場者受付けをしていた遠藤に声をかけた。

「んーまあなんとか」

 背中に「祭」という文字が大きく入った青いハッピを着た遠藤が呑気に答える。そもそもうちの学校は文化祭の一般公開がないので、来客者は校内の生徒かその保護者のみ。だからそこまで混雑することはないんだけど、俺たちの「なんちゃって縁日」はなかなか好評なようで、何度か様子を見に来たけど、人が途切れることはないみたいだ。

 俺はチラと教室内の様子を伺って、大丈夫そうだな、と判断すると、「俺、体育館行ってくるわ!」と教室内で働いていたクラスメイトたちに向かって叫んだ。

「なあ、ずりーよ。俺たちも女装コンテスト観たいんだけど」

 同じく青いハッピを着た、スーパーボールすくいの店員をしている斉木から不満の声があがる。

「わり!後半は観られるように交代時間調整してあるから!」

 俺は両手で拝むようにして答えると、教室を離れて体育館へ走った。まるで羽が生えたように脚が軽かった。


「続いての出場者は、3年5組、末永遥さんです。どうぞ!」

 うおおおおっ!!

 首に大袈裟な蝶ネクタイをつけた司会者が手を伸ばした先からちょこちょこと小さな末永が現れるなり、観客席から怒号のような歓声がわいた。

 パイプ椅子の背中に「審査員席」と書かれた1番前の列に座っていた俺も、その姿を見て一瞬、えっ、と口を開いたまま固まってしまう。女子だ。完全に女子だ。

 顔は地味ながらもボリュームのあるボブのカツラで童顔風になっており、ピタッとしたTシャツからわかる肩のラインも、チラ見せしてある腰回りも、デニムのミニスカートから伸びた脚も、全てが細い。筋肉がない。そして白い。踵のあるサンダルを履いた脚はご丁寧に綺麗に除毛までしてあって、胸にはたっぷりと詰め物をしているのか、見事なおっとり系巨乳女子になっている。ぐぬぬ、強敵だ。

 司会のやつが、今日のファッションのポイントなどを、末永の隣にいるエスコート役の男子にインタビューする。モデルは声を出してはいけないルールだ。せっかく可愛い女子に扮していても、喋ったらぶっとい男子の声でしたなんて最高に興醒めだから。

「ありがとうございましたあ。末永遥さんでした!」

 司会者がマイクに向かって一段と大きな声を出すと、拍手と共に観客席から、「せーの!はるっかちゃ〜ん!!」という何人かからの声援が飛んだ。もうファンクラブが出来たらしい。

 はるかちゃんが、舞台の後方に下がり、他の出演者たちの横に並ぶと、やっぱりその可愛さは際立って目立つ。

「え〜、続きまして……皆さんお待たせしました。続いては、3年6組、戸村瑞希さんの登場です!どうぞ!」

 お待たせしましたって何だよ、と心の中で司会者に突っ込んで、更にうおおおおっと盛り上がりを見せる体育館の雰囲気に飲まれてつい自分を見失いそうになりながらも、俺はしっかりと目を舞台の上に向けていた。

 みんなが固唾を呑む中、舞台袖の赤いカーテンの間から、長い脚がにゅっと現れる。

 瑞希がその全身を舞台の上に晒したとき、体育館全体が一瞬しんと静まり返った。

 司会者までもが瑞希に見惚れて自分の仕事を忘れている。

 そこにはまるで、かつての元カノに見せてもらったことのある、ティーン向けファッション雑誌から抜け出してきたような、超極上の美少女が立っていた。

 うおおおおおおっ!!

 止まった時間が再び動き出したかのように体育館が大きな歓声のうずに包まれた。俺はキラキラとまるで光を放っているかのような舞台上の瑞希に目を奪われて、何故か血が沸騰したみたいに体を熱くしてしまう。

 瑞希は仏頂面ながらも、その可愛さは一切損なわれることはなく、浜ちゃんの施した完璧なメイク、いつもより頬がほんのりピンク色で、まつ毛が上を向いていて、唇は赤く艶々で、完璧な女子になっている。俺たちが浜ちゃんに渡した茶色いロングのカツラは、いつの間にか綺麗にトリートメントされていて、真っ直ぐサラサラになった髪の片側だけが耳にかけられ、その上に白いピンが留めてある。

 紺色のカーディガンは、肩がストンと落ちた薄いピンクのオーバーサイズのセーターに変わっていて、長めの袖からちょんとでた指先にはキラキラとラメの光る透明のマニキュアが塗ってある。

 そしてセーターの裾からちらと出ている俺たちが渡したチェックのミニスカートは、もう少しでパンツが見えそうなくらいにまで短く折り曲げられていて、足元はドンキで買ったルーズソックスと瑞希が前の学校で使っていたローファーなんかじゃなく、よくロリータファッションなんかで使われている黒いストラップパンプスと膝上まである白いニーハイソックス。からの、絶対領域!浜ちゃん、やり過ぎだろ!!

 体育館の歓声はいつまでたっても鳴り止まない。後ろの方から、「やべーっ!」「芸能人じゃん!」などと興奮した声が聞こえる。

「インタビューするんで静かにしてくださーい」

 舞台上で司会者がマイク越しに叫び、少し歓声が小さくなった隙に、「今日のファッションのポイントは?」と瑞希の隣で戸惑っているニシダにマイクが向けられた。

「あ、えっと、大きめのトップス?で華奢な感じを出して、メイクと足元でロリみ出してマス、はい」

 まるで浜ちゃんに教わった台詞をそのまま読み上げるように、しどろもどろに答えるニシダもおそらく、さっき保健室に迎えに行って初めて今の瑞希の姿を見たのだろう。いきなり芸能人の付き人に抜擢された一般人のようにカチンコチンになっている。

 それからいくつか質問がニシダに向けられるがもう誰もそんなの聞いちゃいない。スマホを取り出している生徒とそれを制する実行委員の間でちょっとした小競り合いも起きている。

「ありがとうございました〜!戸村瑞希さんでした〜」

 司会者が質問を切り上げて、瑞希とニシダは、舞台の後方に下がった。さっき大歓声のわいた末永の隣に並ぶが、なんだか末永が可哀想になってしまうくらい、瑞希のオーラの前ではその可愛さも霞んでしまう。

 その後出てきた出場者も皆同様に、瑞希の引き立て役でしかない。ていうかそもそも瑞希が出場すると決まった時点で、本気で女装で競おうとするやつなんかいないだろう。舞台上のやつらもみんな「スゲェ」とかなんとか言いながら瑞希の方をジロジロと見ていた。

 瑞希はそんな視線がいたたまれないのか恥ずかしいのか、舞台の上でこれ以上ないくらい小さくなって下を向いてしまった。

 最後の出場者のインタビューが終わったあと、もう一度全員が舞台の前方に1列に並び、1人ずつ名前が呼び上げられ、司会者が投票のやり方を説明したところで、本日最大にして最後のイベントの幕が閉じた。

 続いて体育館の端に設けた投票所から、「投票こちらにお願いしまーす」という実行委員の声があがる。3年生の半分くらいはポケットから投票用紙を取り出して投票所の前に群がっていくが、もう半分くらいは「おい、瑞希ちゃん探しに行こうぜ」とこぞって体育館を飛び出していった。

 ヤバい!瑞希が危ない!

 俺はズボンのポケットから取り出した自分の投票用紙に、胸ポケットに挿してあったシャーペンで「末永」と殴り書きすると隣のやつに、「これ出しといて!」と押し付けて体育館を飛び出した。


 保健室のある西棟は職員室や応接室があり、今日展示には使われていない。俺は玄関に立ててあった、「本日、立ち入り禁止」の看板を無視して中に飛び込んだ。

 保健室に続く廊下に出ると、長い髪を揺らして1人で走っていく瑞希の背中が見える。

「瑞希!」

 俺が声をかけると、瑞希がハッと立ち止まり、「有司……」心細そうな美少女顔で、振り返った。その顔に俺の理性がぷつっと音をたててぶっ飛ぶ。

 俺は走って瑞希の側までいくと、腕を引っ張って階段下の物陰に引っ張り込み、いきなり唇を重ねた。ぬちゃっとした懐かしいグロスの感触。

「んーっ!んんっ!ん」

 瑞希が両腕で俺を一生懸命押しのけようとするけど、抵抗されればされるほど、俺の中の何かが燃え上がって抱きしめる手に力がこもる。

 そしてスカートの中に手を入れようと右手を下にするっと滑らせた瞬間……ゴッ!隙をついて放った瑞希のパンチが俺の右頬にクリーンヒットし、俺はそのまま冷たい校舎の床に崩れ落ちた。

「痛い……」

「やめろよ、こんなところで!俺、早くこれ脱ぎたいんだよ!」

 瑞希は、床に座り込んだまま右頬をさすっている俺を見下ろし小声で叫ぶと、くるりと俺に背中を向けて、その場を立ち去ろうと歩きかけた……ところでもう一度振り向いて、俺の目の前でしゃがみ込むと顔を至近距離まで近づけて、「ついてる」と俺の唇についたグロスを親指でキュッと拭った。その仕草にまた俺の中の何かが一気に燃え上がる。

「瑞希ーっ!」

「うわああっ!!」


「どうした、一之瀬。両頬腫らして」

「……なんでもない」

 あのあと瑞希を押し倒そうとして反対側の頬も殴られた俺は、スゴスゴと「なんちゃって縁日」の教室まで戻ってきた。

「ていうか、なんで水上がここにいるんだよ。みんなは?」

 教室を見回すと、スーパーボールすくいの店員が座る場所に水上が腰掛けている以外、教室には誰1人としていない。しかも水上は、違うクラスの人間だ。

「俺はニシダに頼まれたんだよ。店番やっててくれって」

「はあ?何やってんだよアイツ」

 サボってんじゃねえよまったく、と呆れたようにため息をつきながら、俺はスーパーボールがプカプカ浮かんでいる水槽をまたいで、水上の隣にある空いた椅子に腰掛けた。

「ニシダは瑞希ちゃんを護るために、みんなが保健室に近づかないよう必死で誘導しているところだよ」

「えっ?」

 水上の口から意外な言葉が飛び出して、俺は思わず水上の方を見た。

「ニシダってもしかしていいヤツだったのか?」

「早く気づいてやれよ」

 水上が水槽に手を突っ込んで、さっきの瑞希の爪みたいなラメがキラキラと光るスーパーボールをひとつ、つまみ上げた。

「で?おまえは瑞希ちゃんとイチャついててやり過ぎて殴られたってとこか」

 スーパーボールを指でもて遊びながらさらりと言ってのける水上に、いつものバカ話の一環だと思って笑い飛ばそうとしていた俺は一瞬遅れて「はいっ?!」と大声を出した。

「な、な、なんで、水上、え?知って、え?」

 動揺を隠せない俺に水上はいたって冷静に、「だっておまえわかりやすいんだもん。戸村が越してきたときからずっと瑞希、瑞希だったし、夏休み2人きりになったあとから急に戸村がおまえのこと下の名前で呼びだすしさ。あーできちゃったかって」

 そして言葉を失う俺に「あ、ちなみにニシダも知ってるから」と、とどめを刺す水上。

「マジか〜」

 なんてこった、俺としたことが。そんなにだだ漏れていたとは。

 あまりの情けなさに俺が両手の中に顔を埋めていると、「まあまあ、いいじゃねえか。今、幸せなんだろ」と水上が、ほい、と持っていたラメ入りのスーパーボールを俺に向かって差し出した。え?という顔をすると、水上が、無言で窓際にある射的コーナーの方を顎でしゃくってみせる。

 そうだ、俺は今、人生で1番幸せだ。今ならなんだって上手くいく気がしている。

 教室の入り口近くにあるスーパーボールすくいから、窓際の射的コーナーまでは5メートルというところだろうか。俺は水上からスーパーボールを受け取ると、真ん中の段にある1番得点の高い1番小さな的に狙いを定め、スーパーボールを掴んだ手をまるで弓を引くように真っ直ぐに後ろに引いた。

 行け!

「あっ」

 勢いよく放ったスーパーボールは、的にかすりもしないどころか、その軌道を大きく外して、誰かが開けっぱなしにしていた窓の外へと消えていった。

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